幕間<レイガ・フォレスト公爵の憂鬱②>
「何の問題もないと思います」
レイガの問いかけに。
アマンダは、はっきりとそう答えた。
アマンダの言葉に。
レイガは、自分が絶望に近い気持ちを抱いたことに気付いた。
「奥様がフォレスト公爵家の名前を使って、商売をしたり人を騙したり、資産を使って贅沢の限りを尽くしたり、あるいは恋人を作りまくっているのならまだしも、そんなことはしていらっしゃいません」
「だ、だが、アーマリアは離婚を望んでいるのだぞ⁉」
アマンダの冷静な口調に、レイガはたまらずに声を張り上げた。
「奥様が離婚を考えていらっしゃることと、『おしかつ』なるものをされていることは、別の問題だと思いますよ」
だが、アマンダはレイガの態度にも冷静な態度を崩さず、そう言葉を続けた。
「そもそも、奥様からそう言われたのですか?」
「アーマリアからは、何も聞いていない。だが、お着きの者が、そう言っていたと証言しているんだっ」
「つまり、奥様が本当に言ったのかどうかもわからないってことですよね」
その瞬間。
アマンダの冷静な言葉に、レイガは我に返った。
「勝手に想像して、奥様に何も聞かず、奥様が楽しんでいらっしゃることを禁止にするのは、横暴ではありませんか?」
「……アマンダ」
「旦那様は、奥様とどうなりたいのですか」
そんなことは、決まっていた。
アーマリアが、傍にいてくれて。自分のために、微笑んでくれればそれで良かった。
「私には、奥様はお幸せそうには見えませんでした」
アマンダの言葉は、容赦なかった。
レイガの傍に控えていたイルンが、
「ミセス・パレス、それはっ」
と声を上げるが、それを、アマンダは視線で黙らせる。
先代の父の代から仕えているアマンダにとって、自分達は若輩者に見えるのかもしれない。
「恐れながら、申し上げますが。旦那様は、何故奥様に家政をお任せにならないのですか? また、社交も大切な奥様の役目の一つではありますが、それもお任せになられていないですよね?」
「それは……あれが、体が弱いからだ」
アマンダの問いかけに、レイガは苦し紛れにそう答えるが。
「それにしては、奥様のお体を気遣うことはいたしていませんよね」
「アマンダ……?」
「お倒れになった奥様を怒鳴り付けたり、夜遅くにお部屋を尋ねられたり……、どうもお体が弱い奥様を気遣っているようには、見えません」
アマンダはそう言って、そこで一度言葉を切った。
「旦那様は、奥様とどうなりたいとお思いなのですか?」
「何が……足りないと言うんだ」
言葉を続けるアマンダに、レイガはそう言葉を返す。
「奥様に対する、『信頼』です」
そんなレイガに、アマンダはすぱーんと、ストレートに答えた。
「旦那様は、奥様に対して『信頼』をしていらっしゃいません。『信頼』していないから、奥様を束縛して、自由にすることを恐れていらっしゃるのです。少なくとも、先代……旦那様のお父様は、奥様を信頼されていらっしゃいましたよ」
だが、アマンダのこの言葉には頷けなかった。
「馬鹿な……あのお二人は、夫婦としてはとても成り立っているとは……」
「確かに、旦那様には奥様以外の愛する方がいらっしゃいました。ですが、このフォレスト公爵家の経営を共にする相手としては、本当に信頼されていらっしゃったのです」
レイガは、今は離れて暮らす、養母の顔を思い出した。
父は、実の父ではあったが、めったに会わなかった。
初めてまともに会話したのは、アーマリアを妻にしたい、と話した時だった。
その点、養母は共にこのフォレスト公爵の館で暮らしていた。
毎朝挨拶をして、共に朝食を食べていた。
『勉学の進みはどうですか?』
そんなことを、良く聞いて来た。
親子と言うよりは、教師と暮らしているような感じすらしていた。
まあ、実際に。
養母と会うのは朝の食事のみで、家政や社交界で忙しくしていた彼女は、自分と共に夕食や昼食を取ることはあまりなかった。
だが、父に至っては、都から返ってこの領地に帰って来た時の、夕飯時ぐらいにしか共に食事をしていない。
だから。
父と食事をした回数は、両手で事足りるぐらいなのだ。
それに比べると、養母とは、よほどの用事がない限りは、共に朝食を食べていた。
それは、レイガが家督を継いで、彼女が館を出て行くまで続いた。
「母親」とは、まだレイガがフォレスト公爵家の家に来る前に共に暮らした、実の母親が、本来あるべき姿だと思っていた。
だから。
義母とは共に暮らしてはいたけれど、間違っても「親子」と呼べる関係ではなかった。
「若様の目から見れば、あのお二人はそのようには見えなかったのかもしれません。ですが、旦那様は奥様に領地経営を任されておられました。そして、奥様が提案されることは、きちんと内容を確認した後でしたが、了承されていらっしゃいました。『妻の言うことは、間違いない』とはよく言われていました」
そして父は、そんな養母に「給料」も払っていたと、アマンダは教えてくれた。
確かに、普通の「夫婦」とは、言い難い二人だったのかもしれない。父はともかく、義母は抱いている思いは、複雑なものもあったはずなのだ。
それでも、彼女が自分に理不尽な感情をぶつけることはなかったし、病気になった時も、使用人任せにしないで、様子を見に来てくれていた。
決して、「母親」ではなかったけれど。
「大人」として、理不尽な扱いをすることなく、自分の成長を見守ってくれた。
「私にとって……お二人は、赤の他人も同然だった」
でも、だからと言って。
あの二人が良い親だったかと言えば、それは「否」だった。
少なくとも。
幼かった自分が求めたものを、あの二人は与えてくれなかった。
「それは、その通りかもしれません。ですが、先ほども申した通り、それと奥様に対する態度は、別のことです」
「アマンダ……?」
「奥様は、あなた様のご両親ではないのです。あのお二人に抱いている憤りを、奥様にぶつけることはお辞めください」
アマンダの言葉に。
レイガは、ずるずると近くにあった椅子に座りこんだ。
「旦那様!」
イルンが驚いて近寄ろうとするが、
「大丈夫だ」
と、レイガは答えると、アマンダに向きなった。
「どう……したら、良い?」
レイガは。
震える声で、アマンダに問いかけた。
アーマリアの心は、自分から離れて行っていることは、十分に感じていた。
たとえ「離婚」となっても、彼女は満面の笑みを浮かべてこの館を去って行くだろう。
彼女にとっては、自分との生活こそが、「不幸」なのだ。
「まずは、奥様を『知る』ことから始められては、いかがでしょうか?」
「アーマリアを……『知る』 ?」
「はい。奥様がされることを禁じるのではなく、『知る』のです。奥様への理解が深まり、奥様が何を考えて、何を望んでいるのか、理解することが、できると思います」
アマンダの言葉は。
レイガにとって、一筋の光のように感じられた。