上がってくるもの
『シルバー、シルバー。聞こえるか?』
シルバーが向かった方角の斜面を降り始めて数分後、オレはさっそくシルバーに呼びかけていた。
前言撤回。少し下りたあたりで気が付いた。上から見ていたのと違い、ふつうの人間の足で下りるにムリがある急斜面だった。
どのみちこっちも谷へ向かうことは告げておくべきだ。それならいっそ、迎えにきてもらう方がみんな幸せになれる、気がする。
シルバーならサーッと戻ってきて、オレを乗せたらまたサーッと下れるだろう。
だけど返答はない。幾度か心の中で呼びかけてみたのだが、なんの反応もない。
「おいシルバー、聞こえてないのか?」
いよいよ声に出してそう言ってみたが、ただの大きな独り言になっただけだった。
無視をしているといった感じではない、気がする。
無視をするぐらいならシルバーのことだから皮肉のひとつでも言ってから、迎えには来ないと宣言するのではないだろうか。
だがシルバーの身になにかあったとも思えない。
地形の悪さなど物ともしないだろうし、もしもコカトリスに遭遇したところで、あのチートスキル持ちがやられる姿は想像もできない。
そこでふと思いついた。
思念伝達のスキルって、使おうとしないと発動しないアクティブスキルなんじゃないか?
もし勝手にまわりの心の声が入ってくるなら、鬱陶しくてしかたないだろうし、あれは念話というよりも読心のような感じだった。
だとすればこっちからいくら呼びかけてもシルバーには届かないということになる。
シルバーがオレの心を読もうとした時か、なにか伝えてきたタイミングでしか、こちらからのメッセージを送る機会はないのだ。
「くそっ、なにが飛んでくるだ」
手近な石ころを蹴飛ばす。
斜面を転がった石ころは、地面から顔を出した石に当たって跳ねると、放物線を描いて谷底へと落ちていった。
やはり斜面まっすぐには下っていけそうにない。
尾根道の少し先に分岐して下っていく、やや幅広の巻き道が見えた。
下の方は見えないが、比較的なだらかで沢まで降りられそうな感じもする。
「とりあえず行ってみるか」
とりあえず行ってみて、ダメそうならまた違う道を探せばいい。
尾根道に戻りその道へと向かう。
分岐点から巻き道の様子を伺う。所々木々で視界が隠されているが、ここから見た限りでは藪などもなく歩きやすそうだ。
とりあえず下りてみよう。
土がむき出しの地面だが何者かによって踏み固められていて歩きやすい。まるで登山道を行くようだ。
踏み固めたのはおそらくコカトリスだろう。遭遇しませんようにと祈りながらも道の先に最大限警戒の目を向ける。
しばらく行くと、遠くにせせらぎの音が聞こえてきた。
道は順調に下っている。確信を得て歩くペースを早めようとしたところで、水音ではない別の音が聞こえてきた。
「なんだ?」
口の中で呟きつつ、さらに耳を澄ませる。
足音のようだ。
下生えのない地面だが、それを踏みしめる音であるのは間違いない。
道が山肌を回り込むように大きく曲がっているため、その先を見通せないのだが、なにかが上がってきているのは間違いない。
人間ではない。二足だが、もっと大きくて直立ではない姿勢のなにか。
いよいよコカトリスが来たらしい。
「いるじゃねーか、コカトリス」
まだ姿は見えないが、確かめるよりも先に逃げるべきだ。
たとえコカトリスではなかったとしても、大きな体を持った魔物であることは間違いないだろうし。
来た道を回れ右したところで、オレは思い直した。
足音が速すぎる。歩くというよりもタッタッタッタッと地面を蹴りつけ近付いてくる。オレの全力ダッシュの倍は速い。これは逃げられない。
隠れるべきだと判断し、あたりを見まわす。
道から逸れて斜面を降りるという手がある。だがダメだ。木も生えない斜面では上から丸見えだ。コカトリスが斜面を駆け下りて追ってきた場合、秒でつかまる。
他になにかないかと探す。
山肌の一部に、上から落ちてきた岩や石が纏まっている場所があった。岩には何かの植物の蔓が絡みつき、岩同士の隙間には雑草が生い茂っている。だがそれだけだ。隠れられそうな物陰はない。絶体絶命だ。
ふと、なにかを感じた。
違和感とも呼べないような微細なひっかかり。
あらためて山肌を見る。
蔓と雑草。たくさんの岩が積まれている。
蔓をロープに、岩を足場にして上へと登れないだろうか。いや、そうじゃない。違和感がどこかにあるのだ。登ることはいったん忘れろ。
蔓と雑草の陰。岩のあると思われる場所が黒い。岩面ではない。雑草が作り出した陰でもない。
「穴がある」
蔓と雑草に隠された山肌に穴が開いていた。
そこまで走り、手を入れる。
しっかりとした穴だ。もともとあった穴が上から崩れてきた岩で隠され、さらに蔓に覆われたのだ。
いや、今は考察をしている場合ではない。幾つかの岩をどかして蔓草を掻き分ける。なんとかオレが入れるだけの隙間を作った。
頭を突っ込んで中を見える。暗くてよく見えないが、洞穴と呼べそうな穴だ。
迷っている暇はない。
オレはそのまま上半身から穴に転がり込んだ。