死の技
反射的に振り返る。
敵と対峙している時に背を向けるなど自殺行為でしかない。だがそちらを見ずにはいられないほどの絶望的なうめき声だったのだ。
ヨールが膝を屈していた。
そのまま顔から地面に突っ伏す。手を突こうとする素振りもなかった。
直感で理解した。あの気の良いハーフリングは死んだのだ。
不死者の王・リッチが対象者を即死させるスキルを持っているというのは有名な話だ。だがそれは酒の席の与太話であり子供を躾けるための作り話であるはずだった。
オレはそれを目の当たりにしている。
なんだこれ。あの骸骨はただ手を握りこんだだけだった。こんなの勝てるわけがない。勝つどころか生き残れるはずがない。
ヨールのことを心配したり、悲しんだり怒ったりはできなかった。そういった感情が沸き起こる間もなく、暴風雨のような混乱が一瞬のうちに心を満たした。
それでも無意識に剣を構え直したのは、ルシッドの叱咤があったからだ。
「距離を詰めて斬れ! 今の技を使わせるな!!」
それはオレに向けられた言葉だった。
ルシッドはアンデッドナイト二体を相手に剣戟を振るっていた。
役割が入れ替わってしまったので、オレがリッチと相対するはめになった。それでもためらいなく足は前に出た。勇気が湧いたわけでも、勝算が見えたわけでもない。ただ恐怖からの行動だった。
リッチの掌が握りこまれることでヨールは絶命した。
どういった原理が働くのかは想像の外だが、死の技はそのモーションによって発動するものと思われる。見えない手で心臓を握りつぶされるとかアストラル体に作用するとかそういう感じなのだろう。
ならばリッチの手の動きを防がなければならない。次に心臓をつぶされるのは自分かもしれない。
距離を詰めるために必死の思いで地を蹴った。焦りで足がもつれる。パニックに陥りかけるが、何とか踏みとどまる。前を見据える。
その時、視界の端を掠めて飛んだ漆黒の風がリッチに襲い掛かった。
ヤムトだ。
「おおおおおおっ」
突進の勢いもそのまま、怒号とともに戦鎚の一撃を繰り出す。
アンデッドと化することで身体能力が強化されていたとしても、元は魔術師のそれなのだ。リッチといえどもヤムトの圧倒的な打撃を受けて無傷でいられるはずがない。
と、オレは思った。だがそれは一瞬の後に否定された。
予想した激しい打撃音はなかった。
振り下ろされた戦鎚は、そこに見えない壁でもあるかのようにリッチの左肩の上で止まっていた。
そこで動きを止めなかったことは、ヤムトが凄腕の戦士である証明にはなっただろう。
武器を引くと同時に、獣人の強靭な下肢による後ろ回し蹴りが見舞われた。
禍々しいまでの足爪が敵の身を裂かんと襲い掛かる。
しかしそれもリッチの身には届かず、胸の前でピタリと止められる。
まるでヤムトが寸止めを行ったかのようだ。そうでないことはヤムトの表情からも知れるが。
瞬間の驚愕とそれを覆う憤怒。
ごうっと吼えると、獣人は三度目の攻撃に出る。
袈裟懸けに、手の爪を振り下ろす。
それでもリッチにダメージを与えるどころか触れることさえできない。
黒いローブの重苦しい袖がひらりと翻った。無造作に杖が振るわれた。それは魔法を行使するための動きではなかった。
ガツンと鈍い音が響く。杖での殴打を受けてヤムトの巨体が弾き飛ばされた。
リッチを剣の攻撃圏内におさめようと接近していたオレは、飛んできたヤムトの背に正面衝突した。
もつれてひと塊となり地面に倒れる。ダメージこそないが致命的な状態だ。
一足先にヤムトが跳ね起き、オレも大慌てて起き上がる。
今にもさっきの即死技がくるかもしれないのだ。
しかし余裕からか、別の理由からか、リッチは追撃することもなくただオレたちを見ていた。
「なんでヤムトの攻撃が効かないんだよ」
オレの口から思わずそんな言葉がこぼれた。
呟きに近い独り言だ。
「貴人だから、だろうな。アンデッドになっても能力はそのまま引き継いでいるようだ」
獣人の聴力はオレの呟きすら拾ったようで、顔をリッチに向けたまま、そんな言葉を返す。
意味が上手く汲み取れなかったのはオレに前提となる知識が欠けているからなのか。
そのままの意味で受け取れば、貴人は物理攻撃を無効にする能力を持っていることになる。そしてそれをアンデッドになった今も継承している。
それが本当なら幾ら何でもチート過ぎる。もうどうしようもないじゃないか。