解体依頼
帰りがけもショウエマ峡谷をジャンプで飛び越えなければならなかったが、野盗やコボルトに遭うことはなくスムーズな旅程だった。
いや、いくら敵に遭わなくてもあの絶叫マシンを万倍にしたような恐怖体験があってはさすがにスムーズとはいえないか。ヤムトは喜んでいたが。
ペンディエンテに着いた時は、もう夕刻になっていた。
地平から名残り惜し気に顔を覗かせている太陽の光を受けて、城壁や城塞は燃えているかのように赤く染まっていた。
夕食の支度で慌ただしい街中を抜けてトメリア食料品店へと向かった。
あちらこちらからただよう夕餉の匂いに刺激された胃袋がぐうと鳴った。
今からイカの解体を行い、その後ようやく料理に取り掛かれるのだが、この空腹に耐えられるだろうか。
「こんにちはー」
シルバーが元気よく挨拶をした。
「あ、シルバーさん、お待ちしていました」
店頭で片づけを行っていたカノミが手を振った。
シルバーは朝のうちにこの店に依頼に来ていたらしい。
コカトリスやシェル・クラーケンを獲っても、解体しなければ食肉にはならない。オレたちにその技術はないので、シルバーが前もってその依頼をしていたことは評価できる。
だが、しっぽをパタパタと振るようにカノミの元に駆け寄るシルバーを見ると、解体の依頼をしたのはカノミとトヨケに会いに来る口実が欲しかっただけなのではと思う。
「お姉ちゃんは奥にいるんで、呼んできますね」
一日の仕事の後とは思えない快活な笑顔でカノミが言った。
「ああ頼むよ」
「ここでシェルク・ラーケンの解体を頼むのか?」
ヤムトが店内を見回しながらオレに訊く。
カゴや小瓶などが整然と並んで、どことなく可愛らしい雰囲気の店内だ。こんなところであの大きな獲物の解体が行えるのかとヤムトは疑問に感じているのだろう。
「この店は奥や地下に作業をするスペースがあるんだ」
カウンターの隣にある観音開きの扉を指し示してやる。
この店は食料品を売るだけの店ではない。干物や燻製、漬物を作ったり、食肉の解体を行ったりもする。
また冒険者でもあるトヨケは、簡単なものならば解毒や解呪などを行ったり、解体した魔物から有用な素材を採取する技術も持っている。
「まあデカい魔物だからオレたちも手伝う必要はあるだろうけどな」
「カズさん、それにヤムトさんも」
店の奥から出てきたトヨケが言った。
「世話かけるよ」とオレは言い、ヤムトは黙って頷いた。
トヨケとヤムトももちろん冒険者ギルドでの顔見知りである。
「あ、トヨケちゃんごめんね。ムリなお願いしちゃって」
さっそく駆け寄ってきたシルバーが猫なで念で言った。
「こちらこそ当店に依頼をしてくれてありがとうシルバーさん。
さ、準備はできてるわ」
トヨケの案内に付いてオレたちは店の奥に入った。
鶏肉の加工を頼んだ時に作業部屋には入れてもらっていた。店舗の倍以上のスペースをとっている部屋だ。もとより大型の動物や魔物の解体も視野に入れ建てられたのだろう
石造りの壁に窓はなく四辺の壁には各一つずつランタンが備わっている。ランタンの他の照明として天井から魔石を収めてあるガラス瓶が鎖でぶら下がっている。
魔石とは軽石のようにスカスカした黒い石で、発動した魔法を留めておける性質がある。
魔法の威力や効果の持続時間は石のサイズによって変わってくるが、例えばこの部屋の魔石のように赤ちゃんの拳ぐらいのサイズならば、明かりの魔法を半日ほど灯し続けることができる。
作業によってはランタンの明かりだけでは光量が足りず、その補助として用意してあるのだろう。
「お疲れさま」
部屋の中には先客がいた。
クールビューティのメガネ美女が親しげな様子で挨拶をした。
冒険者ギルドの受付タマガキだ。
「どうしているんだ?」
ヤムトが訊く。
「トヨケに呼ばれたのよ」
その言葉を受けたトヨケが後を続ける。
「コカトリスを狩りに行くということだったから、解体するにも手が必要かと思って。それに素材も買い取ってもらえるから」
冒険者ギルドは、討伐した魔物から取れる素材や、ダンジョン等で採集したアイテムの買取も行っている。
つまりギルドにはアイテムの査定を行える目利きがいるということで、その目利きの一人がこのタマガキであるらしい。
トヨケの話からすると、解体の技術もあるとのことだから、さすがはギルドの顔といったところか。
「ありがたいな。コカトリスだけじゃなくてシェル・クラーケンも獲れたんだけど、大丈夫か?」
そう訊くとタマガキとトヨケは目を丸くした。
「シェル・クラーケンって、あのクラーケンの亜種の?」
タマガキにそう聞き返されたが、正直言ってオレにはよく分からない。シルバーに教えられた名前をそのまま言っただけなのだ。
「よく分からないけど、多分そうなのかな」
曖昧な返事をしながらシルバーを見た。
話すことができないという設定にしておきたいだろうから、なにも言わないだろうと思ったのだが、シルバーはあっさりと発言をした。
「うん、一般的にはそういわれてるみたいだね」
オレだけに聞こえる囁き声ではなく、この場の全員に聞こえる│話し声だ。
さらにシルバーは続ける。
「実際には亜種っていうほど、近縁でもないんだけどね。
そもそもクラーケンが海に住むのに対して、シェル・クラーケンは淡水住みだしね。
せいぜいが頭足類という大ざっぱな分類をした時に同じグループに属しているといった程度なんじゃないかな」
どうやら、意志の疎通によって起きるかもしれないトラブルリスクよりも、美女と話をすることのほうがこの自転車の中では優先されたらしい。
タマガキのほうも、特に気にした様子もなくフムフムと頷いているところを見ると、元々シルバーのことは上位種ドラゴンだと想定していたのだろう。
「それにしてもシェル・クラーケンなんてかなり脅威度の高い魔物よ。やっぱりシルバーさんが獲ったの?」
「ううん、シェル・クラーケンはこの二人が獲ったんだよ。その時僕は別のことをしてたからね」
タマガキの問いにシルバーが答えた。
ヤムトはすぐにそれを否定する。
「いや、我は助けられただけでなんの役にも立っていない。シェル・クラーケンを討ったのはカズだ」
「ウソでしょ」
タマガキとトヨケが口々に言った。
二人ともとても驚いた顔をしている。反応が正直すぎて、むしろ爽快である。
とても微妙な顔をしていたらしい。オレの顔を見た二人は「ごめんなさい」と言いながらもクスクスと笑った。
「でもカズさんの階級って、たしか七位だったよね。
シェル・クラーケンなんてもしも討伐依頼が来たら、出没場所にもよるけどギルドとしては一位かニ位の冒険者が揃ったパーティを指定するわ。だからちょっと信じられなくて」
タマガキが言う。
「色々と上手くハマったんだよ。そもそも本当にオレ一人で戦ったわけじゃない。ヤムトがイカの攻撃を抑えてくれていたから、その隙をつけたというだけの話なんだ」
この説明が事実だ。本当にオレが倒したわけではないのに誤解が広まるのは嬉しくない。
「それにしてもすごいわ。ギルドの依頼じゃないから冒険者階級の昇級にはならないけれど、きっとみんな驚くわ」
「カズさんすごいね」
それでも二人から褒められると、思わず口元が緩んでしまいそうになる。
「 元の評価が低いと、ちょっとしたことでもすごくいいように見えるよね」
安定のシルバー節も今はおおらかに笑っておくとしよう。