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婚約破棄を受注すな

作者: 湧水庵

初投稿処女作です。あまり甘さのない話かもしれません。よろしくお願いします。

 

「エレオノーラ、婚約破棄しよう」



 こう王子が告げたのは、煌びやかな装飾が眠れぬ夜を彩る王宮のパーティ会場で。


 その中でもとびきり輝く金髪と翡翠の瞳の持ち主は、冷ややかな目線をこちらに向け、上記の言葉を発した。


 その後は『私』のいる空間で息すら吸いたくないと口を引き結んでいる。彼の腕には、おずおずとした潤んだ瞳の、しかしその内にたしかな愉悦の色を含んだ可愛らしい令嬢がもたれかかっていた。

 会場内は静まり返り、ゴシップ好きな貴族特有の、好奇心や悪意がない混ぜとなった目線がまるで突き刺さるみたいね。


 王子が呼んだのか衛兵たちが私の腕を捻りあげ、そのまま神にでも跪くように押し倒される。これから私は、身に覚えのある罪を淡々と告発されていくのだった……。








 なんていうこともなく。



 たしかに言を発したのはこの国の王太子だが、彼の髪は漆黒で、こちらに向けられていない瞳の色は紫苑だ。


 冷ややかでも熱を孕んでもいない死んだその色で、書類を上から下に眺めている。彼の隣にあるのは麗しい娘ではなく彼の承認を今か今かと待っている書類たちの山だ。

 そして場所も、同じ王宮内ではあるが、美しいパーティ会場などではなく、紙と墨と巻物と算盤と死屍累々の文官たちが散らばる執務室である。



「それ、今じゃなきゃいけないことですの……」



 そう返す私は、絢爛なドレスなど身に着けず、長ったらしい髪をバンドでまとめ、目の下にクマをこさえて手を汚していた。


 別に遊んでいるわけではない。


 インクが乾くギリギリの時間で筆を進めているので、乾き切らなかった分が手に付着しているだけだ。時折近くに置いた濡れ雑巾で拭っているので、書き途中の書類にはつかないよう気は配っている。



 私たちの集中が切れてきていることを察したのか、王子に完成させた書類を確認してもらっていた秘書官が、給湯室へ向かう。恐らく茶でも淹れてきてくれるのだろう。絶対に離脱など許してくれない姿勢だ。

 そんなご本人も、暗黒のぐるぐるおめめをして睡魔&疲労連合軍と王太子への忠誠心の狭間で熾烈な争いを繰り広げている様子。見上げた姿勢ね。見習いたくはない。


 膀胱がまずくなると不味いので、私の分はいらないとふらふらの背中に声をかけておく。大丈夫かしら。聞こえたかな。最悪寝そうになっている新人にぶっかければ勿体ないことにはならない……かもしれない。


 あダメだ。濡れた服を着替える時間はない。べちゃべちゃのままできる仕事とは? 銅鑼叩く役とかかしら。


 思いを馳せて眺めた天井。あ、シミてる。……。


 手元以外の景色を久しぶりに見て遠近感がバグったのか視界が揺れる。眩暈がするがこんなもの3秒でもじっとしてれば治る。治らなかったらそのまま文字を追う。疲れたなぁ。


 私の意識はもう逸れまくっていたが、王子はまだ話を続けるようだった。



「ほら、ここは地獄だろう?」



 何を今更仰る。



「だが、こんな状況も優秀な君がいなかったらさらに酷いことになっていただろう。最悪国の中枢機能がストップしていたかもしれない。それをギリギリのところで押し留めているのは君の力あってこそだ」

「もったいお言葉ですわ。しかし、私のような小娘などおらずとも我が国の誇るべき文官様達だけで十分でしょう。私の手伝いなど微々たるものです」

「それ、本気で言っているのか?」



 うん、別に心からそう思っているわけではないが、王子の本気で正気を疑うような目線はイタダケない。心なしか潰れかけていたはずの文官達からの目線も痛い。そんな元気があるなら一刻も早く文書を仕上げなさいな。


 国政に本来なら関われないような小娘は、“王太子妃候補”というご立派な肩書きによって、王妃教育の一環だと無理やり座らされているんですよ。無償なんですよ!?!?なんなら今までの苦労した分として国庫食い潰す勢いで贅沢してあげましょうかえ゛ぇ!?!?


 ・・・・・・

 気まずい空気を一掃しよう。こほんこほんと空咳をする。喉がカラカラなことに気づいた。やっぱりお茶をもらうべきだったかしら。



 キラキラしい将来を約束されたはずの私たち、王太子とその婚約者withエリート文官ズが、なぜ書類と仕事に追われて20は老けた顔を晒しているかと言うと、前の世代がクズだったからです。それしかない。


 国民の税金を使い倒す勢いで服飾品や美術品やらを買い漁る王妃、それを諌める立場の王は酒肉に溺れ、そのくせ政に余計な口を挟む。後宮を3倍に広げろとか。酒の原料となる麦の生産量をもっと増やせとか。生産にはバランスというものがあるというに。

 国を憂うフリをしながら自分も好き勝手をする高位貴族。それに追従するため自領地の民を供物に捧げる下位貴族。飢える、他国に逃亡しそこで迫害される、市井で犯罪が横行するなどなどエトセトラで三重苦どころではない民たち。


 前の前は大きな発展はないものの穏やかな統治をしていたのに。クズが煮凝ったような輩しか生まれなかったのかこの世代は。表面上はなんとか取り繕っているが、もはや緩やかとも言えずに滅する運命を辿る我が国だ。


 そんな現状に幼き頃から危機感を抱き、わずか10歳にして国の立て直しに乗り出したのが我らが敬愛すべき王太子と、少数ながらも国を想う熱きハートを持った仲間たちだ。


 そして同じ頃、革新派に属している父によって結ばれた王太子との婚約で、素敵な王子様と結婚できるのだと素直にはしゃいだ純粋な私(当時8歳)は時代の渦真っ只中に関わることになってしまったのだ……。まことに遺憾です。


 国を支えるもの同士、一緒に勉強しようと言われ、てっきり王妃教育という名の花嫁修行程度で王子様とお茶会して美味しいお菓子がうふふふ、とほわほわしていた私の前に重なったのは、ふわふわパンケーキではなく教書の山。しかもこの山なくなるどころか増えるやつ。パンケーキは食べたらなくなってしまうのに。


「?????」のまま、ひたすら教師の指導を受け、やたらややこしい問題が出たなと思ったらなんと現実に起こった案件の対応策改善策として起用されていた。


 幼女の案を最終稿まで持っていくなと言いたいが、まさに猫の手も借りたい王太子陣営にとって、まろいおててで書かれた拙い意見もとりあえずやってみる価値ありとみなせば実行まで行ってしまった。しかもなまじっか微妙に成功してしまい、砂糖の海に溺れるつもりが重要書類の山に埋もれる青春を送る羽目に。


 学園に通うようになって息をつく暇はできたが、仕事の癒しを学業に見出してる時点で、幼い私の想像していたキラキラ学園生活が遠いものだと気づいた時の絶望が分かります?


・友人との交流は授業かクラス会かランチタイムのみ。

・放課後は甘い笑顔を携えた婚約者と胃薬と眠気覚ましと共に馬車で王宮へ直行。


 愛されてるわ~という呑気な声に空笑顔を向けるのにも気力がいる。


 そして政務政務政務たまに学校のイベントでまた政務、適度に現国王派やらに邪魔されうっぷんを晴らすために暴れる妄想をして表面上は軽く流し、吐いた文官の背を摩りながら予算の計算を急がして治安維持に走る騎士の尻を蹴飛ばす。

 マルチタスクすぎるし、本来王太子妃は毛ほども関係ないはずの分野にまで手も足も口も出して頭をひねって下げて責任を負う日々。


 高位貴族令嬢のくせに何の装飾もなく、一回結んだだけの軽い髪型をしていると言えばこの苦労を分かって頂けるかしら。華美な髪型だと、頭を下げたときにバランスが取れないし崩れちゃうからですよ。

 ペガサス盛りとまではいかなくとも私だってかわいい小物でキラキラに飾り付けて編み込んでをしたい気持ちは勿論ある。ありまくる。気を遣ってそうしようとしてくれた侍女たちにこちらも気を遣って崩れちゃうから…と断る精神的苦痛や如何程のものか!!


 私の装いは謙虚で清貧な次期王妃としてイメージアップを図りつつ模範とされているらしい。

 そう称えるご令嬢ご婦人たちのキラキラしい武装にショボショボの目がさらにダメージを受けるので、ぜひ参考にして実行まで繋げてほしい。


 とりあえずシンプルな服装でも見劣りはしない程度の顔に生んでくれた両親と、スタイルを維持している私と侍女たちと料理人たちにはなんか賞とか贈ってほしい。慰労休暇でも可。


 閑話休題。


 目の前に、ごとりと茶器が置かれた。ティーカップでは指を差し込むときに震えて割る恐れがあるので、掌全体でぐわしと掴める形状のものだ。

 これを使ってみてからの思いがけない利点として、腱鞘炎になった指の付け根を温めると痛みが和らぐということが分かった。お役立ち情報として後世に残していきたい所存です。



「それで、殿下。先ほどのお言葉の意図は?」



 隈の色濃い目元をグッグッと押している秘書は、お茶を届けたついでに王太子に尋ねることにしたらしい。せっかく話題を逸らそうとしたのに。



「やっと聞いてくれたな!うむ。実はエラとの婚約は破棄して、代わりにユリアナを王妃にしようかなと考えてな」

「ユリアナ嬢ですか?そういや最近仲がよろしいとか……。え、彼女ですか?嫌ですよ私は反対です。彼女に王妃は無理ですよ出来るはずがないです」

「なんだすごい反対するな。美人だぞ?」



 王子の返事にウェッと顔を顰める。秘書も同じ気持ちなのか、死んだ目をしていた。これはいつもか。



「顔なんて外交と王の機嫌取りと慈善事業にしか使えませんよ。そして私は対外事業には関わらないのでその恩恵を受ける可能性は低いですし、求める王妃像は公的文書を一度の直しもなく仕上げられる方です。あの方は絶対あと二行くらいまで行ってからちょっと休憩!気合い入れるぞ~☆って伸びをしたことでインク壺を机の上の全てにぶちまけるタイプです」



 普通の王妃は文書の作成とかしないんだけどなー。なんならふわっとした政策だけ言って細かいところを詰めるのも文書にして公表するのも部下の仕事だよ。王妃には筆耕のスキルなんて本来必要ないはずなのに余計な技能ばっか身につけていく日々。身を飾るなら美しい細工物が良いなぁ。



「そりゃ、たしかにしそうだけれども!ありありと想像できるっていうか実際それ生徒会でやって周りの人間の血の気が下がった顔を目の当たりにしたけども!あの子の容貌と愛嬌は才能だよ。対人関係においてこれ以上使える女は見たことない」

「たしかに魔性の女というスキルがあったらスキルマスターの名をほしいままにしていそうですわね。でも、嫌です」

「頼むよ~エラ~。な?……そろそろ、婚約者を紹介しろってさぁ。うるさいんだよ」

「どこですか。南?」

「『色欲』の南と、『嫉妬』の西。それにのっかって『傲慢』の北も来るだろうなぁ」

「あら勢揃い。西もですか?そんな大した度量の男でしたっけ。」

「ほら、うちの、ティンバートンとこの長男。いたろ?あんな感じでさ。こっち有利でいけそうだなって」

「筆頭侯爵家の……。そういやユリアナの熱心な信奉者だとか。良い前例がありましたのね」



 御年276歳の大司教様の骨よりもスカスカそうな、風前の灯火だった我が国が、なぜまだ国として存立できているかと疑問に思う方もいるだろう。力のある隣国たちが富国に専念してくれていて、さらに我が国が国際法的にも手を出しづらい立地にあったのが助かったのだ。絶対安心ではないけれど、ひとまず互いに抑止力となってくれているのは良い。


 外交を進めていくにつれて、それぞれの国に対する印象が王子と一致したのにはキュンときた。上司と取引先への意見が同じだと、話が進めやすいから。

 あだ名も統一した。エロ変態ジジイの治める南の王国。神かなんかが舞い降りた地として自分ら民族以外の人間を下に見ている北の神国。あと会うとブツブツ言っててネガティブくらーい雰囲気の新領主が治めてる西の公国。ちなみにうちはクソ権力振り回し王族がいる東の王国だ。

 それぞれの特徴を表して、色欲、傲慢、嫉妬、強欲で表してる。思いついた時はうまいこと言えた! とウキウキしたが、数日して冷静になると、大国のトップが軒並み性格破綻者しかいないって大陸ごと滅んだ方がいいのでは…? と真剣に思った。住んでいるその他大勢大多数は善良な市民だと気づけて心底よかった。


 『色欲』の王。その名の通り色狂い。気に入った娘を強引に食い散らかす悪癖は、国内だけでなく周りにも被害をもたらしていた。最近のマイブームは近隣国の婚約発表パーティに赴き、幸せを約束された令嬢に手を出すこと。連れ去られた娘が後日ボロボロの状態で、何かに怯えるように口を閉ざして発見されるらしい。絶頂にいたはずの若者たちが陵辱され、証拠も掴めない。恨む先はあれど晴らせない。海航を支配する貿易大国で、大陸の3割を占める穀倉地帯を持つ南の国には、ちゃんとした証拠を見つけられても文書で抗議するくらいしかできない。泣き寝入りした小国には同情する。


 そんなところが、うちの王太子に婚約者を紹介しろという。バリバリ狙われてますわね! かの国との交渉は理由をつけて完全に男の外交官で固めていたから、段階飛び越えて王太子妃狙ってきやがった。


 また、『嫉妬』の若い領主は家柄容姿血統能力etc.のコンプレックスガチガチ男だ。うちのティンバートン家の跡取りも、優秀で人望のある弟との関係が拗れに拗れて一部領地が燃えたことがある。それがユリアナ嬢と知り合った途端彼女を崇拝しだし落ち着いたのだから、このタイプの男のコントロールなど彼女にとっては容易かろう。政治に携わるものとして、再現性の高いものは支持したい。あそことの関係が落ち着くと、滞っていた事業もスムーズにことを進められるようになる。


 今の我が国は国内のことで手一杯。だけど、先を見るなら周りとの関係も強化していきたい。自分の国のことなら出来る人は多いが、他の国が関わってくるなら、より確実で、先の見える人選が欲しい。仕事ばっかでろくな社交性もない私より、王妃として魅せられる可能性は大事でしょうね。


 いつものように、提案に対して有益かどうかをつらつらと考えてしまう。たしかに彼女の才能は私も認めている。私にはできない分野において彼女の可能性は無限大だ。金の卵を産むだけでなく己が金だと思わせる力がある。例え実際はメッキであろうとも。


 

 でも、こちらとしては絶対に覆したくない不利益がある。



「ぜぇったいに! イヤです」



 ジッと、紫苑の瞳を見つめる。



 昔、見慣れないメイドが教えてくれた、色水の作り方。赤いガーベラと青いアイリスを千切って水に入れて振って溶け出し混じったあのときの色。たのしいときは少し赤みがかって、疲れて椅子で寝るときは青みがかって見える目。この色に映る国を見てきた。これからもみていきたいと願ってた。


 この国に、好きなものはたくさんある。家族、友人、ドレス、アクセサリー、お菓子、建築、音楽、侍女、部下。山が好き。河が好き。森が好き。猫が好き。光り輝く鉱物が好き。仕事は好きではないけれど、この紙切れの先で守れるものがあると分かっている。好きなものに繋がっていると知っている。


(だけど、それだけじゃないの。愛しているものがあるの。守りたいの。支えたいの。共にありたい。離れたくない)


 好きなものを我慢できるのは愛だ。嫌なことを我慢できるのも愛だ。家族との安らぎも友人との楽しみも、美しいドレスも心躍る宝石も。正しい姿勢を維持するため引き攣れる背筋も、墨に染まりペンダコで歪む指先も、敵対者をヒールで蹴り飛ばして捻った足も。天秤にかけたら浮いてしまったんだ。

 

 離さないで。離れることを、許さないで。


 ぐぐ、と伸びた彼は、肩を回しながら椅子を引いて立ち上がる。そして、すぐ傍の私の机の前に回ると、私に目に映る感情を覗き込むようにした。そうして王太子は、ふむ、とひとつ頷く。眉を顰め、唇を突き出し、緊張で顔が強張る私に向けて、


 にやりと笑った。



 ───は???!!!!!?????


 いや貴様何わろてんねんこっちに死活問題に関わる不快な案件聞かせといてさぁ最初聴き間違えたとして二度と話題に上がらないようにスルーしようかちょっと悩んだんですよそんくらい嫌なことを人にしてるんですよ分かってますかねぇいやほんと何笑てんねん!!!???!!!!!!!!!


 目を見開く私に、「うれしー。俺愛されてんなぁ」とニヤけたツラのまま殿下が言う。



「知ってるか? 古代には、王の墓に部下が共に埋葬されていたらしい。死出の旅路にまでお供してくれるなんて、慕われてんな〜。王妃には別の墓が用意されてんのにな」

「死んでも上司と一緒なんて。いい迷惑ですわね。心休まらなくて、同情します」

「えぇ〜こんなに良い王様捕まえといて、ひどい! 彼女はこんなに俺に貢献してくれましたって、神に奏上してやるのに」

「神のいらっしゃる天国なんて門前払いされますわよ。貴方にお似合いなのは地獄ですわ」

「そう? 君もね。感性が合うな、俺たち」



 ぐぅっと喉が鳴る。



「王妃エレオノーラはいらない。一歩後ろにいる王妃はユリアナがいい。でも、俺の隣で一緒に仕事をするのは、エラじゃないとダメなんだ」



 媚びるように、少し下から見上げる目線。茶器を握り締めていた指をひとつひとつ解き、硬くなった胼胝(タコ)を愛おしむようにさする。


 ずるい。心底そう思う。いっつもそうだ。小出しに情報だけ与えて。直接的な言葉はくれない。こっちが都合良く受け取るだけだ。色狂いの前に君を晒したくない。危ない目に遭わせたくない。死が二人を分つまでしかない妻より、死後を共にする部下に。王として在るために、1日のほとんどを共にする同僚として。王妃の立場よりも、傍に居られる立場に。私を必要としていると。


 そう、言ってくれているのだと。言いたいはずなのだと。私だけは分かってあげないとなんて。自分に自分で呆れる。言葉に出されていない思いに、自分勝手に期待して裏切られるのは目に見えてる。


 でも、『国を支える者同士、一緒に』。幼いときの、この約束は未だ違えてないから。だから。


 ちょうどよく王太子が取り出してきた、婚約破棄に関する諸々が書かれた書類に目を通し、よくもまぁ用意周到なこと、と鼻で笑って、署名欄に記入。

 しっかり蓋を閉めていたインク壺を開け、筆を浸す。たっぷりと湿らせたそれを、べちゃりと利き手じゃない方の掌に当てた。そのままぐりぐりと、全体を染めていく。


 そして、空欄部分にバンッと押し当てた。


 俺の書くところなくなったんだけど!と喚く王太子に、せいぜいキツキツに細長い字で署名しろと思いながら、手を雑巾で拭く。使える面がなくなってしまった。早く洗わないと落ちなくなってしまう。



「え、さっきの話で行くと、俺らも王太子が死んだら一緒に埋められるの?生き埋め?」

「やだやだ俺は奥さんの胸に包まれて死ぬんだ!!!」

「私は息子が最近気に入ってるお砂場に埋まる予定だからよろしく」

「元気そうな貴方たちに仕事をあげるわ。この雑巾洗っといて。あとこの部分意図が伝わってこないから説明付け足しなさい」

「エレオノーラ嬢これからも(王太子のお世話)よろしくお願いしますね!!!! 行ってきまぁす!!」



 調子のいい部下たちに、此れらとの付き合いも長くなるんだろうなぁ……王妃になるならもう会わないかもしれないと最近優しめに対応してたけど、厳しくしても良いのよね、と笑う。


 さて、もう一踏ん張りしますか。


 その前に、そろそろヤバくなってきた膀胱を救うため、お手洗いに向かった。




♢♢♢♢♢




 のちの時代。即位した王太子は、幼少のみぎりから国を思い数々の偉業を成し遂げた賢王としてその名を残した。彼と共に愚かな先王を打ち倒し国を立て直した優秀な部下達も、賢人として像が建てられている。

 王妃であるユリアナ妃との大恋愛からの結婚の様子も数多の書に記され、情の深い人物だったとされている。


 低い身分の生まれだったユリアナ王妃は、王の他にも権力の持つ美男子達と恋愛関係にあったようなエピソードがいくつも残されており、一時期は男好きの悪女として評価されていた。また、記録では清貧な聖女と讃えられていたようだが、肖像画は華美なものが多く、贅沢好きな性格だったとも伝えられていた。

 しかしここ数年は、孤児院訪問や留学などに自ら積極的に動き、外交や亜人への差別撤廃に力をいれ、人脈を駆使して国の発展や道徳に支えた女性であったという説が主流となりつつある。


 また、女性歴史家の間で注目すべき人物として最近話題に上がり始めているのが、エレオノーラ・ルツヴァルト女史だ。彼女に関する公的な記録としては、歴史ある公爵家の生まれで王太子の婚約者であったが、ユリアナ妃の登場によって婚約を破棄されたというところまでだった。

 しかし、当時の文書を見ると、国の根幹となる法を立案し公共事業を成功に導いた者としてエラ・ストーンヘッジの名が多く散見される。このストーンヘッジとは元婚約者である王の母親の実家の姓で、エラが愛称だとすると、これはエレオノーラ女史のことではないかと思われる。

 さらに、王の墓や王宮の隠し部屋らしき跡から、親愛なるエラヘ、と記された宝飾品が発掘されており、王妃が二人いた説、公妃であった説、妾じゃないか説、宝石で釣って仕事を頼んでいた説、など様々な意見が論じられている。


 現在も当時の人間関係を深掘りするための史料が調査されているが、現代のわたしたちに出来ることは、情報を集めて推察することしかない。


 当時の人々が何を思い歴史を形作ってきたのかは、当事者たちにしか分からないものである。




 

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― 新着の感想 ―
[一言] 王子という立場は甘ものばかりっていやだな エラは実に妾みたいな感じじゃないか、あるいは影の王妃か、微妙だ
[良い点] 名を捨てて実を取ったわけですね? [気になる点] ところで、お世継ぎはどちらから調達なさったので?
[良い点] そういう感じの『婚約破棄』かあ!と楽しく読ませていただきました。 婚約破棄といえば『ざまあ系』みたいな風潮があるので新鮮でした。面白かったです。 [気になる点] 一行目で王太子に呼ばれる名…
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