天使の歌
「天使ってなんだ?」
そう訊いたが、もちろんオレだって天使を知らないわけではない。
頭の上に輪っかが浮かび、背中に羽が生えた子供――月並みだが、そういった姿を想像することはできる。
だけど、その天使が竜の郷を滅ぼすなんて光景は、どうにも想像できなかった。
「天使ってのは、天からの使いのことだわよ」
ラシオンが空を見上げたので、オレも釣られて視線を上げた。
さっきの流星が見間違いだったんじゃないかと思えるような、ただ青一色の空が広がっている。
「あちし自身が遭遇したわけじゃないわよ。生き残った竜から聞いた話だわよ」
「うん」
「ある日、流れ星が落ちた。たぶん、さっきのアレみたいなやつだわよ。そして、その落下地点から、そいつらは現れた」
「竜の郷に直接落ちてきたわけじゃないんだな」
「ええ、郷の近くに星が落ちてきたのよ」
「そいつらってのが天使で、竜たちよりも強かったってことか?」
問い返すと、ラシオンはひと呼吸おいてから、ポツリと口を開いた。
「“歌”だったわよ」
「歌……?」
「そう。それは、竜の言葉でも人の言葉でもなかった。それどころか、“音”だったのかすら分からないらしいわよ。天使から発せられた断続的な情報の羅列は、“歌”と呼ぶしか表現のしようがなかった、って」
「よく分からんな」
「あちしもよく分かってないわよ。分かってるのは――その話をあちしに聞かせてくれた竜が、郷でも一、二を争う戦闘力を持った竜だったってことだわよ」
「……マジか?」
さっきの涙のことがなければ、きっとラシオンがオレをからかっているのだと思っただろう。
竜の郷で一、二を争うなら、それはこの世界で一、二を争うだけの強さだということだ。
その竜が、ただ“生き残った”だけなのだ。
「嘘なんてつくわけないわよ。天使の発した“音”を聴いた竜たちは、みんな力が抜けて、その場に崩れ落ちたそうよ」
オレは喉の奥が、急に乾いていくのを感じた。
天使とやらは、その“歌”だけで竜たちを屠るというのか?
この世界に疎いオレにだって分かる。竜ってのは、最強の生き物だ。
それはシルバーを見ていれば、一目瞭然だ。
オレ自身、これまでに貴人やシェルクラーケン、リッチと戦ってきたが――シルバーの強さは段違いだった。
「あちしに顛末を教えてくれた竜は言ってたわよ。まるで、心の奥を抱きしめるような、優しい声だったって」
「優しい声で、地上最強の竜たちを滅ぼす……皮肉だな」
ラシオンは笑わなかった。
ただ、じっとオレを見つめていた。まるで、オレがその天使であるかのような、強い眼差しで。
「でも、“歌”が滅ぼしたわけじゃないわよ。歌は、あくまで竜を無力化しただけだった」
「実際に手を下したのは、天使様ってわけか」
「そう。現れた天使たちは、一見するとあんたたちと同じような人間に見えた。だけど、まともに動けない竜たちを、素手で屠りはじめたのよ」
「素手だって?」
「ええ。やつらは、強靭な鉤爪を備えているわけでもないその手で、抵抗もできない竜たちの体を貫き、首をねじ切ったんだわよ」
ラシオンは低い声でそう続けた。
オレは何も言えず、空を見上げた。
どんな方法で無力化されていたにせよ、それでも――素手で竜の硬い外皮を破るなど、常識的には不可能なはずだ。
しかも、オレたち人間と同じような姿をしていたというのだから。
亜人と呼ばれる種族を思い浮かべてみる。
エルフ、ドワーフ、獣人、コボルト、アンデッド……
しかし、そのどれもが竜を凌駕できる存在には思えない。
……いや、そうじゃない。
オレには、その答えに“心当たり”があった。
トラウマのように、できれば思い出したくない――そんな存在が。
「……貴人」
オレが呟くと、ラシオンは不思議そうに首を傾げた。
無理もない。神人、貴人、人――これはフィニス州内の身分制度だ。
ましてや、種族すら異なるラシオンが知っているはずもない。
だが、オレはかねてから考えていた。
それが“ただの身分制度”ではないのではないかと。
つまり、貴人や神人というのは――オレたち人間とは、根本的に異なる種族の生き物なのではないかと。
そう考えれば、あいつらの圧倒的な戦闘力にも、オレたち一般の人間に対する異常なほどの差別意識にも、説明がつく。
……ような気がする。