お買い物!
居住区へと戻る女の子が、名残惜しげに振り返りながらぶんぶんと手を振った。
母親は深々と頭を下げている。
擦り傷を治療したくらいで、これは少し大げさな感謝のされ方だ。だが、恐らくは上位種のドラゴンに対する礼なのだろう。
「いや、やっぱドラゴンとか納得いかねえ」
もう何度目になるか分からない愚痴が、オレの口を突いて出る。
「カズは想像力が乏しいなあ。それにドラゴンに対しての偏見が強すぎるんだよ」
「偏見というか、そもそもドラゴンについてほとんど知らないぞ。何しろ転生してきてまだ半年ほどだからな」
「転生前のこっちの世界での記憶もあるんでしょ?」
「あるにはあるが、それでも知ってる魔物なんてコボルトかゴブリン、あとは狼とかイノシシぐらいだな。
何しろそれまでの記憶はぼんやりしてるしさ」
異世界転生といっても、いきなりこちらの世界にポンっと飛び込んでくるわけではない。
いや、感覚的には確かにポンっと飛び込んできたようなものだが、こちらの世界でのオレにも一応それまでの人生があって、記憶もあるにはある。
だがそれは曖昧で、現実感が乏しく、どこか借り物のような感じがする。
これはあくまでオレの想像だが、転生してくる時に、この世界で魂を容れる肉体が創られ、その時にその人生も遡って創られているのではないだろうか。
地続きに感じるのがこの世界での生い立ちではなく、むしろ転生前の自分であるのは、そのせいだと思う。
「それはそうと、ホントに大丈夫なんだろうな」
オレとシルバーは宿に戻るのをやめ、再び商店街の方へと向かっていた。
シルバーが荷物を持ち帰るのに有効なスキルを持っていると言ったからだ。
「大丈夫もなにも、買った物を収納するだけでしょ? 僕の異次元収納に入れるだけじゃん。
そもそもこういうスキルってRPGとか建築ゲームとかだと普通に使えるよね。なんでカズは使えないの?」
「普通は使えねえよ。いくら異世界だっつっても、そんな摩訶不思議なスキルがぽこぽこ使えたら誰も苦労しねえ」
こいつと一緒に戻って不用意に目立ってしまうのは嬉しくない。
だがドラゴンという存在は、この世界では一目置かれるらしい。さっきの母子の態度からしても、昨夜の貴人たちの目に万が一止まったとしても、問題にはならないかもしれない。
城壁の修繕に集めた人数は、オレを除いて十人と聞いている。その賄いを用意するためには、食材だけでなく、調理器具や食器類なども必要だ。つまり、かなりの大荷物になる。
モリからは、とりあえず買い上げだけ済ませれば、後ほど自分が荷車を用意して購入済みの品の回収を行う、と言われていた。
だが、それでは二度手間になるし、大変な作業をモリに押し付けているようで気が引ける。
だが、シルバーにそんな便利なスキルがあるのなら話は別だ。
リスクとメリットを天秤にかけて、オレはシルバーとともに行って、さっさと買い物を済ませてしまおうと判断したのだ。
「僕の異次元収納は、保温・保冷も効くし、混ざっちゃいけない物も別々に収納できるよ。ちなみにカップに入った飲み物とかもこぼれない」
「ディーバーやってる時に欲しかったな、そのスキル」
デバッグは保温・保冷機能こそあったが、食べ物の周囲にはタオルを詰めたりして、こぼれないように工夫していた。
もし異次元収納のようなスキルが使えていたなら、もっとストレスなく仕事ができただろう。
「デバッグも十分有能だったけどね」
「ああ、そっか。それってデバッグ由来のスキルなんだな」
あの時盗まれたデバッグだったが、こうしてスキルとしてシルバーの一部になっているということは、死ぬ前に取り返せたということなのだろう。少し気が楽になる。
「何にしましょう?」
店の棚に並ぶ品物を一つひとつ手に取って見ていると、店主から声をかけられた。
オレよりいくつか年上だったはずだが、こうした店を構えるには若い部類だろう。
口ひげをたくわえ、柔らかな微笑みを浮かべている。中々の美青年だ。
若さには似つかわしくない落ち着きと穏やかさがある。
「調理に使う焚火台と大鍋、フライパンかな。あとナイフも。
焚火台も鍋もフライパンも、大きいものがいい。ナイフは切れ味より、ヘビロテしても傷まないやつ。どれも安物じゃなくてもいい」
金ならある。というか、モリのお使いなのだから予算はそれほど気にしていない。
それより、作業が始まってからナイフが折れたりでもすれば、新しいものを調達するために無駄な時間を浪費してしまう。
ここは値段だけを見て安易に決めるべきではない。
「打ち師や砥ぎ師の指定とかはありませんか?」
「いや、特には」
オレの言葉に、店主は頷くと店の奥をごそごそと探り始めた。
ドラゴンが来て、物珍しげに店内や売り物を見回しているというのに、客からのオーダーには普段通りの対応をする。プロ根性が覗える。
「荒物屋は他にも幾つかあったのに、どうしてこの店なの?」
シルバーが訊いた。
「よく利用する店だからな。
大きな店じゃないが、わりとニッチな注文にも対応してくれるんだよ」
「あーなるほど、オレ分かってる系のそういうアレかー」
せっかく説明してやったというのに、シルバーは含み笑いとともにそんな返しをしてくる。
この自転車、オレに乗られてた時に、ずっと恨みでも抱いてたんじゃなかろうか。
「これなどはいかがでしょうか」
店主がオレとシルバーを交互に見ながら、鍋やナイフを売り場に設えてあるテーブルに並べてみせた。フライパンは三つある。
なんとなく、どれも良い品だということが分かる。
打ち師や砥ぎ師にはこだわらないと伝えたが、多分これは、力ある職人の手によるものだ。だが――
「安くなくてもいいとは言ったけど、これは……」
鍋とフライパンは、どこをとっても厚みが均一だ。
鍋の板厚はかなり分厚い。これは熱が安定して伝わるだろう。じっくり煮込む料理には力を発揮するに違いない。
フライパンは三つとも板厚が違う。薄い物、厚い物、その中間くらいの物が用意されている。料理によって使い分けろということだろう。
強火でさっと炒める野菜炒めには薄い物、分厚い肉を焼くには一番厚いフライパンを使えば、ミディアムレアの上質なステーキが焼き上がるに違いない。
そしてナイフ。単一の鉄ではなく、複数の鉄を叩いて接合し、一枚の刃物にしているのだろう。そこから気の遠くなるような工程を経て、ここまで美しく研ぎ上げられた逸品だ。
安くないどころか、どれもかなりの業物だ。
「これはとても手が出ないな」
「すいません、カズさん。冗談が過ぎました」
オレの渋い顔に気づいたのか、店主が目を細めて深々と頭を下げる。
「どれもこれも、うちが置かせていただいてる品の中では最高級の物です。
腕のあるマイスターが、手間を惜しまずに作り上げた逸品です。
これを出したら、カズさんがどんな顔をするのか見てみたかったんです」
「どんな顔をするも何も、こんな良い物を見せられたら、ただただ羨ましくなるだけだな」
「本当に申し訳ありません。カズさんにはいつも見抜かれてばかりですので」
「試されたみたいなもんか。つってもオレなんか目利きでも何でもない、当てずっぽう言ってるだけの一般人だかんな」
仕方がない。これだけの品物を購入するとなると、モリの想定している支度金どころか、城壁修理で得られる収入をすべて費やしても、まだ足りないだろう。
「ふむふむ、どれも良い品のようだね」
そこに、シルバーの声が割って入った。