VSイカ(4)
「助かった。礼をいう」
立ち上がったヤムトは、ボスイカを見て状況を把握したらしい。
「今なら逃げられるが?」
いちおう訊いてみた。
「お前が作ってくれたこの好機、見逃すわけにはいくまい」
そう言い終えるとヤムトは目を閉じて天を仰いだ。
アオオオオオオォォォン──
伸びやかで力強い咆哮。
まるで鬨の声のようなそれは、広くはない洞窟内に幾重にも反響する。
「ん? なんだかやる気が出てきたような、というか力がみなぎるような……」
「咆哮というスキルだ。我と、この咆哮を聞いた我の仲間の能力を一時的に底上げする」
「ヤムトもスキル持ってたのか」
「狼の獣人なら誰でも使えるスキルだ。その効果は使用者の能力次第だがな」
「本人も強いのにこんなスキルも使えるなんてやっぱ獣人ってすげえな」
「さあ、ヤツにトドメといこう。
咆哮の効果時間は短いのだ、お喋りしている暇はないぞ」
ヤムトは戦鎚を両手で握り直す。
オレもいちおうショートソードを手にする。
だがボスイカは殻に閉じ籠もっているのだ。トドメといわれてもオレに出番はないだろう。
武器を構えて疾走したヤムトは、ボスイカの直前で跳躍すると、その閉じられている殻に真上から柄頭のハンマー側を下に戦鎚を振り下ろした。
ボグンという鈍い音を響かせて、殻の一部が陥没した。恐ろしい威力だ。
着地と同時にさらに横薙ぎの一撃。
これもまたハンマー部が殻にめり込む。
そこからは連撃。大振りの打撃がどボスイカの殻をどんどんへこませていく。
ボスイカは悲鳴こそあげないが、縮こまったまま動かない。もはやそれしか防御のすべがないのだろう。
集中的に狙ったためか、あっという間に左翼の殻がぐしゃぐしゃになった。
そこでようやくボスイカは動きを見せた。背を覆っていた殻が翼のように左右に開いていく。
「ヤムト、胴体の真ん中あたりを狙え!」
トドメを刺そうというのならば、狙うべきは心臓だ。ボスイカが一般的なイカと同じ体の作りをしているなら、心臓は胴のだいたい真ん中あたり、左右に一つずつと背側に一つの計三つだ。殻が開いた状態からなら狙えるはずだ。
「分かった」
身軽にボスイカの背を駆けあがると、ヤムトは戦鎚の一撃を打ち込む。
今度はつるはし側が殻に覆われていない胴体に突き刺さる。
突端部の長さが足りないので内臓までは達していないはずだ。
ヤムトもそれは心得ているらしく、すぐに引き抜いて、次の一撃を振り下ろす。
引き抜き、振り下ろす。
血液こそ飛び散らないが、凄惨な光景だ。
その時オレは、ボスイカの胴が膨張していることに気づいた。気のせいではない。
そもそもなぜ殻を開いたのか。目はどのみち潰されているのに。
これまでのボスイカの行動を思い返してみる。
そしてある可能性に思い至った。
おそらく殻があると大きく膨らむことができないのだ。
イカは海水を胴に吸い込んで、胴の中にあるエラで呼吸をするとともに、吸い込んだ水を噴き出して推進力にもする。
その際、外套膜と呼ばれる筒状の胴をポンプにするのだ。
それはこのボスイカも同じなのだろう。水から完全にあがらず、その半身を湖水に浸けた状態にしているのは、外套膜の裾部分から水を吸い込むためなのだ。
このボスイカは丈夫な殻を持っているが、その堅固さゆえに殻で覆われている間は外套膜を大きく膨らませることができないのではないか。
逆にいえば、殻を開くということは──
水弾での攻撃? いや──
「ヤムト、そいつ逃げるつもりだ!」
叫ぶと同時にオレは駆け出していた。
ヤムトの咆哮の効果か、体が軽く地を蹴る足にも力が漲っている。
目標は胴が頭に被さるその境い目。触手のすぐ脇だ。
だが今は攻撃は来ないと判断し、そこに飛び込む。水に足を取られ転倒しそうになるが、なんとか持ちこたえる。
剣を差し込む。裂く。
たぶんこのあたりから水を吸い込むんだったと思う。
胴が縮んだ。
裂いた箇所から水が流れ出た。伸ばされていた漏斗からも水が出た。
ボスイカの体がぐんと湖に向かって動いた。
だがその体がすべて水中に入り切る前に、後退は止まった。
ヤムトが両腕で触腕を抱えていた。
「逃さねえさ」
腰を落とした姿勢。太ももや腕や肩の筋肉が膨れ上がっている。
ボスイカが再び膨らむ。
オレは泳ぐようにして再びボスイカに追いすがる。今しがた剣を差し込んだ場所にもう一度刃先を突き刺す。少しでもダメージを与えようと、無我夢中で切っ先を動かした。
気がつくとほとんど肩口ぐらいまでが外套膜の裾部分に埋没した状態だった。
ふと後ろに引かれた。
なすすべもなく水中に引き倒された。
わけが分からないまま必死で立ち上がると、ボスイカは殻を閉じており、振り返るとヤムトが側まで来ていた。
閉じる殻に巻き込まれそうなところをヤムトが助けてくれたらしいと把握できたのは岸に上がってからだった。
殻に閉じ籠もったボスイカは水中に没して動かなくなっていた。