【第六話 本音】6-2 キョンキョンが話しかけてきた、だと……!?
ハンター達の拠点での報告を終えた後、私とキョウは恒例の見廻りをしていた。今回は拠点にも目撃情報が届いていなかったから目的地もない。彼の担当範囲である新宿近辺をうろうろしている。
BGMは私の話し声。キョウは相変わらずおちょくらない限り無反応。うん、いつもどおり。
「――なんで言わなかった?」
次の話題を探すためちょっと口を止めた時、隣から聞こえた声に私は思わず目を見開いた。
「キョンキョンが話しかけてきた、だと……!?」
「用があれば普通だろ。で、なんでだ?」
つまり普段は用がないと。うん、全く意外じゃない。
それに必要以上に話す気がないというのもこの短文から伝わってくる。流石にもうちょっと分かりやすい文章にしてくれと思ったものの、意外と彼が何を指しているのか分かったから今回は大目に見よう。私って本当素敵な大人だな。
「自分達の弱点をわざわざばら撒けって?」
キョウが聞きたいのは私が拠点で吸血鬼用の捕縛道具があることを話さなかったことだろう。
でもそうほいほいと話すはずがない。別に知られたところで困るものでもないけれど、例えばこれでキョウが誰かに唆されて預けた手枷をくすねてしまえば面倒臭いことになる。と言ってもいつも見廻りから解散する時に返してもらってるけれども。
「協定があるんだろ? 第一、俺達に対してそこまで危機感を持つ必要が?」
少し自虐的な笑みを零しながらキョウが言う。気持ちは分かるけれど、キョウってやっぱり結構こじらせてるよな。まあそういう表情も格好良いからなんでもいいや。
「人間は入れ替わりが激しいでしょ。いつ過去の取り決めを反故にする奴が出てくるか分からない」
「操れるくせに」
「だからだよ。操って支配するってことは、それは一度じゃ終わらないってこと。強制的に意識を変えるんだもん、新しい人が入ってくるたびに同じことをやらなきゃいけなくなる」
「まさかお前達が俺達に手を出さないのは……」
キョウの整った顔が歪む。ここまで言えば流石に気が付いただろう。元々彼は敏いし、吸血鬼に対する信用だってほとんどない。
そんな相手にはもう隠しても仕方がないから、私は顔に笑みを貼り付けた。
「気付いた? そうだよ、ただただ面倒だから。お互い良い距離感でいることでそういう手間を省けるんだったらその方がいいでしょ?」
「……クソッ」
衣擦れの音の方に目をやれば、キョウが拳を力いっぱい握り締めているのが分かった。想像していたとおりの反応に何も感じていないはずなのに、私の目は彼の手に釘付けになってしまう。
おかしいな、良心でも痛んでいるのだろうか――ふと浮かんだ考えを、それはないなと追い払う。だってわざとこういう言い方をしたのだから、いちいち後ろめたさを感じる必要はない。
本当は嘘を吐くことだってできた。言葉を取り繕うことだってできた。
だけど私はそのまま言うことを選んだ。こういう反応が来ると分かっていたのに、なんとなく上辺の言葉を探すことが嫌だと思ったから。
「俺達は……お前達の気まぐれで生かされてるだけか……!」
キョウの絞り出すような声に息が苦しくなる。そんな大袈裟なものじゃないと訂正したくなったけれど、彼からすれば大して違いはないのだろう。
「言い方によってはね。単純に私達は人間のことにそこまで興味はないってだけだよ。言葉通り住んでいる世界が違うんだもん、縄張り争いをする気もない。外界より私達の世界の方が吸血鬼にとっては住みやすいしね」
私達吸血鬼がノクステルナに籠もるのは、あの世界には夜しかないからだ。人間だった頃の名残でなんとなく空の色によって昼と夜と呼び分けているけれど、実際のところはずっと夜。どういう仕組みであんな世界ができたのかは分からないものの、太陽を気にしなくていいのは楽だから自然とみんなあちらを好む。
だから外界も自分達のものにしようって声はあまり聞かない。たまに若い吸血鬼が万能感に酔いしれてそんな騒ぎを起こすこともあるけれど、大抵数十年後には黒歴史のように感じるらしい。過去の犯罪歴をもう少しぼかせないかって言ってくる人は大抵そんな黒歴史持ちだ。
だから私にとっては大した話題でもなくて、良い気分転換になったのかさっき感じた息苦しさが和らいでいくのが分かった。
だけどキョウには違ったらしい。細めの目をキッと吊り上げて、それまで耐えていたものを吐き出すように口を開いた。
「住みやすいんだったらずっとそっちにいればいいだろ!? こうやってちょっかい出してくるから面倒なことになるんだ。縄張り争いする気がないんだったら自分達の縄張りから出るな!」
「できればそうしたいよ。でも勝手に出ていっちゃう奴らがいるんだもん、そういう人を放っといたら人間は彼らに支配されかねない」
「出ないようにしろよ!」
そんなの私に言わないでよ――無遠慮に浴びせられるキョウの怒声が私の気持ちをささくれ立たせる。やり過ごしたはずのもやもやとした感情は一気に育って、私の腹の底から苛立ちを引き出した。
「出ないようになんてできないの! 人間だって犯罪は駄目ですってみんな知ってるのに犯罪者はいなくならないでしょ!? 私達は元々人間だって言ったじゃん、そのあたりは人間と変わらないの! それとも人間はそんな高尚な生き物なの? 違うでしょ!」
「アンタに人間の何が分かるんだよ! 元々人間? アンタ見てたら到底そうとは思えねェけどな! 見てくれも行動も真似してるけど、アンタ自身には人間っぽさの欠片もないじゃねェか! そんな奴が人間はこうだって御高説垂れてるんじゃねェよ!」
「――ッしょうがないじゃん分からないんだから!!」
ああ、駄目だ。頭が熱い。感情が制御できない。
驚いた顔のキョウの目には紫色の目をした私が映っている。今はそれが無性に嫌になって、ぎゅっと瞼で覆い隠した。
「私だって知りたいよ、普通の人間がどういうこと考えててどういうことに悩んでるのか! 昔は間違いなく人間だったけど、人間としてちゃんと暮らせたのは四年ぽっちなんだから分かるわけないじゃん!」
目を閉じたせいで自分の内側が迫ってくる。見ないふりをしていた劣等感が、足元から私を飲み込もうとしてくる。
逃げるように瞼を開けたけれど、視線はアスファルトから上げられなかった。キョウを怖がらせないためだと心の中で言い訳してみても、ただ直視したくないだけだろと耳元で薄暗い感情が囁く。
「私だって人間として生きてみたかった! だけどできなかった! みんな人間なんてって馬鹿にするけど、私は馬鹿にできるほど人間の考え方が分からないの! だから分からないなりにたくさん見て考えたの! でも本物はッ……やっぱり分からないよ……」
ずっと人間として生きていれば、人間の良いところも嫌なところもたくさん体験して知ることができたんだろう。だけど四年間じゃ何も分からなかった。人間として誰かを好きになることも、嫌いになることも。暮らしに不満を持つこともなければ、老いに怯えることもなかった。
私の中にあるそれらの情報は、他の誰かから聞いたものばかり。吸血鬼になったことを後悔したことはなかったけれど、その事実はずっと胸の中からどいてくれなかった。
外界に来るたびに人の生活を真似るのは、情けない悪足掻きなんだろう。好きなことではあるけれど、好きという感情の根元には後ろ暗さが眠っている。
でも一気にたくさん叫んだお陰で、だいぶ気持ちは鎮まってきていた。目の色だって元に戻った感覚がする。
急に紫眼になったことでキョウはびっくりしただろう。怖がらせてごめんね、何もしてないよと謝らないといけないと分かっているのに、なかなか視線が上げられない。
「アンタは……――クソッ、アンタの事情なんて知るかよ!」
キョウの声が、少し変わった気がした。でもどうして変わったのか分からなくて、表情を見るために早く顔を上げろと自分に言い聞かせる。
深く息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。二回、三回と繰り返して、やっと身体が言うことを聞いてくれそうと思った時だった。
甲高い悲鳴が、遠くから聞こえた気がした。




