一伯
一伯。徳川家康の次男結城秀康の長男松平忠直の号である。彼は今、豊後大分の掟山にいた。旅行などではない。津守館という所で謹慎中である。この地での彼の謹慎生活は死ぬまで続かなければならない。彼は32歳。謹慎生活は29歳の時から続いている。
彼はもとは越前の大名であった。その彼が何故ここにいるかというと、よく分からない。乱行によるとか陰謀によるとか宗教によるとか様々である。しかし、もっとも奇妙なのは、松平忠直であるはずの彼自身が何故、この地で謹慎生活を送っているのか分からないのである。
「何故、俺はここにいる。」
独り言を呟いてみても分からなかった。
外出が制限されているわけではなかった。もちろん、遠くに行くことはならない。しかし、その辺の村人たちと交流することは咎められることはない。彼はよく寺に行った。寄進もした。茶の湯もした。だが、日が暮れると館に帰らねばならない。
「何故、俺はここにいる。」
館には、亡くなってしまうが娘も愛人もいた。他にも好きな人はいたが、ここにはいない。やりたいこともあったが、ここではできないこともある。しかし、彼はここにいなければならない。
良いこともあるが、嫌なことがあっても、日暮れには館には戻らねばならなかった。
遠方より来客が来て、楽しく歓談していた。日が暮れるとその人は故郷へ帰って行った。しかし、忠直はここにいなければならない。
「何故、俺はここにいる。」
寂しくても、悲しくても、ここにいなければならない。
この地の居心地は良い。周りの人々も良くしてくれる。何もしなくても収入は保証されている。しかし、時折、虚しくなる。ここにいれば何不自由なく生活していけるであろう。しかし、時折、何とも逆らい難い苦痛と狂気が自分という存在を襲うことがある。
そのようなとき、忠直は『死』を思う。すべてを終わらせて、楽になりたい。しかし、彼はここにいなければならなかった。
『籠の鳥。』その籠の中にいる鳥は青い鳥ではあった。が、何ともいいようのない恐怖と不安が彼を襲った。彼自身の心。彼自身の幻影。しかし、幻であるはずの恐怖は実体を持たずとも、彼を闇の底に落とす。
疲れて眠りに着いた彼が目を覚ました所は、変わらない。ここでしかなかった。逃げられない何かから逃げようと、彼は、自分を捨てた。
『一伯。』それは彼ではない。別人。一伯は忠直の理想を体現させてくれる存在であるが忠直はそこにはいない。本当の忠直は弱く、自己嫌悪と罪悪感に満ち、死を望み、苦しむ。しかし、そんな彼の理想を一伯は叶えてくれた。それにより彼は満たされて、安心し、生をつないだ。忠直は世の中の人々から嫌われ、誹られ、悪人と呼ばれる偽善者である。一方、一伯は、人々から人気で、ちやほやされ、愛され、誰にも誹られることのない存在である。
今日も変わらず忠直はここにいる。そして、今日も変わらず一伯はここにいる。その生活は彼が死ぬまで続かなければならない。