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路地裏での災難

 まとまった収入を得られる仕事が決まったことが気を大きくしていたかもしれない。


 オレはエール七杯を立て続けにガブ飲みしたあと、ぐらんぐらんする頭を抱えてモリとともに通りに出た。

 通りに面した店の掲げるランプの火が地面を照らしている。そこにふらふらと覚束ない足取りのオレたちの影が踊る。

 胃からこみ上げてくるものを抑えながら歩いた。一歩一歩が三半規管を大きく刺激する。


 世界が揺れると嘔吐をガマンすることなど、どうでもよいことの様に思えてくる。


「おい、どこ行くんだ」


 通りから、暗い路地に入ったオレの背中にモリが声をかける。


「ちょっとションベン」


「じゃあ、オレはもう帰るぞ。

 あさっての仕事忘れるんじゃねーぞ」


 そう言い残してモリの足音は遠ざかる。


 連れションもしないとは友だち甲斐のないやつだ。

 とはいっても、ションベンと言いながら実はオレは吐く場所を探していたんだが。


 一度は降りた道をふたたび上がってこようとするエールや煎り豆や乾し肉をなだめながら、路地の奥の方を目指した。


 それがよくなかった。


 この辺りは通りこそ道幅も広くて舗装もなされているが、一歩横道へ入ると、剥き出しの地面や建物の壁のそこかしこになにかよく分からない汚れがこびりついており、細い路地が迷路のように入り組んでいる。

 通りからの灯りも届かず、建物の裏口や窓から漏れる光だけが頼りだ。


 そこに、どこからな駆け足の音が響いた。さらに切迫した息遣いと二種類の声。


「離して!どういうつもり?」


 なかば悲鳴に近い女の声と、


「おいおい、どういうつもりなのか説明すればいいのかい?」


 おどけた男の声。

 それから別の小馬鹿にしたような笑い声が続く。


 男たちは一人ではなさそうだ。

 雰囲気からして関わり合いになるべきじゃない。

 そう思ってはいるのだけれど、立ち去る踏ん切りもつかない。


「お、逃げたぞ」


 男の声が聞こえた次の瞬間、角を曲がって女がこちらに走ってきた。

 暗がりで身なりもよくは分からないが細身の若い女だということは分かる。


「助けて!」


 オレの姿を認めるなり、女が声をあげた。

 そのまま駆けてくると、棒立ちになっているオレの背後にまわる。


 助けてといわれても、オレにできることなんて何もない。

 慌てることさえできずに成り行きを見守っていると、すぐに男たちが追い付いてきた。


 男は二人だ。


 ここでこいつらを打ち負かして女を助けてやれれば格好良いのだが、たぶんそれはムリだろう。


「お、お前、ど、どういう、つ、つもりだ?」


 二人組の片割れ、丸顔に二重顎、腹だけがポコンと出た体型の男の方が、息を切らせながらそう言った。


 顔立ちからして、おそらく二十歳前後というところだろう。

 なかなか息が整わないところからして、なかなかの運動不足のようだ。


「賤民ごときが、まさか口を挟むつもりかな」


 不愉快そうな表情を隠そうともせずにそう言ったもう一人もやはり同じぐらいの年齢に見える。

 こちらはヒョロリとしていて長髪だ。ウェーブのかかった金髪が神経質そうに尖った顎あたりまでたれている。


「いや、オレは……」


 尊大な態度からしてもこの二人は貴人だ。


 刺繍や飾りの施された光沢のある絹織りの服装からもそれが分かる。

 たぶんこいつらの服一着は、オレの生涯収入よりも高い。


「さ、さっさ、と、き、消えろ。卑しき民が視界にあるだけで不快だ」


 二重顎がまるで生ゴミでも見るような目でそう言った。


「分かりました」


 答えて、オレは背後の女の手を掴んで歩き出した。


「待て、待て」


 二重顎が声を上げた。


「平民が貴人殿の視界に入るのは失礼かと存じますので、我々はとっとと失せます」


 オレは足を止めずにそう言った。


 だが次の瞬間、背中に衝撃を受けて地面に倒れ込んでしまった。

 どうやら相当な勢いで蹴られたらしく、息ができない。


「かはっ、かはっ」


 這いつくばったまま、必死で息を吸い込み肺に空気が戻るのを待つ。


「賤民といっても女は別だ。貴様だけが去れ」


 尖り顎の方が冷たい目でオレを見下していた。

 蹴ったのはこっちの方らしい。


「立て。そしてとっとと失せろ」


「わ、分かりました」


 息がまともにできないので、返答するのにも苦労する。

 だけど立ち上がらなければ、次の蹴りが飛んできそうだったので、オレは苦しいのをこらえて立ち上がった。


 と、そこに次の蹴りが飛んできてオレの顎を直撃した。


 これまた不意打ちだったので、もろにくらって今度は仰向けに倒れてしまった。

 今度の蹴りは二重顎の方だ。


「め、目つきが、はあ、気に、いらないぞ」


 せっかく整いかけた息が、蹴りのせいでまた乱れている。


「もともと、こういう目なんで」


 喋りにくい。唇が痛いというよりも痺れていた。歯が下唇に突き刺さったらしく、血が溢れていた。


 起き上がる前に、二重顎がオレの脇腹を蹴りつけてきた。大した威力ではないが何度も何度も足を振るわれ、あばらが悲鳴をあげる。

 いや、あまり痛みを感じないのはまだ酔いから冷めてないからか。

 だけど、これはやばい。このままだと殺される。

 貴人であるこいつらは平民のオレを殺すことなどなんとも思わないだろう。


 オレは転がってその場を離れる。

 息を詰めて体中の痛みをこらえると、一気に立ち上がった。


 二人に向かって身構えた。


 積極的に戦おうという意思があったわけではない。

 被害を最小限に抑えるためには、抵抗しないことが一番良いのだと頭では分かっていた。

 だけどまがりなりにも戦闘も経験してきている冒険者の本能は、このまま反抗をしなければ命が危ういと告げていた。 


「反逆だな」


 尖り顎がそう言った。


「お、オレがやるぞ」


 二重顎が前に出た。


 気になって振り返ると、女の姿はなかった。

 今の間に上手く逃げたのだろう。


 貴人たちもすでに女のことはどうでも良くなっているようだ。今夜のレクリエーションは暴力に変わったらしい。

 二重顎は背も低く、その突き出た腹とは裏腹に手や足はヒョロリと細い。

 とてもじゃないが争いごとなどできないように見える。

 だが貴人である以上はそうではないのだろう。


 貴人は世襲制ではあるが、いわゆる貴族であるとともに、騎士・戦士でもあり、外国や魔族の暴威からこの国を守っている。

 国の始祖に連なる神人によって特権待遇を与えられているのはそのためだ。


 つまり見た目はザコっぽくても強いのだ。


「きぃええええ」


 雄叫びとともに二重顎が殴りかかってきた。

 腰に提げているサーベルを使うつもりがなさそうなのがまだ救いか。


 大振りなモーション。スピードも遅い。

 余裕で避けられる、と思った。


 ところが、オレの体は硬直していた。

 魔物と戦っている時にはこんな風になることはないのだが、先ほどのダメージのせいか、それとも貴人を相手にしているというおびえによる萎縮か。


 二重顎の拳はオレの左頬をとらえた。

 衝撃と痛み。口の中が切れる。


 なかば無意識にその手首を掴んだ。

 ほぼ反射的に引き込んで、相手の体勢を崩す。

 つんのめるように頭を下げた二重顎の二重顎目掛けて、拳を振るった。

 だけど、そこでも何ともいえない悪寒が背筋を駆け昇り、動きを止めてしまった。


 腕の筋肉がこわばっている。


 そこにすかさず振り払った二重顎の腕が、さっきも打たれたオレの顎に直撃した。

 激しい痛みで今度はかくんと力が抜ける。

 目を剥いて息を荒げた二重顎が叫んだ。


「オ、オレを殴ろうとしたな。

 ころ殺してやる!」


 繰り出されるのは右のアッパーカット。


「んぐっ」


 オレのみぞおちにめり込んだ。


 忘れていた吐き気がこみあげてきた。

 数秒ほどはこらえたものの、けっきょくオレは胃の内容物をその場にぶちまけた。


「ごえええぇぇ」


「けっけけけ汚らわしいっ」


 オレのゲロの何滴かが跳ねたのだろう。

 二重顎は慌てて飛び退くと、ポケットからハンカチを取り出してブーツのつま先を拭き始めた。


 被害を被る距離にいたわけでもない尖り顎もさらに離れる。


「同じ空気を吸っていることさえ耐え難いわ」


 そう言って、ブーツを拭いたハンカチをオレに投げつけると二重顎は大股で歩いてオレから離れていった。

 もっとも、自分のゲロの水溜りに顔を埋めながら意識も朦朧としてきたオレにはなにを言ったのかも理解できていなかったが。


 ──ああ、これ死ぬな。


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