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スキップドロップ  作者: 丹㑚仁戻
最終章 転がり落ちていく先は
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【第十二話 期限】12-2 ずるい、早く出して!

 血と硝煙の臭いが、私の肺を満たしていた。

 悲鳴が聞こえる。馬の嘶きが耳をつんざく。ぼんやりと遠くを見れば、男の人が別の男の人達に引き摺られて攫われていくところだった。あれは……私の夫になるはずの人だ。

 確か()()()攫われた先で殺されてしまうんだ。だから助けなきゃと思ったのに、身体が動かない。さっきまで立っていたと思っていたのに、今の私は仰向けで馬車の下敷きになっている。

 でもこんなの抜け出せばいい。私はそれができる……はずなのに、どれだけ力を込めても私の上に乗っかる木と鉄の塊は動いてくれない。


 あ、これ夢だ――唐突に状況を理解した。


 これは人間だった私の最後の記憶。私が結婚するはずだった人は表向きは良い人だったのだけど、裏では結構悪いことをしていたらしい。彼は裏の仕事関係で誰かの恨みを買ってしまったようで、私達の乗る馬車がその人達に襲われたのだ。

 私は子供の頃から鍛えられていたから直接向かってきてくれれば対処できたのに、馬車ごと転ばされてしまえばどうしようもない。夢なら私の身体能力も今のものにしてくれればいいのに、無駄にリアルなそれは私を非力な人間にする。


『死んでるのか?』

『生きてるけどこりゃもう駄目だ、折角売れそうだったのに』


 頭の上から聞こえるのはあの人を攫った男達の仲間の声。ああ、無事だったら売られていたのか。じゃあ怪我して正解だったな――ぼんやりと浮かんでくるのは当時の気持ち。

 折角これから幸せになれると思ったのに。人間らしい生活と新しい家族を手に入れて、やっと私を育ててくれた壱政様達を忘れられると思っていたのに。

 こんなすぐに死んでしまうだなんて、壱政様はきっと期待外れだとがっかりするだろう。時間をかけて教養と人間らしさを私に教え込んだのに、たった数年ですべて無駄になってしまうのだから。


 自分に失望していると、ぼとり、ぼとり、と地面が小さく揺れた。


『…………?』


 後頭部から伝わったその衝撃はなんだろう。首だけをゆるりと動かした時、今度はドサッと重たい物が倒れる音がした。


『ッ……!!』


 人が倒れてる。それも首なしの。一体何が起こったのかと考える前に、『まだ生きてるのか』と懐かしい声が降ってきた。


『い……せい……さま?』

『無理に喋るな』


 壱政様の手が顔に触れる。子供の頃にやってくれたように、優しく私の頭を撫でてくれている。

 胸にこみ上げた何かが、私の目元を熱くして。久しぶりに会う彼の顔をよく見たいのに、視界がどんどん滲んでいく。


『お前に人間は向いてなかったな』


 ぽろりと涙が零れると、一瞬だけ視界がはっきりした。見てしまったのは壱政様の見たことのない顔。眉根を寄せて、少し辛そうな、そんな顔。


『すまない、俺が判断を誤った。……お前にはすべて話して、選択肢を与えるべきだったのに』

『せん、たく……?』


 言っている意味が分からない。もしかしたらそれが壱政様をこんな顔にさせているのだろうか。私が何かすれば、いつもの彼に戻ってくれるのだろうか。


『帰ってくるか? そうしたらもう、人間らしい生活はできなくなるが』


 付け足された言葉も、やっぱりよく分からなかった。

 だけど予感はあった。首なし死体が私を見つめる。壱政様はきっと、そういうことができる人。

 夫になるはずだった人の嘘には落胆した。だけど壱政様のそれは、どういうわけか嬉しくて。彼の傍にいてもいいんだと、ようやっと認められた気がした。



 § § §



「――……痛い」


 まどろんでいた私の意識を、身体中の痛みが強制的に叩き起こしてきた。

 夢を見ていた自覚はある。だからこの痛みは夢の中のものかと思ったのに、少し待ってみても全然消える気配がない。


 ということは、これは実際に怪我をしているということだ。うーんと夢の前の記憶を辿ってみれば、嫌な光景が蘇る。


「ッキョウは……!!」


 ガバっと一気に起き上がれば痛みは強さを増した。頭がクラクラして気分が悪い。

 だけど今はそんなことどうでもよかった。キョウはどうなったんだろう。ちゃんと逃げ切れた? 私が生きているということはあの男に見逃してもらえたのだろうか。ならここに私を運んできたのはキョウ?


 男に操られてしまったことは覚えている。彼に言われたことも、されたことも。だけど怪我のせいか途中から記憶が曖昧で、キョウがどうなったのか全く覚えていない。

 一気に浮かんだ疑問のままに辺りを見渡そうとした時、「一葉……?」と部屋の隅から声が聞こえてきた。


「あ、キョウだ」


 思わず出たのは間抜けな声。壁を背もたれに座っていたらしいキョウは驚いた顔をしていたけれど、私が声を発した途端にうんと顔を顰めた。

 「なんだよそれ」、呆れたように眉間に皺を寄せたと思ったら、今度は深い深い溜息と共に顔を下へと向ける。「よかった……」、小さく聞こえてきたのは多分独り言。その心底安心したと言わんばかりの声色に、胸の奥がじんわりと温かくなる。


「キョウ、怪我はない?」

「……アンタが言うな」


 重たそうに(もた)げられた顔にあったのは凶悪な眼差し。不機嫌顔のキョウは乱暴に立ち上がるとずかずかとした足取りで私に近付いて、でもはっとしたように静かに腰を下ろした。


「悪い、振動で痛むだろ」

「多少ね。でも全然我慢できるよ」

「我慢するな。寝てる方が楽なら寝とけ」

「でも……」

「我慢したら傷口押すぞ」

「えぇー……」


 流石にそれは嫌なので、起き上がっていた私は大人しく背中を布団に委ねた。身体を倒す時に傷口が痛んだのは言わないでおこう。これは不可抗力だ。


 それにしても……なんだろう。なんだかキョウの匂いが気になる。一体どうしたんだろうと思ってキョウを見ていたら、不意に喉がこくりと鳴った。


「……腹減ってるのか?」

「うーん……多分? まあ怪我したから当然なんだけど……なんか……んん?」

「なんだよ」

「キョウ、何か美味しいもの隠してる?」


 私が尋ねれば、キョウは気まずそうに顔を背けた。なんだその反応、やっぱり何か隠してるな。私の近くに持ってきているなら私への差し入れじゃないの? もしかして一人でこっそり食べる用なの?


「何持ってるの! ずるい、早く出して!」

「ずるくはねェ。……怒るなよ?」


 そう言ってキョウはおずおずと左手を私に伸ばしてきた。その手の中に何かあるのかと思ったけれど、開いた指の中には何もない。あるのは手のひらに巻かれた包帯だけ。

 キョウってこんな怪我してたっけ。あの男にやられたのかな――と考えていると、顔の近くに来たその手からの匂いにまた喉が鳴った。口の中の溜まった涎のせいだ。怪我で消耗したからか、キョウの血の匂いに惹かれているのだろう。

 記憶の中の味わいが舌の上に蘇る。滅多に口にしない人間の血は、普段飲む動物のものよりもずっと甘くて美味しい。保存のために冷やされたものではなくて、まだ人の体温を残していたそれは嫌な後味もほとんどなく……て?


「……私、生きた人間の血は飲んだことないんだけど」

「……へえ」

「だけど……知ってる気がするんだけど……」

「……だろうな」


 こちらを向きかけていたキョウがまた顔を背ける。揺れる睫毛が、彼の視線の落ち着きのなさを表している気がする。


「もしかして……キョウの血飲んだの……?」


 私が問いかければ、キョウの肩が僅かに揺れた。その理由なんてもう考えるまでもない。


「まさか私、キョウに襲いかかったの!?」

「いや、そうじゃない。俺が自分で――」

「自分で!? ってことは……嘘じゃん、勝手に飲ませたってこと!?」

「それは悪かったと思ってる。あの時のアンタは今にも死にそうだったから、つい……」

「つい、って……()()でそんな、自分を傷つけるようなこと……」

「言いたいことは分かってる。だけど俺がそうしたいと思ってやったんだ。そこに関してはアンタが悪く思うようなことは何もない」


 キョウが真剣な目でこちらを見る。だからこれはきっと彼の本心なのだろう。

 だけどどうしたらいいか分からない。いくら気にするなって言われても、私のせいでキョウが怪我をしたのは事実だ。それに彼の血を飲んでしまったことだってすんなりと受け入れることができない。

 生きている人の血を飲むことは、相手が了承していれば問題ないと教えられている。だから悪いことだとは考えていなかったはずなのに、実際に直面するとどういうわけか罪悪感がこみ上げてきて、素直にありがとうとは思えなかった。


「一葉は気を失ってたんだ。その間のことに責任なんて感じなくていい」

「そういう問題じゃないの……自分でもよく分かんないけど、なんか嫌……」

「……俺が食い物に見えるから?」

「違ッ……そうじゃない! キョウはキョウだけど……だからこそなんか……変わっちゃう気がして……」


 私がキョウを見て感じる空腹感は、お腹を満たしておけばどうにかなるだろう。だけどキョウは違う。血を飲むなんて吸血鬼らしい行動は今まで彼の前でしたことがなかった。それをしてしまった今、キョウはこれまでよりももっと強く私のことを吸血鬼だと感じているはずだ。

 それがなんだか怖い。キョウは私が吸血鬼だと知っているし、私もそれらしさを隠そうとはしてこなかった。だけど今は違う。今まで築いてきたものが壊れてしまうような不安が、彼の血を飲み込んだことで身体の内側からじわじわと染み出してくるようだった。


「何が変わるんだ?」

「その……キョウの考え方とか?」

「変わんねェよ、そんなもん」

「でも私に血を飲まれたんだよ!?」

「俺が飲ませたんだよ。まァ、アンタが怪我しても俺の血で少しは役に立つって分かったのは良かったけどな」

「良かったって……またやろうとしてるの!? 駄目に決まってるじゃん!!」


 気付けば私はまた起き上がっていた。その腕を掴んで彼を睨みつければ、さっきまで柔らかい表情だったキョウは驚いたように目を見開いた。


「……なら怪我するなよ」


 大きく開けていた目を下へと伏せて、ほんの少し不貞腐れたようにキョウが言った。


「分かってるよ。だけどそうはいかない時だってあるじゃん。昨日の……昨日だよね? とにかく自分より序列が上の人だったら私にはどうにもできないから、そういう時は駄目だけど……でもだからってそのたびにキョウが自分のこと傷つけるのはおかしい!」

「アンタが言うな」

「え?」


 ぐっとキョウの眉間に皺が寄る。伏せていたはずの目が、強く私を射抜く。


「どうしようもないのは理解した。だけどな、『逃げろ』ってなんだよ? 確かに俺じゃあ足手まといにしかならないのは分かってる。でもだからって俺だけ逃がそうとしてどうするんだ。アンタも一緒に逃げるべきだっただろ!」

「でも……私が足止めしといた方が確実だし……」

「だけどアンタは自分がああなるかもって分かってたんだろ!? 無事に俺だけ逃げ切れたとして、そのためにアンタがあんなことになってたって知って俺が喜ぶとでも思うのか!? 壱政さん達が来てくれたからアンタは助かったけど、もし間に合わなかったら死んでたかもしれないんだぞ!?」


 見たことのないような剣幕なのに、不思議と怖いとは思わなかった。だってその言葉はすべて私を心配してくれてのものだと感じるから。私が怪我したり、死んでしまったりしたら彼は嫌なんだ――怒られて困っているはずなのに、胸がむず痒い。


「あの……ごめん……そんな怒ってくれるとは思わなくて……」

「許さない」

「え?」


 予想外の答えに頭が真っ白になった。いや、普通謝ったら〝許さない〟なんてあんまり言わなくない? 許す気になれなくても一応謝罪を受け取ってくれるものじゃないの? こんなはっきり許さないなんて言うことある?

 そりゃ確かに内容によっては許さないって言うこともあるだろう。だけど今はそういう感じじゃなかったじゃん。キョウってまさかこじらせてる上に心まで狭いの?

 と思いながらキョウを見てみれば、不機嫌そうな顔で彼は私を睨みつけていた。


「許して欲しかったら次は自分も逃げるって言え」


 なんて幼稚な、と思ったのは飲み込んで。同時に浮かんだ言葉を口から吐き出す。


「それを言ったらキョウもだよ。私が大怪我しても自分の血は飲ませないって約束して」

「ちゃんと逃げれば大怪我しないだろ。だからアンタが先に言え」

「ッ血を飲ませようとしてくる人とは別行動したいじゃん。キョウが先に約束しないと駄目でしょ」

「アンタが先だ」

「キョウが先だよ」


 そのまま睨み合って、数秒。なんだかおかしくなって、私達はほぼ同時に小さく笑い声を零した。


「じゃあさ、一緒に言い合いっこしようよ」


 あ、これ仲良しっぽい。和解とばかりに提案しながら心を踊らせれば、何言ってんだこいつ、みたいな顔が返された。……あれ?


「は? 嫌だよ、ガキ臭い」

「ガキ臭いって……! そう思う方がガキなんですぅ!」

「騒いでないで寝ろ」

「うわ、都合が悪くなったからってずるいんだ!」

「傷口押してもいいのか?」


 ギロリ、キョウが睨む。なんだろうな、最近壱政様と関わっているせいかキョウのこういう表情がどんどん壱政様に似てきたように感じる。

 だけど大丈夫、壱政様と違って怖くない。だってキョウの善悪観念はまだ無事だと知っているからね。


「そんなこと言って、どうせしないんでしょ?」


 ニヤリと笑いかければ、キョウの目が据わった気がした。


「……やってやるよ。それだけ動けるってことは大して問題ないってことだろうからな」

「え、ちょっと待って本気? 待っ……キョウのえっち!!」

「はァ!? 何言って――」


 キョウがたじろいでいる間に布団に潜り込む。急に動いて傷口が痛かったけれど今は無視だ、押された方がきっと痛い。


「はい寝ましたぁ! 一葉ちゃんは寝ましたのでもう傷を押される理由がありませぇん」

「……クソッ」


 久々に聞いたキョウの悪態に思い切り笑ったら、傷口を押されたくらいに身体中が痛かったのは内緒にしようと思う。

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