遠き日の想い出
昼なお暗き大森林の中に、木々が切り拓かれた広場が存在した。
開拓されたとは言え、大地は緑で溢れている。
そこには2人の少年少女が短い草が繁茂した地面に腰を下ろしていた。
「ヴァル。もう泣きやんだら?」
「だって……。とうさまのしゅぎょうがキツいんだよ」
赤髪の少年――ヴァルは一緒にいた少女に涙ながらに訴える。
如何に父との修行が苦行であるかを。
それを聞いた少女は眉をキリリと吊り上げて一喝した。
「ダメじゃない! そんなのじゃ!」
「えぇ……」
「言ったじゃない! ヴァルは将来、まおう様におつかえしてささえるんでしょ?」
緑髪をツーサイドアップにした少女は仁王立ちすると腕を組んで叫ぶ。
彼女は目の前にいる少年がかつて目を輝かせて語った熱い思いを覚えていたのだ。
ヴァルの夢は魔王に仕えることであった。
魔王の周囲には様々な種族から多種多様な部下が送り込まれてくる。
そのメンバーに入って、この魔大陸で勇名を轟かすほどの猛者になり、魔王を悪しき人族から護る守護者となるのだ。とは言っても現在、魔族と人族の関係は小康状態を保っていた。活躍する――それは即ち再び、戦乱の時代が訪れると言うことだ。
「そうだけどさ。さいきん思ったんだよ。まおう様ってつよいヤツがなるみたいなんだ」
「それがどうかしたの?」
「だってつよいヤツだったらまもる必要ないじゃんか」
ヴァルは魔族が陥りがちの強くなければ魔王ではないと考えているらしい。
そもそも魔族である以上、強くあれ!と言う声を信じているようだ。
所謂、実力至上主義である。
「よわいまおう様だっているもしれないでしょ?」
「そっか。そうなのかな~。よわいとなれないんじゃあ……」
やはりヴァルは弱い魔王の存在など認められないのか、あまり納得できていないようである。腕を組んで何やら考え込んでしまった。
押し黙ってしまった幼馴染の少年の様子を見て、少女は慌ててフォローを入れようと口を開いた。
「そ、そっか、でも“もしも”があるかもしれないよ? にんげんには強いのがいるって聞いたけど……」
「あ、聞いたことある! ゆうしゃって言うらしい。にんげんがそう呼ぶみたいだ」
「ゆうしゃかー。なんか強そうな響きがするね」
「そうなんだよ。だから強くならなきゃならないんだ!」
どうやら無事に精神の着地点を見つけたらしい。
ヴァルの頭の中では勇者から魔王を護る妄想が始まったようだ。
興奮気味に目を輝かせ、その端整な顔を紅潮させている。
「おおむかしのまおう様はゆうしゃと戦ったらしいよ」
「へぇーどっちが勝ったのかしら?」
「ゆうしゃが勝ったって聞いたぜ?」
「まおう様はどーなったの?」
「ほろぼされて消滅したんだよ」
この辺りは魔族の子供なら誰しもが親から聞かされる話だ。
大昔のことはもちろん、直近では先代魔王と人間の勇者の一騎討ちの一節は有名なのである。
「え、でも今もまおう様いるしーまぞくの皆もいるじゃんかーどういうことなの?」
「そんなの知らないよ。俺だって聞いただけだし」
人間の子供と変わらぬ英雄譚好きのヴァルも細かいところまでは把握していないらしい。親や吟遊詩人から伝え聞いた話では全てを網羅できないのである。ヴァルは既に読み書きを学んでいたが、歴史書を読み込めるほどの語学力はない。
「そう言うシャルはなにになりたいんだよ」
「あたし? あたしはねーお嫁さん!」
「お嫁さん? そんなの誰にだってなれるよ」
「いいもん! あたしはあたしにしかなれないお嫁さんになるんだからッ!」
先程からヴァルの傍らで彼のお悩み相談に乗っていたのは、妖精族の少女にしてヴァルの幼馴染のシャーロット――通称シャルであった。彼女は自分の夢を馬鹿にされたと思ったのか、プイッと顔を背けてツーンとした態度になる。
「ヴァルのばか! もう知らない!」
せっかく親身になってヴァルの話を聞いてあげていたのに自分の夢を馬鹿にされ、普段は温厚な彼女も思わず声を荒げる。
急に態度が素気なくなったシャルに、ヴァルが幼心にもマズいことを言ったと自覚した。仄かな淡い桃色が心に灯る。
「ご、ごめん。えーっと……そうだ! なれるよ。シャルはかわいいからいいお嫁さんになるよ! でもへんなのが近づいてきたらたいへんだな……」
そっぽを向くシャルの機嫌を何とか直そうとヴァルははたと考え込む。
どうやらさり気ない一言に気付いていないようだ。
一方でシャルは少し頬を染めていた。
「うんそうだ! 俺がまおう様をまもるようにシャルのこともまもると誓うよ!」
「はえ? ヴァルがあたしをまもってくれるの?」
何やら軽くトリップしていたシャルは慌てて聞き返した。
その顔は齢相応の幼気なものである。
「そう。やくそくだ! いのちをかけてまもると誓おう!」
「ホントにホント?」
「竜族ににごんはない!」
ヴァルはそう言うと右手を左胸に添えて宣言した。
魔帝國デスペラントの騎士がする正当な礼式だ。
「そぉ……ありがと。でも2人もまもるって大変そうだね」
「うーん。魔王様がお嫁さんだったらいいのにな」
他人事のように話すシャルの言葉にヴァルは半ば冗談のように言った。
当然、シャルもそんなことは真にも受けない。
「あはははは♪ そんなことあり得ないよー」
そうやって2人は緑の風が吹く広場で笑い合った。
――これは後の魔王様の記憶の断片