腕力
「明日つったって、カキプロルまでは三日ぐらいかかんだぞ」
モリが言った。
「それなら心配いらぬ。我の足ならニ、三時間もあれば行ける。
そいつもドラゴンライダーならば、竜に乗れば同じぐらいの速度で行けるだろう。
朝早くから出れば、向こうで狩りをする事を考えても晩までには戻ってこられる」
ヤムトは伸びをしながらそう答えた。
黒く艶めく体毛の中にまだらに混じった幾筋かの銀の毛が、月の光を受けて輝く。改めて見ると、その腕や背には屈強さばかりではなくしなやかさも宿っている。
馬車で三日の距離を、走ってニ、三時間とはなかなかムチャクチャな脚力だが、それも信じられる気がする。
とはいえ、やはりかなりの強行軍だ。
「ヤムトは七時間ほどなら走り続けることができる」
ルシッドが言った。
いやいや、いくら連続で七時間走れたって、走って現地まで行って、コカトリスを狩って、また走って戻ってくるなんて流石にムリがあるだろう。
さらにルシッドは続ける。
「それに戦闘力ならおそらくこの街のギルドでヤムトに並ぶ者はいない。コカトリスごとき問題じゃない」
ギルドに並ぶ者がいないってことは、ルシッドよりモリよりハンガクよりも強いということになる。オレなんてもはや秒殺だ。
というかオレ、こないだこの獣人の怒りを買っていたよな。二人きりで登山に行くなんて、どう考えても無き者にされる未来しか見えないんだが。コカトリス狩りにかこつけて、オレをおびき出して惨殺するつもりに違いない。これは絶対に行くべきではない。
オレを秒殺できる獣人が、すっと立ち上がった。
トイレにでも行くのかなとその姿をなんとなく目の端で見ていた。だがヤムトの向かった先は仮設トイレの方ではなく、撤去した石材置き場だった。真四角の石の前で歩みを止める。オレの胸ぐらいの高さがある石材だ。厚みも同じぐらいある。
くるりとオレたちの方へ振り返った。
「コカトリスを狩るのは我に任せておけばいい。異次元収納のスキルには期待している」
オレの目を見てそう言うと、その拳を石に叩きつけた。
渾身の力を込めたという感じではない。無造作に、何気ない動作の延長といった感じのパンチだった。
だが、
ピシリッ
小さく乾いた音が響いたかと思うと、次の瞬間石は粉々に砕け散った。
レミックの使った魔素弾にも似ているが、こちらの方は魔法などではなくシンプルな腕力だ。
「なんだ、そんな芸当ができるんなら、兄ちゃんにも石の破砕頼んだらよかったな」
石工の棟梁が言った。
これだけの一撃を見せられても、破砕作業に便利だぐらいにしか思わないのもある意味すごい。
というか、異次元収納に期待って。え?
「流石のパワーだな。たしかにコカトリスに引けを取ることはなさそうだ」
モリが言うと、棟梁も深々と頷いた。モリはオレの顔を見て続ける。
「よし、じゃあカズとヤムトで行ってきてくれるか。明日は晩飯が楽しみだな」
「ちょっと待……」
「仕事の方は任せとけ。獣人の兄ちゃんが抜けるのは大きいが、オレたち石工も晩メシに期待を込めて頑張るとするぜ」
オレの言葉を遮るように言うと、棟梁は地も割れそうな声でガラガラと笑う。
「気ぃ付けて行ってこいよ」
「ここは任せとけ」
ヨハンとカルドが口々に言う。
いや、ちょっと待ってくれ。なぜオレもカキプロル山に行く事になっているんだ?
「昼食はオイラに任せてくださいっす。晩もフライドチキン以外の副菜を用意しておくっすよ」
ハンクが胸を叩いてみせた。
『なんだけっきょくカズも行きたかったんじゃん』
シルバーからの思念伝達がきた。
『そんなワケないだろ』
『まあ仕方ないね。フライドチキンが美味しかったから、みんなもっと食べたいんだろ。
ホントは僕たちだけの方がいいけど、断ってもあれはもう聞き入れないだろうし』
『くそっ、フライドチキンなんて作るんじゃなかった』
『もう諦めるしかないよ』
『これ絶対オレ獣人に殺されるよな』
『もう諦めるしかないよ』
『そこも諦めるのか』
って、諦められるわけがない。流石にいよいよ殺されるとなったらシルバーも助けてくれるだろうが。
いや、ダンジョンで悪魔から逃げた時の事を思い出せば、そうとばかりも言い切れないか。あの時は普通にオレを見殺しにしてトヨケたちだけを助けようとしたんだもんな。
『だいたい誰なんだよ。コカトリスとか言い出したのは。こんな事ならさっさと野鶏を取りに……あ』
『なに、どうしたの?』
『お前の見たっていうカキプロルの野鶏ってまさか……』
『ああ、それはもちろんコカトリスの事だよ。鶏みたいなもんでしょ。野生だし』
■□
五日目の朝。
朝日が城壁に遮られ石畳の地面に青い影が落ちている。
仮設休憩小屋も建ててはいるが誰も使っていない。皆、毛布に包まって思い思いの場所で地べたに転がっている。その転がった毛布もいくつかがもそもそと起き始めていた。
現場の朝は早い。だがオレとハンクはそれよりも早い。すでに起きて朝食の準備をしていた。
とはいっても朝は簡単な物しか作らない。今朝は鍋で燕麦をミルクで煮ていた。いわゆるオートミールだ。
野営にも慣れてきていたが、昨夜はなかなか寝付けなかった。寝不足でぼんやりした頭のままオートミールをかき込む。少し離れた所ではヤムトもオートミールを食べていた。
「あとはオイラに任せてくださいっす」
ハンクが言うのでオレは自分の食器だけを洗う。
シルバーの姿が見えなかったが探しに行こうかと迷っているうちに戻ってきた。
『シルバー、朝飯は?』
『いらない。僕オートミールって嫌いなんだよね。それよりカズが食べ終わったんなら早く行こうよ』
『遠足に行くワケじゃないんだぞ』
『似たようなものじゃない』
そんなやり取りをしている所にヤムトがやってきた。
ヤムトの体が作る影に入っただけで無意識に首筋が竦む。
「準備が出来てるなら行こうか」
準備しておく事のひとつも思い浮かばないので、オレは頷いた。