鼻唄を歌うねこ
るんるんと鼻唄を歌いながら、猫が通り過ぎていった。春の陽射しを浴びながら、ひとりでバスを待っていた私は、スマホをいじる手が思わず止まり、画面を見つめていた目が離れて猫のあとを追いかけて行く。
白い毛が春に似合うふわふわの、背中にパンジーみたいな模様を載せたねこだった。
かわいいよ。
うん、かわいい。
でもちょっとだけ怖い。
猫が『る』を発音できることは知っていた。「うるさぁーい」と鳴くねこのユーチューブ動画を見たことがあったので。
でも歌を歌うねこを見たのは初めてだった。
「あの、ちょっといいですか?」私はねこの背中に声をかけた。
「る?」と言って振り向いたねこの顔は機嫌良さそうだった。
「その……。あなたは歌が歌えるねこなんですか?」
「るっふー」と、ねこは言ったが、意味はわからなかった。
そのまま前を向いて行ってしまおうとするので、私は慌てて追いかけた。
「あのっ……! 人間の言葉、わかりますか?」
「ふるっるー」と言って、ねこはまた振り向いて、少し笑うような顔をしてくれた。
「なっ……、撫でさせてもらってもいいですか!?」
やはり人間の言葉がわかるようだ。私の無理なお願いに、ねこは気安く応えてくれた。その場に背中をつけて液体になると、体中どこを触るのも私の好きなようにさせてくれた。
でもゴロゴロというか、グルグルというか、そんな声を喉のあたりから鳴らすばっかりで、歌ってはくれなくなった。
「あのっ……。ア、アンコールいいですか?」
私は勇気を出してお願いしてみた。
「さっきの歌……っ! もう一度、歌ってみてくださいっ!」
するとねこがおもむろに立ち上がった。
「ニャー」と鳴き、普通のねこになった。
まるで何かがバレるのを避けるように、今までの気前の良さをその場に脱ぎ捨てて、私にしっぽを向けて歩き出した。
嘘だ。騙されないぞ。あなたはそんな普通のねこじゃない。
私は追いかけて、後ろから捕まえて、持って帰りたかった。でもどうすることも出来なかった。ねこは自由だった。そんなねこを自分のものにするなんてことは、私には出来なかった。
もしもあなたが鼻歌を歌う猫を見かけたら、その歌を聴いてみてください。そしてもし言葉が通じたなら、私の聞きたかったことを聞いてみてください。それが何ていう歌なのかを。そしてもしあなたも知らない歌で、誰も知らない歌なのなら、きっと、そうなのです。
それは猫の世界のヒット曲。