悪辣非道
まさかそんな素直に答えが返ってくるなどと思っていなかった。面食らったオレは言葉を失う。
「何か言いたいことがあるなら一応は聞いておこう」
ルシッドが片手で剣を構えながら言う。
「特に何も。私はおいとましますので」
仮面の視線がルシッドに向いた。
仮面越しに発せられているとは思えないよく通る声だが、特徴のない声でもある。男だということは分かるが、それ以上の情報は汲み取れない。さすがに子供や老人ではないが、若いようにも年配者のようにも聞こえる。
「とりあえず顔を見せてみろ。行かせるかどうかはそれから決める」
感情のこもらない声でルシッドは言う。
仮面の男は小さく首を振った。
「静かに暮らしておいでだった識人様の邸宅に押し入って殺害した挙句、おとなしく立ち去ろうとしている私まで手に掛けようだなんて、とんだ悪辣非道の行いですね」
その言葉はオレの胸にグサッと突き刺さった。確かにオレたちが悪者だ。改めて指摘されると、やはりオレたちは悪者でしかない。
思わず、「どうぞお帰りください」と言いそうになる。
「ならそれを騎士団に報告するのか」
じりと歩を進めるルシッドのセリフの後には明らかに、「口止めする」や「死人に口なし」などの言葉が省略されている。
だめだ。やっぱりこいつは悪人だ。サイコパスだ。善悪の観念なんてないんだ。この一件が終わったら縁を切ろう。一緒に行動していたらオレまで同類項だと見なされてしまう。
「他言はしないと約束すれば見逃していただけますか? 有名な疾風の剣のお歴々に加え、最近話題の竜戦士の方までいらっしゃっては、到底私に勝ち目はありませんので」
中二病臭い名前のパーティはもちろんルシッドたちのことだが、竜戦士ってのは一体誰のことなんだ。
「まずはその仮面取ってもらおうか!」
強い声と共に飛び出したのはヤムト。
まるで黒い疾風のように一瞬の後には仮面の男に肉迫している。
その直後、信じられないことが起きた。
ヤムトが一閃した右手の爪をひょいと掻い潜って躱すと、男はそのまますれ違うように駆け抜けた。
動きを読んでいたかのように待ち受けていたルシッドが剣を振り下ろす。
一応脛のあたりを狙ってはいるようだがまったく容赦のない剣速。当たれば足を失うことになる一撃だ。当たれば、だ。
仮面の男はひょいとジャンプをして刃を避けた。
振り下ろされた左腕と肩をそのままトントンと階段のように蹴って男はルシッドを飛び越える。
着地するや否やオレに向かって突撃してくるも、間合いに入る寸前のところから側転を連続して行いオレをパスした。剣を抜く暇もなかった。
この狭い洞窟内で一瞬にして行われた三人抜き。まるでアクションスターか体操選手のような動きだ。
「商売をひとつダメにされたのは口惜しいところですが、リッチを倒した竜戦士までいるパーティと事を構えようとは思いません。もちろん騎士団になんて報告もしませんよ。そんな事をしても私には1ルデロの得にもなりませんからね。お互いのためにも二度と会わないことを願いましょう」
そういうと闇に溶けるように仮面の男は去って行った。
オレたちはただ立ち尽くしていた。後を追ったところで追いつけるとは思えなかった。
「なんか色々気になる事を言ってはいたが、せっかくああ言ってたんだし、もう気にしなくていいんじゃないか?」
オレたちは皆が満身創痍のうえ、ルシッドは片腕だった。だがそれでも余裕しゃくしゃくといった風に攻撃を避けたやつが只者であるはずがない。こちらに敵意を持っていないのならそっとしておく方が良いに決まっている。
だが、そう言ったオレを、ルシッドは敵意のこもった強い目で見返した。
「あいつもヨールの仇だ」
言われてはっとした。オレは横たわったヨールの遺体に顔を向けた。
仮面の男が直接攻撃をしてきたわけではなくとも、この気の良いハーフリングの命を奪ったリッチの仲間なのだ。
「ごめん」
他に何と言えば良いのか分からなかった。
先ほど男がオレに突進してきた時、真剣に討ち取ろうとしなかった事を後悔した。
「部屋入るわよ」
レミックが言った。
見るとすでにリッチの部屋の扉の前に立っていた。
「行こう」
ヤムトがオレとルシッドを促した。
「我もあの男を許すつもりはない。だがいずれにしてもここから戻った後の話だ」