【第十一話 窮鼠】11-2 キョン吉はほら、お年頃じゃん?
たくさんの人が夜の街中を歩いていく。
何をそんなに急いでいるんだというくらい早足の人もいれば、ちゃんと前を見ようよと言いたくなるような歩きスマホの人まで様々だ。でも不思議なのは、どんな人であっても大抵は器用に人にぶつからずに歩いているということ。
それは多分、周りの人達が気を付けているからだろう。他人にぶつからないようにみんながちょっとずつ気を遣っていれば、多少周囲に無頓着な人がいようと関係ない。
だって周りを見れる人はそういう人を避けるから。周りを見れない人はそれに気付かず、自分はちゃんと周囲に迷惑かけずに歩けているぞと思っているのかもしれない。
彼らが自分の視野の狭さに気付くのはいつだろう。他人に指摘されたって、実感の伴わないそれはきっとただのお節介にしか聞こえない。
本当にそうだったのだと気付くのは、恐らく目の逸らしようのない現実を突きつけられた時。どれだけ言い訳を並び立てて自分自身を納得させようとしても、説明のつかない現象に鉢合わせてしまった時――
「ッ……!」
待ち合わせ場所に来たキョウを見た瞬間、心臓がぎゅっとなった。予想はしていたものの、それでも起こったこの現象にやはりそうか、と顔に力が入る。それを隠すように手をばっと上げて、いつもと同じ私になるようにニッと笑顔を作った。
「やあやあキョンキョン、今日は元気そうだね!」
「まあな」
ふわり、キョウが柔らかい笑みを浮かべる。ひゅっと私の心臓がまた潰される。
少し前までの無愛想キャラはどこへ行ったのか、最近のキョウは愛想が良い。とはいえ普通の人と比べたら無表情なのだけど、それでも以前よりも笑顔の大安売りをしているので非常に心臓に悪い。
多分、私はキョウが好きなんだ。
麗様の言葉をどれだけ否定しようとしても、最終的にはこの結論に行き着いてしまう――私が麗様にキョウを構って欲しくないのは、幼稚な独占欲のせいなんだと。
じゃあその独占欲はどこから来るの、だなんて。一般的な理由はいくつか浮かぶけれど、彼と話している時にふと感じる高鳴りが答えを一つに絞り込む。
この感覚はまだ壱政様に恋していた頃とよく似ている。勿論顔が好きだから興奮している可能性もあるものの、顔がよく見えていない時にもちょっと緊張するからやっぱりそういうことなんだろう。
「罪な男め……」
「なんだよ急に。さっさと行くぞ」
「ッはい!」
何、『はい!』って。素直か私。恋する乙女か。……そうだよ。
また顔に変な力が入る。にやけそうになる私と、それはおかしいだろと思う私が表情筋の主導権を奪い合う。だって今は普通に歩いているだけなんだから、そこに喜ぶ理由なんてないはずだ。
こっそりと大きく息を吸う。吐きながら顔に脱力せよと言い聞かせる。それを数度繰り返せば、まだ微妙な感覚は残るものの私の顔はなんとか真顔に落ち着いた。
ショーウィンドウに映った姿を見て、自分の表情に問題がないことを確認する。よしよしと思いながら顔から視線をずらせば、いつもどおり真っ黒なキョウとミントグリーンのパーカーを着た私が目に入った。
私達は周りに一体どう見えているのだろう。外見年齢だけで言えば近いから、やっぱりカップルに見えるのかな。だけどそれにしては周りのカップルのようにほわっとした空気が足りない気がする。
あれはなんなんだろう。欧米のようにくっついているわけでもなく、更には手だって繋いでいなくても『ああ、この二人は付き合ってるんだな』って分かる空気感。
どうにか漂わせてみたいなと思っても、ちゃんと恋愛的なお付き合いをしたことがないから出し方が分からない。人間時代に婚約までしといて何だよっていう話なんだけど、あれは時代的にそういう感じでもないし、当時の私は一緒にいるうちに好きになれたらいいなと考えていたから、好きな人とお付き合いするというのはやはり未経験。しかも婚約者のお陰で死にかけたしね、その後数十年は恋愛の馬鹿野郎と思って生きていたから余計に縁がなかった。
キョウはあの空気の出し方を知っているのだろうか。これだけこじらせていたんだから彼女どころじゃなさそうだけど、この間おしゃれなお店に慣れているように見えたのはデートで使っているということ? え、嫌なんだけど。
「なんで睨むんだよ」
「……キョンキョン、女の子をブイブイ言わせるタイプ?」
「は? つーかそれどういう状態だよ」
「ブイブイはブイブイだよ!」
「アンタは言ったことあるのか?」
「あるわけないじゃん。どういう状況で言うの?」
「俺が聞いてるんだよ」
投げかけた質問が一周回って戻ってくる。ブイブイってなんだ。改めて問われると分からないけれど、でもブイブイ言わせてるかって聞かれたら女癖のことだと分かるでしょ? あれ、もしかして分かんないのかな。
「……ジェネレーションギャップ!?」
「あるだろうな、流石に」
「ええ!? 私そんなおばあちゃんじゃないのに!」
「はいはい、アンタは若いよ」
投げやりな声でキョウが言う。さっきまで私の方を向いていた顔は既に前に戻されていて、この話が終わってしまいそうな雰囲気に「そうじゃなくて!」と私は慌てて声を上げた。
「私じゃなくてキョンキョンのことだよ! キョン吉はほら、お年頃じゃん? おしゃれカフェも慣れてるってことは、結構女の子と一緒にお出かけしたことあるのかなって思ったの。彼女とかさ! 毎日私と歩いてるけど見つかったら怒られないの?」
なんだこの不自然な切り出し方。慌てていたとはいえもう少し自然な流れで聞けなかったのか、私。
でもキョウはこの不自然さに気付かなかったらしく、特に表情に変化はない。もしかして彼は鈍感なのだろうか。確かに他人の細かい感情なんて気にせず生きてきていそうだ。
「そんな相手いねェよ。第一、いたとしても仕事だぞ? それで文句言われてもな……」
どうしよう、キョウの返答に落ち着かせたはずの顔がにやける。何か返さなきゃと思うのに、彼女がいないと聞いたばかりでへらへらしてしまう予感しかしない。
なんて考えていたらキョウが少し低い声で「……そういうのはいらないしな」と言うのが聞こえてきて、にやけていた顔がぴたりと固まった。
「今後も作ることはねェよ。多分俺は仕事を優先するだろうし、こんな仕事じゃいつ死ぬかも分からない。だからアンタは安心して歩いとけ。いきなり知らない女に絡まれることはないから」
そう言って向けられた少し硬い笑顔は、まるでこの話は終わりだと言わんばかり。その表情を見た瞬間、胸が一気に苦しくなった。
もしかしたら牽制されたのかもしれない。私が馴れ馴れしいから、吸血鬼とはそういう関係にならないぞって遠回しに伝えてきたのかもしれない。
前ならもっとはっきり伝えてきたはずなのに、わざわざ表現を選ぶ気遣いが余計に苦しい。それだけ距離が縮まったってことなのに、だからこれ以上は駄目だと言われている気がして。
心臓がうるさい。口が震える。だけどこれにちゃんと答えなきゃ、全部が終わってしまう予感がする。
「……よ、よーしよしよし! なら私は堂々とキョンキョンをいじり倒しながら闊歩します!」
言いながら、軽く駆け出して。キョウから表情が見えないくらい離れたところで、やっと私は彼の方へと向き直った。
『人間にうつつを抜かすのはいいけど、ほどほどにしとけ?』
『こっち側に連れてこれる奴ならいいけど、ハンターは違うだろ?』
麗様の忠告が頭の中に響く。ハンターの仕事を優先すると言うキョウは、間違いなく〝こちら側に連れてこられない〟相手。
だからきっと麗様の言うことは正しい。その先がないと分かっている相手との未来を夢見たって苦しいだけで、何の意味もない。
もしかしたら麗様が私に一ヶ月も時間をくれたのは、それを受け入れるところまでを含めてのことかもしれない。だって好きだってことは一晩で理解してしまったから、一ヶ月なんて長すぎる。それだけ時間をやるんだから、もっと別の答えを用意しておけ――そう、遠回しに伝えてきたのかも。……だけど。
「なんでアンタはそう落ち着きがないんだ……」
歩いて私に追いついたキョウが呆れながら言う。そのまま私を追い越して、でも止まったままの私にこちらを振り返って。
「どうした?」
ちゃんと私を見てくれるこの人を、今すぐに諦める方法が分からない。
「ううん、相変わらずお顔がいいなーって思ってただけ!」
「……そうかよ」
どうしたらいいのか分からない気持ちを抱えたまま、私はキョウと一緒に夜の街を歩き続けた。




