転生する前は料理配達員
物語はまだ転がり始めもしてない。
でもここで、愛車のシルバーチャリオッツ号に乗って颯爽と街中を駆け回っていた前世のオレに起こった出来事を見てほしい。どうせ転生してからの話にはあんまり関係ないんだろ、なんて言わないで。
実際のところほとんど関係はしないんだけど、それでもこっちの世界で相棒となるヤツの前世のお話でもあるのだから。
向こうにみえる交差点の信号が赤になりそうだった。
料理を受け取る店までは約4分の距離。
だけど、アプリに表示されるこの時間は、信号などに引っ掛からない場合の最短のもので、実際にはこの倍はかかると考えておいた方がいい。
この仕事はどれだけ効率よく配達件数を増やすことができるかがカギだ。ペダルをこぐ足に力を込める。
車道の左端を、車に負けない速度で、オレのシルバーチャリオッツ号が疾走していく。
なんとか青信号の点滅中に交差点を抜けた。
すぐに目指すハンバーガーショップ「ワクドナルド(通称ワック)」に到着した。
店舗の前を通り過ぎて次の角を曲がる。
このショップでは配達員は裏口にて商品を受け取る決まりになっている。デカい四角のバッグを背負った配達員が何人も店のカウンターに並んでいては一般のお客さんの邪魔になるからだ。それほどにワックの出前依頼は多い。
今も裏口にはすでに何人かの同業者がたむろしていた。
オレたちの仕事は依頼をうけてなんぼだ。
オーダーの入った店の近くにいる配達員から優先的に依頼される。だから、オーダー数の多いワックの前で依頼待ちをして、それを配達すればまたワックに戻って次の依頼を待つというのが、一番効率よく稼げるやり方ということになる。
ワック店舗の近くでじっと依頼が来るのを待つこの方法は、ワック地蔵などと呼ばれていた。
もちろん皆が皆ワック地蔵をするわけじゃない。ライバルが多ければ依頼を受けられる確率も下がる。料理配達サービスDIVA Üzディーバー ウーズで注文できる料理のカテゴリは100を越えるし、地域や曜日や時間帯によってはワックではない料理店の方がオーダーが入りやすいことも多い。配達員一人ひとりで最適なやり方は違うし、それぞれの生活スタイルにあった場所や時間、やり方で働けるのもディーバーの良い所だ。
オレもそうだ。
オレの場合は基本的には色々な飲食店の料理や店の雰囲気を見たいので(食べに行く金はない)、街を流してできるだけ色々な店の出前をできるようにしている。
そんなオレにまでワック出前のおこぼれが来るぐらいだから、かなりオーダーが集中していたんだろう。
「ディーバーです。番号は2145」
ワックの裏口から店員に声をかける。
ほとんど待たされる事なく商品が渡される。
ディーバーウーズのロゴが入った大きな四角いリュック(通称デバッグ)に受け取った商品をしまい、アプリの『デリバリースタート』のタブをタップしてスライドさせる。
マップを確認するとハンバーガーを届けるお客さんの家は3分の距離だ。これぐらいの近さだったら自分で買いにこいよと思わないでもないが、こういうお客さんがいるからこそオレたち料理配達員が成り立つというのもあるんだよな。
中に入れたカップのジュースがこぼれないよう、慎重にデバッグを背負って、シルバーチャリオッツ号にまたがる。
さあ出発だ!と思ったところで、後ろから押しのけるようにして一台の自転車がオレの前に出た。
その際、向こうのハンドルの先がオレのデバッグに当った。
角を引っ掛けるような感じだったので、バッグが大きく揺れた。
商品のドリンクがこぼれたんじゃないかと冷や汗が出る。
とっさに相手の顔を見ると、ぶつかってきたのは向こうなのにこちらを睨み付けていた。
細面で頬骨が高い。意地が悪そうに口をへの字に曲げている。知らない顔だ。年齢はオレより少し上の二十代後半から三十手前ってところだろうか。
「気を付けてくれよ」
オレはそう言った。
態度からしても、謝罪の言葉は期待できないなと思っていた。
そして予想通りそいつは黙って前に進んだ。
次の瞬間、ガンッと衝撃がきた。
何が起きたのか分からず辺りをキョロキョロする。少し遅れて通り過ぎざまに前輪を蹴られたのだと理解した。
「おいっ」
思わず強い口調で声をかけていた。
ケンカなんてしたこともないし、するつもりもない。だけど流石に腹に据えかねて声を出さずにはいられなかった。
そいつは進むのを止めて振り返った。
我ながら情けないことだが、向こうがどう出るのかちょっとビビっている。
「ママチャリがちんたらしてんな」
ようやく口を開いたかと思えば吐き捨てるようにそう言った。
怖くないといえば嘘になるが、ここは男として引くわけにはいかない。
わずか数秒ほどだが、オレとそいつはにらみ合いになった。
そこに、出発しようとしている別の配達員が声をかけてきた。
「時間もったいないだろ」
「あ、ああ」
その言葉で我に返った。
声を掛けてくれた人の顔を見る。
二十代半ばぐらい。短髪で精悍な顔立ちでスポーツか何かやってそうな感じで引き締まった体をしている。知り合いではなかった。
向こうもそれ以上なにを言うつもりもないようだ。こちらには見向きもしないまま、さっさと自転車をスタートさせた。
シルバーチャリオッツ号に蹴りをくれたヤツも、なにか言いたそうな顔をしたが、けっきょくのろのろと自転車をこぎ始めた。
■□
フードデリバリーの仕事で困るのはトイレだ。
決まったエリアで配達をしている分には、スーパーマーケットや公園等の割と自由に借りられるトイレを幾つか見つけておけば良い。
だけど、オレのように適当にぶらついて依頼が来るのを待つタイプからすれば、トイレは行きたくなった時に探すしかない。そうなると大抵はコンビニで借りる事になるのだが、なにも買わずにトイレだけを借りるというのも気まずい。
というわけで、なにか飲み物の一本でも買うことになり、結果的に水分補給兼休憩の時間になる。
シルバーチャリオッツ号の前カゴより明らかによりデカいデバッグを、上手くバランスをとって乗せる。
デバッグを背負ったままトイレに入るのは色々と不便だし、何よりも見た目の印象が悪い。トイレに持ち込んだバッグで食べ物を配達されたい人間などいないだろう。
早足でコンビニへと入った。実はけっこう限界が迫っている。
「すいません、トイレ借ります」
「どうぞー」
店員に声をかけてトイレを借りた。
安堵のため息とたまりたまった水分を出して、トイレから出ると、緑茶の500ミリリットル入りペットボトルと、少し迷ってからレジ前に陳列されていたどら焼きを買った。からあげちゃんと少し迷ったのだが、疲れている時はあんこの甘さが身体に染みる。先ほど見つけていた公園のベンチで食べよう。
自動ドアを出ると少し日が傾いてきていた。
今日はあと2件てところかなと思いながらシルバーチャリオッツ号に戻った。
違和感があったが、それが何によるものなのか少しの間気付けなかった。
「ない……」
我ながら間の抜けた声が漏れた。
ないのだ。デバッグが。
シルバーチャリオッツ号の前カゴにはただ虚無だけがある。オレは周囲に目を走らせる。上手く乗せたつもりだったが、バランスがくずれて転がり落ちたのだろうか。
だけどシルバーチャリオッツ号の半径10メートル以内には見つからない。さらに辺りを見回すが、特徴的な黒四角はやはり見当たらない。
大きさのわりに空だと意外と軽いが流石に風で飛ばされるということはないだろう。
となると、考えられる事はひとつ。
「シルバー、デバッグはどうした? まさか盗まれたのか?」
もちろんシルバーチャリオッツ号が返事をするわけもない。
イタズラ目的なのか、転売目的なのか(デバッグはフリマアプリのママカリでそこそこ高額で売られていたりもする)分からないが、デバッグ狩りが行われているという噂は聞いたことがあった。
だけど、そういうのは犯罪都市である東京(偏見)とかで起きる事件で、身近ではそうそうないだろうと思っていた。
油断していた。
やはりデバッグを背負ったままトイレに入るべきだったのだ。いやいや、やっぱりそれは良くないな。というか、そんな事を今葛藤している場合ではない。
探さなければ。
だけどどっちの方角を?