表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

6/12

幕間<レイガ・フォレスト公爵の憂鬱①>

 レイガ・フォレスト公爵は、悩んでいた。

 彼は執務室の自分の机に肘を付き、頭を抱えなえながら、彼の妻のことについて、考えていた。


 フォレスト公爵の妻・アーマリアは、彼の知る限り、控えめで大人しい女性だった。

 彼の言うことには逆らわず、何か意見することもなかった。


 だが、ここ最近のアーマリアは、今までとは真逆のことをし始めていた。

 まず一番驚いたのは、自分に意見をし始めたことだったのだ。

 妻が倒れたと聞いて、フォレスト公爵は、本当に心配をしたのだ。


 日頃から体が弱く、儚い印象の妻は、よく寝込んでいた。

 そんな妻が心配で、駆け付けた時に「何故倒れたんだ」という思いから、きつい口調で問いかけてしまった。

 そうしたら、不機嫌そうな表情をして、「お引き取りを」と言われてしまったのだ。

 自分がどれだけ心配したのか、それを無碍にされたような気がして、腹が立って仕方がなかった。

 

 だから。

 次の日の朝食で、そのことを伝えようと思っていたのに、

「朝食の後で話しませんか」と言われて。

 さらに無碍にされたような気がしたのだ。


 自分は心配をしていたのに。

 本当に、自分の妻が死んでしまうのか、と思うぐらいに心配したのに。

 当の本人は、そんな自分の気持ちを思いやってもくれず、「話はあとで」と言って来る。

 

 ここで。

 フォレスト公爵は、限界になったのだ。

 心配してくれる夫を無碍にする妻など、有り得なかった。

 朝食の場に出なかったのも、そのことを責めるつもりだったのだ。


 ところが。

 妻のアーマリアは、自分の不在を気にもしていなかった。

 気にするどころか、毎日楽しそうに過ごしていた。


 イルンの報告からすると、朝食を完食し、図書室で過ごして、昼食も夕食も完食し、部屋に戻って休んでいる。

 こっそり見に行ったら、ツヤツヤの笑顔で鼻歌まで歌いながら、自分の部屋に戻っている妻の姿があった。

 

 自分の知る、かつての妻であったならば。

 おそらく、自分が朝食の席に一週間も出ないとなると、青ざめていたに違いない。

 だが、今の妻は、自分の不在がかえって嬉しい様子で、毎日を過ごしている。

 

 実際。

 アーマリアは、フォレスト公爵が自分の目の前に現れるまで、夫の存在を忘れていたようだった。

 フォレスト公爵は、「あ、この人いたんだ」という表情をした妻を見て。


 思わず、

『何を考えているんだ⁉』

 と、詰問調に言ってしまった。で、妻から返って来た言葉は。

『今日の昼食のことについて考えています』

 だった。


 ……その言葉からも。自分の妻が、本当に自分のことなど、欠片も考えていなかったことを、フォレスト公爵は感じ取ってしまった。

 そうして。それは、大当たりだった。

『お前は私が朝食の席にいなくても平気なのか⁉』

『はい。特に困ることはありませんし』

 アーマリアは、問い詰めたフォレスト公爵に臆することなく、そう答えて来た。

 

 その言葉に衝撃を受けて。

 更に、イルンから図書室の片付けをアーマリアが行っていると聞き、昼食の席に急遽同席することにしたのだ。

 通常は、昼食は仕事があったり外出があったりするので、別々に摂っている。

 夕食も、仕事のタイミングが合った時に共にしていたから、共に食事をするのは、朝食だけだった。


 案の定、と言うのか。

 食堂に来たアーマリアは、先にテーブルに座る自分を見た途端、「何でいるんだ」という表情になった。

 自分を見るまでは、鼻歌でも歌いそうな表情で食堂に入って来たのだ。

 そうして、あからさまにがっかりした表情になった。


 その表情を見て。

 公爵は、妻は自分がいない方が良いのだ、という事実を確信するしかなかった。

「なあ……イルン」

 自分の隣で。書類の整理をしているイルンに、フォレスト公爵は声をかけた。

「はい、何でしょうか」

「もし……もしだぞ、俺がアーマリアに『離婚する』と言ったら、あれはどうするだろうな?」

「……嬉々として、出て行く準備をされると思います」

「離婚だぞ⁉」


 普通、「離婚」と言えば。

 もう、本当に本当に本当に、最後の最後の手段なのである。

 通常、貴族にして平民にしても、どんなに夫婦が不仲であろうが、離婚は避ける。


「私もそうは思います。ですが、今の奥様から想像できるのは、旦那様から『離婚だ!』と言われても、『わかりましたっ』と満面の笑顔で頷くお姿なのです……」

 端正な顔を歪めながらそう告げる幼馴染側近は、一番信用できる者だった。

 彼は、嘘は付かない。


「実は、今日の昼食後、図書室に向かわれる奥方様に、声をおかけしたのです。『できれば、旦那様のことも気にかけてくださいませんか』と……」

 そうして。

 イルンは、実はフォレスト公爵のために、アーマリアに意見をしようとしたことを話してくれた。


「どうだったんだ?」

「奥様は、私にこう言われました。『イルン、あなたが一番大切にしたいのは誰?』と。私は『もちろん、旦那様です』とお答えしました」

 そこで、イルンは一度言葉を切った。

「そうしたら、奥様は頷かれて、『うん。あなたはそれで良いと思う』と言われまして。それから……」

「それから、何と言ったんだ!」

「『でも、私の今の一番の推しは、『私』だから。私は、私自身を推し活するの!』と、ものすごっい笑顔で言われました……」


 イルンの言葉に。フォレスト公爵は、愕然となった。

「おしかつとは、何なんだ……?」

「わからないのですが、何かもう、旦那様のことは、眼中にない、と言うことは確かなようです……」

 フォレスト公爵は、頭上に、大きくて重い石が、がんっと落ちて来たような感覚に襲われた。

 

 十四歳の時に。天使に出会った、と思った。

 フォレスト公爵は、幼い頃から人と関わることが苦手だった。

 両親は、「家のために」結婚した人達だったし、実の母親とは、幼い頃に別れて以来、会っていなかった。


 フォレストの館では、沢山の使用人達はいたし、生活には不自由はなかったけれど、父は愛人がいる公都の邸宅に入り浸りで、自分と義母がする本宅にはほとんど帰って来なかった。

 義母も愛のない結婚をしたとは言え、血の繋がらない継子の自分と残されて。

 他人行儀に、接するしかなかったのだろう。


 そんな環境に育った自分に、他の人間達がどんな思いを抱き、どんな風に見ていたのか。

 察するには、フォレスト公爵は頭を良すぎた。


 だから。

 王家での内内の集まりでも、フォレスト公爵は本を読んで過ごすようにしていた。

 大人達の、自分を気遣うような視線も。同世代の従兄弟や又従兄弟達の、伺うような視線も。全部が、鬱陶しかったのだ。


『……どうぞ』

 そんな中。

 内内の集まりで、いつものように同世代の子ども達とも交わらず、一人で本を読んでいたフォレスト公爵に、差し出されたのは、一杯のお茶だった。

 誰もが自分の存在を伺うだけで、近づいて来なかったのに、アーマリアだけはそうではなかった。

 何の他意もなく、お茶を差し出してくれた。

 

 そうして。

 アーマリアはそれだけではなく、フォレスト公爵の読んでいた本を見て、

 『いつもご本を読んでいらっしゃるのですね。どんなことが書かれているのですか?』


 と、尋ねてくれたのだ。

『……領地経営の事だ』

『それは、どんなことですか?』

 今にして思えば、それはただの「場繋ぎ」としての、話題だったのかもしれない。

『領地経営の基本は、土地だ。そして、それを管理し、作物を作るのは領民達になる』

 だけど、自分の言うことは難しくて理解できないこともあったかもしれないけれど、アーマリアは話を一生懸命聞いてくれた。

 

 初めて、だったのだ。

 フォレストの館の外では、誰もが自分のことを「哀れな子ども」として見ていた。

 けれど、アーマリアは何の曇りもない瞳で、自分のことを見てくれた。

 話をしてくれた。

―「恋」に落ちるには、十分だった。


 幸いにフォレスト公爵家と王家には、二・三代ごとに婚姻する習わしがあった。

 先の婚姻は、フォレスト公爵の祖父と、当時の王の姉―アーマリアにとっては、祖父の姉に当たる人が行われていた。


 そろそろフォレスト公爵家も、王家の方も、「また婚姻を」と考えているのは、わかっていた。

 だから。

 父に頼んで、アーマリアと婚姻できるようにしてもらった。


 愛人の男性がいる公都の館に入り浸り、領地の館にはほとんど帰って来なかった父とはほぼ交流はなかったが、それでも「家」のことは無視できなかったようで、フォレスト公爵の申し出に驚きはしたものの、『悪くはないな』と頷くと、すぐさまアーマリアとの縁組を申し込んでくれたのだ。


 予想通り王家の方も了承してくれて、フォレスト公爵は幸せだった。

 自分を顧みない父と。義務のように自分に接する義母と。

 温かい家庭を知らない自分でも、天使のような妻を得て、幸せになれる、と思っていた。


 そうして。フォレスト公爵は、心の底から自分は妻を大切にしている、とも思っていたのだ。

「旦那様にとってはそうでも、奥様にとってはそうでなかったのかもしれません」

 何時だって嘘は言わない黒髪の従者は、そう告げた。その瞬間。

 フォレスト公爵は、本当に地獄の底を見たような気がしたのだった。







評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ