9 フラグはへし折るためにあるのです!
「やっと戻ったか」
「姉上様……」
屋敷に戻った後。
すぐに姉のルナマリアが待つ応接室へと私とレイガは向かった。
そうして。
部屋の扉をノックして、返事があったので、扉を開いた瞬間、ルナマリアが私とレイガの顔を見て、そう言った。
「姉上様、お久しぶりです」
館に戻った時、出迎えてくれたイルンの表情から、ルナマリアの態度はあまり良好なものではないだろう、と予想はしていたが。
その表情からは、今回の襲撃の件だけどはない、何か伝えたいことがあるのは明らかだった。
とりあえず、私はチュニック服を着たままだったけれど、ドレスを着ている時と同じように、正式な挨拶をした。
いくら姉とは言え、ルナマリアは正式なこのエーベルト公国の後継者だ。
やはり、「身分」というものがある。
ルナマリアは、貴族の男性の恰好をしていた。
基本的に、彼女の服装は男性のものなのだ。
以前、アーマリアが理由を尋ねた時に、「すぐに動けるからだ」と答えていた。
「ひとひらの雪」では、名前だけしか出てこない人だけど、こうして見ると、二十八歳とは思えない威厳がある。
窓辺から差し込む夕日の光が、彼女の銀の髪をやわらかく照らしていた。
髪はひとつに束ねられ、わずかに揺れるたび光を反射しているように見えた青い瞳は澄みきっていて、見る者の心を映すようだった。
だが、その瞳は厳しい表情を浮かべている。
「久々の再会を喜びたいところだが、そうもいかなくてな。取り敢えず、二人共座ってくれ」
ルナマリアに促され、私とレイガは彼女に相対するように、並んで座った。
「さて……まずは、急にこちらに伺ったこと、詫びをする。失礼をしてしまった」
それから、すぐにルナマリアはそう言って、頭を下げた。
「いえ、不測の事態があったこと、そちらの方々に聞いております」
それに対して、慌ててレイガが答える。
「そう……。不測の事態が起ころうとしている、と報告があったのでな。我が愛しの妹・アーマリアが襲撃されると知れば、やはり黙っているわけにもいかぬ」
「それは、事前に察知されたのですか?」
「ああ。察知していた」
レイガの問いかけに。
ルナマリアは、あっさりと頷いた。
「我が領内にも、間者を放っていらっしゃるということですか?」
「それは答えられぬな。今回の件には、関係のないことだ」
「ならば、何故私の方にお知らせしてくださらなかったのですか?」
「知らせて、解決できたか?」
レイガの問いかけに。
ルナマリアはきらっと目を光らせて、問い返して来た。
「そなた達に知らせたとて、そなたはアーマリアを部屋に閉じ込め、館を警備させるのがせいぜいだろう? 調査を始めるにしても、まずは外国からの刺客を考えだろう。まさか身内に首謀者がいるとは、考えまい?」
「だから、知らせてくだされば……!」
「何故、私達が知らせることが、前提なのだ?」
声を荒げようとしたレイガに、ルナマリアはさらに言葉を重ねた。
「そなたの所領のことだぞ? 何故、そなた自身が把握していないのだ?」
「姉上様……」
その言葉の厳しさには、さすがの私も、ルナマリアにそう呼びかけることしかできない。
「まず、何故フォース家の主人が、アーマリアの襲撃など考えたのか。その原因は、そなた達に隙があったに過ぎない」
「……!」
そうして。
さらに、厳しい言葉を言われて。
私は、絶句するしかなかった。
「そなた達が、各々の義務をきちんと果たしていれば、フォース家の当主もこのような愚かなことを実行するなど、そんな浅慮は起こさなかったはずだ。そなた達には、その浅慮を考えさせ、実行させる隙があったということだ。アーマリアが、このフォレスト領に嫁いで一年。だが、アーマリアは、社交界には一度も顔を出しておらぬな。何故だ?」
「それは……」
レイガは、何とか言葉を口にしようとしていたけれど。
「上に立つ者は、どんな内情があれ、家臣や領民に不安な感情を与えぬように、努めなければならない。まして、このフォレスト領は、国境もある。常に戦いの可能性があるこの土地で、領民たちや家臣達に不安な感情を与えるなど、もっての他だ」
ルナマリアの、淡々とした口調で言われた言葉には、何も言い返すことができなかった。
「姉上様」
私は何とか取り成すように声をかけたが、
「アーマリア。少し厳しいことを言うが、このままでは、そなたをフォレストに嫁がせた意味がない。そなたの役目は、宮廷とフォレスト侯爵家を繋ぐこと。それを内外に広めないと、その成果は得ることができぬぞ」
見事に、返り討ちにあってしまった。
このまま、ルナマリアの言葉の尻馬に乗って、「私には荷が重いです」と離婚に話を持って行くことが可能ではあった。
でも。それはできないな、と私は思った。
アーマリアには、関わっている人達がこのフォレストにはたくさんいる。
館の中にある果樹園や畑に出入りしている農家の人、庭の手入れをしている庭師の人の名前は覚えたばかりで、最近ようやく顔と名前が一致し始めている。
それでも、アマンダと一緒に歩いていて、「おはようございます」と挨拶すると、その人達は、最初は驚いたような表情をしていたけれど、今は「おはようございます!」と笑顔で挨拶を返してくれるようになっていた。
アーマリアは、努力していた。
使用人の名前を、下働きの人も含めて覚えていたし、どんな仕事をしているかも把握していた。
彼女は、自分ができることで、努力をしていたのだ。
それを、私の一時の感情で無碍にすることはできない。
私は、アーマリアを「推し」ている者。
アーマリアを一番に考え、アーマリアを守る者でなければならないのだ。
「申し訳ありません、姉上様」
私は、ルナマリアにそう言って、頭を下げた。
「ですが、今後は精進したいと思います。そのために、一つお願いしたいことがございます」
「何だ、申してみよ」
「先のフォレスト侯爵夫人・エルザ様を、私の教師として呼び戻すことは可能ですか?」
「アーマリア⁉」
「可能だが、強制はできぬ。彼女は己が責を果たし、引退した。それから無料でさせる気か?」
私の隣にいたレイガは驚きで声を上げたが。
ルナマリアは冷静に、そう聞いて来た。
「わかりました。では、私の方から頼んでみます」
「義母上に頼るつもりか⁉」
「はい。それが一番良いと思います」
「キャロラインに頼めば良いだろう!」
「……それ、本気で言っていらっしゃいますか?」
私は、思わず「有希」の観点で言ってしまった。
キャロラインは、フォース家の娘である。
そう……つまり、アーマリアを襲わせようとした家の娘さんなのだ。
彼女自身は、おそらくこの件には関わっていないだろう。
でも、世間はそうは見ない。
「自分の父が襲わせようとした相手に、領地経営のことを教えろって言われて、彼女がどれだけ苦痛を感じるのか、想像できないのですか?」
キャロラインがこの館に来た時、ほとんどの人達が「罪人の娘」として、彼女を見るだろう。
まだ二十歳そこそこの娘さんに、そんな苦行を味合わせる言われはない。
「しかしだな!」
「私達の力不足が招いたことです。彼女に、そのツケを払わせる理由はありません」
なおも言いつつのろうとしているレイガに、私は首を振って言葉を続けた。
「だが、私の思いはどうなる!」
レイガは、いつもだったら「俺」と言うけれど、客人の前と言うことで、「私」と言っていた。
けれど、自分の思いは抑えきれなかったらしい。
「……フォレスト伯爵。そなたが着ている服を作ったのは誰だ?」
その時。
ルナマリアが、そう口を挟んできた。
「……工房の職人達です」
一瞬。
私達は、彼女がいきなり何を言い出すんだ、と思った。
「では、そちらに置いてあるお茶を入れたのは?」
「……我が家に仕えている侍女です」
「そうだな。こちらの部屋は綺麗に整えられて、居心地が良い。だが、そのようにしたのは、そなたでもなければ、アーマリアでもない。それは、私も同じこと。つまり、私達は、誰かが「生み出した」もので、生きているってことだ。自分で「生み出した」ものは、何一つない」
「それは……」
「そんな私達のような立場にある者が、彼らに差し出せるのは、己れ自身しかない。彼らのために働き、彼らを守るために生きる。そうするからこそ、彼らは私達の生活を支えてくれるのだ」
確かに、その通りだった。
「有希」の立場で考えたならば、この世界は身分制度が存在していて、それは「間違っている」ことではあるのだけど。
それでも、この世界でその社会の仕組みが成り立っているのは、各々が自分の役目を理解していて、その責任を果たしているからだ。
私は本当に単純に、「若い娘さんに辛い思いをさせるのは駄目!」と思っていたけれど、ルナマリアはそれ以上のことを、考えていた。
「フォレスト侯爵。そなたの思いも、私は理解できる。しかしこの場合は、アーマリアの提案通り、エルザ殿の力を借りることが一番最良だ」
「領民のために、私に耐えろと?」
「教えを受けるのは、アーマリアだ。そなたが直接受けるわけではないだろう?」
ルナマリアの言葉に。
レイガは、黙り込んだ。
「一つ、苦言を言わせて貰うならば。自分の気持ちを優先して、大切なものを見失うことは、よくあることだ。だからこそ、皆で話し合ったり、語り合ったりすることは大切になる」
そうして。
トドメの一撃を、ルナマリアは放って来た。
これは、自分の不安な気持ちを失くすために、アーマリアをどこにも出さなかったことを、暗に責めているのだ。
こうしてみると、既に私の知っている「ひとひらの雪」ではなくなっている。
エルザさんに領地経営のことを教えてもらう展開など、なかった。
「……わかりました。私から、義母上に頼んでみます」
レイガは、深いため息を吐きながらルナマリアにそう言った。
「そうしてくれ。楽しみにしている」
ルナマリアはそう言うと、椅子から立ち上がった。
ただ、それだけなのに彼女の銀色の髪が揺らぎ、その威厳を感じさせる。
帰るつもりなのだとわかり、私は慌てて立ち上がった。
お見送りをするつもりだったのだ。
私に習って、レイガも立ち上がる。
「ああ、見送りは良い。それよりも、夫婦で話し合ってくれ。お前達は、話し合いが足りなさすぎる」
「姉上様……」
「アーマリア。世の男と言うのは、『言わなくてもわかってくれる』というのは、できぬ。我が夫がそれができるのは、稀有な才能なのだ」
それは、その言葉通りではあった。
「有希」の夫も、「察する」ことはできない人だった。
それはわかっていたから、「話し合い」をしようとしたけれど、それからも逃げた人だった。
「愛は、減るものだぞ。お互いに補完しあって行かねばな」
そう言うと、ルナマリアは部屋から出て行った。
それぞれに、椅子から立ち上がって、お見送りのお辞儀をしていた私達は、彼女の足音が聞こえなくなってから、頭を上げた。
「……とりあえず、座りましょうか」
何とも言えない空気になって、私はそうレイガに声をかけた。
レイガは何も言わず、ドカッと椅子に座る。
「義母上には、何時から来てもらう?」
だが、ルナマリアに言ったことを違えるつもりはないようで、そう話を切り出して来た。
「できれば、早急に。ただ、ご負担にならないようには、したいですね」
私がそう言うと、レイガは深いため息を吐いた。
「……わかった」
レイガはそう頷いて。
私をマジマジと見つめた。
「旦那様?」
「……だが、本来は、俺は義母上にこの館には来て欲しくはない。あの方はもう役目を果たされた方だからな」
「では、滞在する館をご用意しましょう。そして、私がそこに通うことにします」
レイガの複雑な気持ちも、わかるような気がした。
そこを捻じ曲げてまで、エルザさんにフォレストの館まで来てもらう必要はない。
要は、「アーマリア」が、領地経営のことを学べれば良いのである。
「そして……お前はこう言うのであろうな。『お義母様の嫁になりたいです!』と」
「だから、それは半場な心境では言えないって言っているじゃないですか!」
しかし、何故かレイガは前にも言い出したことを、蒸し返して来た。
「お前は、年上の者で何かに秀でている者、或いはけなげで可愛らしい者に惹かれる傾向があるからな……義母上も母さんも、それぞれに当てはまるんだ!」
「え、どうして私の好みをドスライクでわかるんですか⁉」
基本的に、私のBLの受攻の好みはそれだ。
勿論、それだけに留まらず、男前で精神的攻の受け、気弱な攻等、多種多様のカップルがいて、それはそれで良さがある。
だが、物語には「様式美」というものがある。
おとぎ話には、たいていお姫様と王子様がいるように、BLにも、頼りがいのある攻と、その愛情を一新に受け取るけなげな受と言うのが、一般的な「様式美」なのだ。
違う言葉では、「ワンパターン」と言うのだが、「様式美」には、やはり皆に愛される定番の安心感があるのだ。
「散々自分で語っていただろうが!」
「ですが、旦那様。前にも申した通り、お二人に関しては、そのようなことは思うとはできません。まして、そのようなことを口にすることも、怖くてできません」
私は、首を振りながら言った。
「……怖い?」
「はい。私は当て馬になる気はありません!」
「あてうま……?」
「他人の恋路を邪魔する役割の人のことです!」
真剣な思いで、私は言った。
私としても、あのお二人の思いは、とてもとても重いと思う。
BLにしたら、読むのを覚悟する内容展開になるはずだ。
そんな物語を読む時は、気力も体力も必要になってくる。
読み終わった後の達成感は凄いが、読んでいる間の疲労感はすざまじい。
あのお二人の「思い」に関わることは、それと同じ覚悟でいないといけない。
「重い恋愛物は、今は楽しめませんよ」
「アーマリア……?」
「とにもかくにも、私達も正念場です、旦那様。共にこの試練、立ち向かいましょう!」
「あ、ああ……」
私の勢いに押されたのか、レイガはあっけにとられながらも、頷いてくれたのだった。
★
そうして。
それから、一週間後。
私は背後に嫉妬の視線を、バンバン感じていた。
「お義母様。この度は、私のお願いを聞いてくださり、ありがとうございます」
それでも、私はドレスを指で摘まみながら、背筋をすっと伸ばし、膝を折って一礼する。
「ルナマリア公女殿下から直々に頼まれましたからね。さすがに、断れません」
それに対して、客室のソファアに座った相手―エルザさんは、そう言って、私を出迎えてくれた。
「私が想定しなかったことが起こったみたいで、それは私の責任でもありますしね」
そうエルザさんは言葉を続けて、私に座るように促して来た。
「それでは、失礼します」
私は、今度は軽く頭を下げると、相対するように、ソファに座った。
「失礼します」
そこに、タイミング良く、お茶を持ったファナさんが入って来た。
さっきから感じている嫉妬の視線は、このファナさんのものだったのだけど、扉越しからも感じることができるなんて、どれだけ強い感情なのだろうか。
しかし、実の息子の嫁に実の母が嫉妬して、それは実の息子の義理の母親が取られるのではないか、という思いからで。
……何と言うのか。
「事実は小説より奇なり」と言う言葉があるけれど、それをまさに実感する状況だ。
「どうぞ」
私が変に緊張感を感じていると、ファナさんが、私の前にお茶を置いてくれる。
「ありがとうございます」
私がぺこりと頭を下げると、ファナさんは無言で頭を下げて、そのまま部屋を出て行った。
ちなみに、二人共本日は頭に布を巻いていなくて、アマンダと似たような恰好をしていた。
「フォース家は、どのような処分になりましたか?」
「フォース家の方から、領地返上の申し出がありました。ご家族の方は、皆領地から引き上げるそうです」
「そうですか……さすが、ノイン殿ですね」
私の返事に、エルザさんはため息を吐きながら言った。
「ノイン殿?」
「フォース家の夫人です。この方のおかげで、フォース家は持っていたようなものです」
「そうなんですか?」
「娘のキャロライン殿も、領地経営についての知識は、私が直々に伝えたものだったのですが……」
ため息を吐きながら、エルザさんは言った。
「いずれ、あの子が成人した暁には、イルンと共に支えられるように、とは考えていたのです。ですが、あの子はそんなことは考えられなかったようですね」
何気に。
スパーンと、レイガは切られていた。
「いえ……私も、旦那様に上手く対応できなくて、一年も経ってしまいました。本来であれば、領地のこととか、社交界のこととかをやっていかねばならなかったのに」
これに関しては、「有希」としては、思うこともあるのだけれど。
とりあえず、この世界の常識で言えば、アーマリアは自分のやるべきことをやってこなかった。
家臣やレイガと協力しながら、フォレスト侯爵家のために、対外活動をしなければならなかったのだ。
否は、認めた方が良い。
それは、社会人として生きて来た「有希」の経験からも、大切なことだと思った。
どんな理由であれ、それは領民や家臣達には関係のないことなのだ。
「遅れは、取り戻せます。時間は一か月ほどしかないですが、私もきっちりと務めさせていただきます」
私の言葉を聞いて、エルザさんは満足そうに頷いた。
エルザさん達は、オランドから私達がいる領都に、わざわざ来てくれたのだ。
本来であれば、教えてもらう私の方がオランドに行くべきなのだけど、立場上、それは難しい。
そのことを考慮して、エルザさんはわざわざファナさんと一緒に来てくれた。
しかも、一か月も滞在してくれるのだ。本当に、感謝しかない。
「本来であれば、館に滞在してやらなければならないのですが、わざわざこちらに出向いてくださり、滞在用の家も用意してくださって、ありがとうございます」




