ジャンプ!
「本当に大丈夫なのか?」
「このぐらいの助走距離があればたぶん大丈夫。あの崖の角度もちょうどお誂え向きだし」
オレたちはシルバーに従って降りてきた岩場を再び登り、崖上へと来ていた。
「たぶんってのはやめてくれ」
「物事に絶対はないのだよ」
オレとシルバーのやり取りをヤムトが不思議そうに見ている。
「どうかしたの?」
発言のないヤムトに向かってシルバーが訊いた。
「二人の様子が、竜と人との関係にしては、あまり想像をしたことがない雰囲気なのでな」
「もっとギスギスしてると思ってたのか?」
今度はオレが訊く。
竜と人との関係は一般的にはどんな感じなのだろうか。そもそもオレにはシルバーが竜であるという実感すらないのだが。
「竜騎兵が竜を扱う場合は、馬に対するそれのような感じであるし、上位種の竜は人間など芥のごとく歯牙にもかけないだろう。お前たちはそのどちらでもない」
「オレがペットも家族のように扱う心優しい飼い主だからかな」
「僕が下等な者にも平等に接するフランクな竜だからだね」
オレとシルバーが同時に言った。
「分かった分かった。正直どちらでも良いが、良い相棒であることだけは理解した。
で、我はどうすればいい?」
「モフモフさんも僕に乗ってくれればいいよ。ジャンプで谷を越えるから。
あと良い相棒とかじゃなくて、僕がいないとカズは一人じゃなんにもできないから、お情けで面倒みてあげてるだけだからね」
当然反論したいところではあるが、こんな事で時間を食うわけにもいかないので、もう黙っておく。
「鉱竜殿に乗るなどルシッドが聞いたら悔しがるだろうな」
ヤムトが言った。
「どうしてルシッドが?」
オレは訊き返した。
「あいつは竜騎兵に憧れててな。竜に乗って魔物と戦うのが、子供の頃からの夢だったらしい」
特撮ヒーローに憧れるようなものか。
そう考えると気持ちは分からなくもないが、それってつまりいわゆる中学二年生的な病気のアレなのではないだろうか。
というか、
「もしかしてオレに絡んできたのも羨ましかったからなのか?」
腰抜けだと思っていたギルドの底辺が、ある日突然自分の憧れだった竜騎兵になったとなればとても平静ではいられなかったのだろう。
「我が話したことは、ルシッドには伏せておいてくれよ」
決まり悪そうにヤムトが頭を掻いた。
「あ、ああ。もちろんだ」
そう答えたが、おそらく無理だ。こんな楽しい話を秘しておける程オレは大人ではない。
「ほら、とっとと行くよ」
シルバーはこの会話には興味もないらしい。
「そんな急かすこともないだろ」
言いながらシルバーの方を見た。
その向こうで動く影に気付いたのはただの偶然だった。
「何かいる」
人影だ。一人、二人ではない。岩陰に隠れるように散開しているが、少なくとも五人以上はいる。
「橋を落とした連中だな。後をつけられてたか」
オレの目線を追ったヤムトが言った。
「コボルトじゃないな」
コボルトは一般的な成人男性よりも小柄だ。
だが岩陰に隠れている者たちは、一般的な成人男性と同等かそれ以上の体格をしている。
それだけではなく、武器や防具で武装しているのだ。
コボルトが棍棒や黒曜石を使った原始的な槍を使う事は知られているが、この連中の装備はレザーアーマーやロングソード等の冒険者が使うようなちゃんとした物だった。
「だからとっとと行こうって言ったんだよ」
シルバーが言った。
「お前、気付いてたのか?」
「あんな気配も隠し切れてないような包囲、ふつーは気付くよね」
シルバーがそう言うと、ヤムトが頭を下げた。
「面目ない」
「こんなやつに謝る必要とかないからな」
「ニンゲンだよ、あれ」
シルバーが言う。
装備から推測してオレもそう考えていた。そもそもコボルトに橋を落としたりするような知能はない。
おそらく野盗だろう。
橋を落としてここを通る者の足止めをし、襲撃しているのだ。
「あの程度なら我が」
「放っておこうよ」
野盗たちの方へ歩きだそうとする獣人をシルバーが制した。
「討伐したいなら、また別の日にしなよ」
「だが」
戸惑いの表情を浮かべながらもヤムトは足を止める。
「シルバーって、面倒くさがりだよな。やらずに済むことは極力やらずに済ませようとするフシがある」
「それがふつーじゃないの?
効率を考えられないなら、効率を考えて橋を落としたあの野盗たちより低レベルって事になっちゃうよ」
「確かにな。それに効率云々を言うなら、あいつらの駆除は討伐依頼が出てからの方が良いしな」
ギルドに野盗出現の報告だけでも入れておけば、そのうち依頼も出るだろう。
もちろん達成できる実力はオレにはないが、拘るのならばヤムトが自分のパーティとまたここに来ればいい。
「と、いうわけだから二人とも乗って」
シルバーの言葉に従って、オレはサドルに跨った。
少しの躊躇を見せながらもヤムトも荷台に跨る。
体が大きいので、大の大人が三輪車に乗っているようなおかしさがある。
これ前にいた世界ならおまわりさんに止められるやつだよな。
「じゃ、行くよ」
言うなりシルバーは発進した。急加速に身体の中身が置いていかれるような気持ち悪さを覚える。
「うおっ」
後ろで声が上がった。
「ヤムト、オレの腰に手を回してしがみつけ! 振り落とされるぞ!」
言うと、言葉通りに太い腕が回された。一瞬、圧死させられそうな錯覚に陥る。
二人乗りミスリルドラゴンでこんなに速度を出すのは初めてだが、バイクのタンデムの要領で大丈夫だろう。バイク乗ったことはないけど。
やや急な勾配だが、またたく間に速度を上げ、シルバーは疾風のように崖へと向かう。
包囲していた野盗は矢の一つも放てずにただ見送っている。
ジャンプ台から飛び出すように、シルバーは崖から宙へと身を踊らせた。
怖いとか怖くないとかを考える暇もなかった。何が何かも分からないうちに視界に空が広がっていた。空だ。空にいる。
思わず目をおろす。足の下には何もない。遠くに川。下半身から力が抜ける。パニックになりそうだ。
高いとこで下を見てはいけない。慌てて顔を上げ、まっすぐ前を見た。
シルバーが上昇から下降に移った。
対岸の崖。山地の向こうには平野。遠くの山々。地平線。
崖が迫る。今度は衝突の恐怖が湧き上がる。
悲鳴も上げられず目を閉じた。次の瞬間下からの衝撃が身体を走り抜けた。
だが驚きこそすれ、ダメージを受けるほどのものではなかった。
サスペンションも付いていないママチャリがどうやって着地の衝撃を殺したのかは知る由もない。とにかくオレたちは無事谷を飛び越えて反対側の岩場に着地していた。
「こいつは驚いた。まさか空を飛ぶ日がくるとは思わなかった」
後からヤムトの声がした。
驚いたってなんだよ。こっちは魂が抜けそうたぞ。ドキドキすらしねえ。ビビりすぎて心臓も心拍数上げるのを忘れてやがる。
「恐くなかった?」
シルバーが訊く。
「味わったことのない感覚だった。恐くはないがクセになりそうではある」
「ああ、そうだよな」
一応オレも相槌を打った。
ヤムトはなんだか嬉しそうだ。こいつは絶叫マシンを楽しめる部類の人間だ。
「おい、どうしたんだ!?」
シルバーが止らない。着地後そのまま走って山道を下り始めた。
「このまま二人とも乗せていくよ」
言うなりシルバーは更に速度を上げた。
木々や岩石の疎らな場所を抜け山道に入る。
ぐねぐねと曲がる山道をハイスピードで下りハンドルを連続して左右に切るので、オレとヤムトの体がぐらんぐらん揺らされる。
平野に出てようやく振り子地獄から解放された。
シルバーはここぞとばかりさらに加速した。草原だろうと荒れ地だろうと路面のコンディションはシルバーの走りに全く影響を与えないらしく、快適に走り抜ける。
何度か小川に行く手を阻まれもしたが、橋のない川は水面に顔を出した岩をぴょんぴょんと跳んで渡った。
「これは……。オレに付き合わせてて悪かったな」
ヤムトが言った。
確かに、ヤムトに合わせて並走していた時とは段違いの速さだった。
「良いって事だよ。のんびり行くのも楽しいしね」
そんなやり取りをしている間にも、遠くに見えていた山が間近に迫っていた。
「もう着くよ、カキプロル山」