【第六話 本音】6-1 んで夜の街に繰り出そうぜ!
十一月は日の入りが夏よりも早い。午後四時といえばまだおやつの時間を少し過ぎたくらいなのに、この季節はもう夕方と思えるくらい空が青さを弱めているだろう。
雨戸を閉め切った屋敷の中にいる私は気軽にそれを見ることはできないけれど、部屋に入ってくる空気の匂いでなんとなく分かる。ああ、昼間が終わっていくんだな、もうすぐ夜が来るんだなって。遠い日の記憶がかすかに刺激されて、頭の中に夕焼け空が浮かぶのだ。
だけど繰り返す。まだ四時だ。地軸の傾きに騙されちゃ駄目、逢魔が時には早すぎる。なのに――
「プリンタが……壊れてる……!」
何度やり直しても怪奇現象が如くカスッカスの文字しか印刷してくれない文明の利器に、私は慌てて部屋を飛び出した。
「――目詰まりだねぇ」
のほほんとした調子でレイフが言う。屋敷の掃除中だった彼は文句一つ言わずに私に引っ張られて来てくれたけれど、演技でもいいから緊迫感は私に合わせて欲しかった。
「目詰まりなら直ります!?」
「うーん……さっきからクリーニング運転してるけど駄目みたい。これいつ買ったんだったかな……うわ、二〇〇七年モデルだって」
「最近じゃん!」
「こういう機械の十五年は僕らにとっての百五十年だよ。それにこれ、買った直後くらいしか使ってなかったんじゃないかなぁ。そのパソコン買い替えた時にセットアップはし直したけど、印刷機としてはずっと働いてなかったはずだよ。そりゃ目詰まりも頑固になるよね」
当然のようにレイフは言うけれど、あんまりパソコンなんて使わない私にはなかなかピンとこない。ただ印刷機としてずっと使っていないということは、中でインクが詰まっていればカチコチに固まってしまっているんじゃなかろうかという想像だけはつく。それはつまりそういうことだ。
「じゃあ……直らない……?」
「今日中は無理なんじゃないかな」
レイフの言葉が私にトドメを刺す。「ちゃんと毎年テスト印刷してればよかったね」と申し訳無さそうに言われるけれど、誰も使っていない機械なんじゃそうだそうだと責めることもできない。
「でもどうしよう……これどうやって印刷しよう……」
ちらり、ディスプレイに表示されたお硬い文書に視線を移す。慣れないワープロソフトを使って打ち出したそれは紙に書き出さねば使えない。手書きという手もあるけれど、今回ばかりはあまり好ましくないらしい。
「それ閲覧範囲どこまでのやつ?」
「公開用です。こっちのをちょこちょこ訳しながら抜粋してて……」
こっちの、というのはパソコンの横に置かれた紙の束のことだ。内容は全て吸血鬼の使う言語で書かれている。私達が見る分にはそのままで全く困らないのだけれど、今日はこれを人間に見せたいのでわざわざ作り直していたのだ。
レイフが閲覧範囲を聞いたのは、執行官しか見ちゃいけない資料かどうか確認したかったからだろう。確かに彼ならそういった資料が自分の目に入るのを嫌がるだろうけれど、今はそんなこと関係ないのに――と思っていたら、レイフは「じゃあ大丈夫だね」と声を上げた。
「それならコンビニで印刷できるよ。USB……は、ないか。スマホでもいいんだけど、一葉持ってる?」
「ないです……でも本当にコンビニでできるんですか!?」
「できるよ。後で一緒にコンビニ行こうか。僕の使って印刷してあげるよ」
「ッ神!!」
ていうかレイフって人間の生活に慣れすぎじゃない? 日本人化が進んでいるとは思っていたものの、これで日の下を普通に歩いていたらただの日本好きな外国人だ。
とはいえそのお陰で致命的な問題が解決したので、私は意気揚々と出かける支度を始めた。
§ § §
「浅倉一葉です。諸々報告に来ました」
無愛想なおばちゃんに告げた後、私は見覚えのあるエレベーターに乗り込んだ。ここは数日前に来たハンター達の東京拠点。相変わらず受付は静かなのに、チンと鳴ったエレベーターの扉が開けばそこには喧騒が広がる。
私を見たハンター達は一瞬動きを止めたものの、すぐにまた各々それまでしていたことを再開した。でも意識の一部はこちらに向いているのが嫌でも分かる。まあ別に鬱陶しいだけで害はないんだけどね。
私は広いオフィスを見渡して、こちらを見ているキョウを見つけるとぶんぶんと手を振った。相変わらず嫌そうな顔を返されるけれど、これもいつものことなので気にしない。ていうか今日来るって言ってあったのに嫌な顔するって、キョウってば心の準備下手くそだよね。
「それは?」
自分から近付いてきたキョウは、私の持っているものを見て小首を傾げた。さっきレイフと行ったコンビニで買った角2サイズの茶封筒の中には、これまでにキョウと共に捕らえて連行した二名の従属種に関する報告書が入っている。
今日はこれを持ってこなきゃいけない予定だったから、さっき印刷できなくてめちゃくちゃ焦ったのだ。もっと余裕を持って作業しろと言われてもしょうがない、だってベースとなった資料自体手元に届いたのが昨日だったんだよ。私のせいじゃないんだ。
「報告書だよ。見る?」
「いいのか?」
「別に大したこと書いてないもん」
「……それを俺達に渡すってどうなんだ?」
どうなんだろう。でも詳細を書いたとしても、前提となる情報をハンター達は持っていないからちんぷんかんぷんになるだけだと思うんだよな。
「まあいい。でもこれだけならわざわざ来る必要あったのか? データで送れば十分だろ」
薄い封筒を見てキョウが不思議そうな顔をする。これだけならっていうのは大して中身のない報告なら対面で補足もいらないだろってことだろう。確かにそうなんだけど、そうはいかない事情が色々とあるんだよ。
「執行官が直接渡すってことに意味があるみたい。あとうちネット使いづらくて」
使いづらいというか、外界でしか使えない。だからネットをしたい時は外界まで来なきゃならない。私は最近外界の屋敷にずっといるからいいけど、ノストノクスはネットが通ってないから意味がない。インターネットの利便性とは、って問いかけたくなるね。
「今時そんな場所あるのか?」
「あるんですー。なんだったら電気も少ないの。これはうち用の報告書を元に私が一生懸命キーボードぱちぱち叩いて作ったんだけど、普段は手書きだからね。タイプライターだって現役だよ」
「……いつの時代だよ」
令和だよ、舐めんな。と言いたい気持ちをぐっと堪え、「やだやだ、これだから文明っ子は」と溜息を吐く。
キョウが生まれた時には周りにいろんな物が揃っていただろうけど、こちとら文明開化をリアルタイムで体験してるんだよ。電話の登場にびっくりしたのに今じゃあれだけ普及した固定電話が廃れてきてるってどういうことだ。そして小型化されたと思ったらパソコンとそこまで遜色ない機能持ってるって何? ちょっと前に携帯電話を手に入れてテンション上がってたけど、今じゃガラパゴスとか言われてもう使えないって時代の変化をただただ眺めてるので精一杯だよ。
とまあそんな日々を送っているものだから、文明が百年くらい戻ってもすぐに慣れると思う。日本が一ヶ月完全停電したって多分余裕で暮らせるぞ、私は。最近の夏の暑さは辛いけど。
「ま、これちゃっちゃと報告しよ。んで夜の街に繰り出そうぜ!」
「遊びじゃないんだが」
キョウはそう言うけれど、私にとってはあまり変わらないんだから仕方がない。
私達はおじさん二号のところに行くと、恭しく挨拶してくる彼を適当にあしらいつつ件の茶封筒を差し出した。
「――お渡しした報告書にもありますように、この二名のモロイはそれぞれ別の上位種によって転化させられたことが分かりました。つまり少なくとも二名の上位種がこの近辺にいるということになります」
二号が一通り目を通した頃を見計らって言えば、隣りにいるキョウが凄い顔でこちらを見てきた。これはきっと話している内容のせいだよな。決して私の言葉遣いとかにこにこ笑顔のせいじゃないはずだ。
「その二人の目的は? 手を組んでいるのでしょうか?」
二号が不安そうな様子で私に問いかけてくる。太り気味の身体を包むシャツに若干汗を滲ませているのは、彼が一応事の重大さを理解できるということを表しているのだろう。
「残念ながら今回捕らえたモロイはどちらもそのあたりについては知らないようでした。モロイにするだけして放置していたのもただの愉快犯とも取れますし、もしくは彼らの理性がなくなるよう仕組んでから何かする気だったのかもしれません」
「何か、とは……?」
「そこまではまだ。ただ意図して手駒を増やしているのであれば、大きな混乱を狙っている可能性もあります。そういった企みがあろうがなかろうが、とにかく今は一人でも多くのモロイを捕らえ情報を集めたいところです」
「……モロイを殺すなということですか?」
「できればそうしていただけると助かります。彼らを殺す技術に特化したみなさんにとっては、不慣れなことをお願いしてしまうことにはなるのですが……」
「そうですね……我々の武器はいかに効率良く命を奪うかという目的で作られています。捕まえるとなると……」
窺うような顔で二号がこちらを見てくる。これはあれかな、何か便利道具あればよこせって目かな。
でも常に見ていられるキョウはともかく、他のハンターにまで私達の捕縛道具を渡すのは避けたい。というかあれは上位種のために使いたいのであって、モロイには使う必要なんてないのだ。……私達は、の話だけど。
「捕まえられたら、でいいですよ。無理に捕まえようとしてハンターの皆さんが命を落とすようなことがあってはなりません」
私が相手の要望を無視してにっこり笑顔を返すと、二号は落胆したようにほんの少しだけ表情を曇らせた。
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