ダシ、麺棒
麺を切る工程の前にスープを作っておく。
この世界にはあまりダシの概念がない。料理人によってはうま味を作る方法を直感的に理解している者もいそうだが、多くの場合、調味料となるのは塩か砂糖か香辛料だけだ。
肉や魚、新鮮な野菜などで素材の味が良ければそれだけでも十分に美味いのだが、うどんはそうはいかない。
もちろんこの店にはダシを取れそうな食材などない。そこでオレは「ちょっと食材取ってくる」と言いおいて、係留してあるリュウガメ車の所まで戻った。滞在時間も短いのでほとんどの荷物は鳥車とリュウガメ車のワゴンに載せたままにしてあり、二人だけ見張りを残してあるのだ。見張りのうちの一人は樹海の魔獣でも弓月でもない、オレとは面識のない冒険者だ。
だけど、もう一人は違った。
「カズさん、忘れものですか?」
オレの姿をみとめて、そう声をかけてきたのはツルだった。
「ああ、ちょっと干し肉を使おうと思って」
自分の荷物を引っ張り出して、食糧として持ってきていた干し肉を取り出す。
「ちょっと待ってください。もしかして何か料理をするつもりですか?」
ツルが突然慌てた様子になる。
「料理ってほどの物じゃないけど、ちょっと麺を作ることになってさ」
「麺ですか、私食べたことないです」
「たしかにペンディエンテじゃ見かけないもんな。モリ達も美味い物じゃないって言ってたし」
「どうして……」
ツルが俯いて肩を震わせる。
「え、なに?」
「どうして私が持ち場を離れられない時に料理をするんですか!? ハンガクさんとの情事を邪魔したことの復讐ですか!?」
声を荒げて詰め寄ってくる。目には怒りの炎が宿ったかのようだ。
「いや、だから何言ってるんだ?」
透明感のある美貌が逆上した様はレアではあるが、もう一人の見張りが立つ場所が離れていて良かった。
「水溜りのごとく心の狭いカズさんの事ですから、自分の情欲を満たす邪魔をした私に復讐する機会を伺っていたのは分かります。だけどこのやり口はあんまりじゃないですか? 人としてやって良い事と悪い事がありますよね」
「ハンガクの事なら止めてくれて良かったと今は思ってるよ。何にそんなにキレてるのか分からないんだけど、麺ならちょっと伸びるかもしれないけど出来たヤツをここに持ってくるからさ。それでいいだろ?」
「もちろんそれで結構です」
一気に自分を取り戻したツルだが、失礼な人物評を口走った事に対しては謝罪はしないつもりのようだ。
まあ、あんまり深追いするのも良くなさそうだが。
「じゃあちょっと行ってくるよ」
トメリア食料品店特製のコカトリスの干し肉とシェルクラーケンの干し肉を持って、逃げるようにその場を立ち去った。
店に戻るとモリたちは待ちくたびれていた。
「そのまま戻ってこないかと思ったぜ」
モリが言う。
「流石にうどん作りかけで逃げないさ。というか生地を寝かせる時間が要るって言ったろ?」
「よく分からんが、早く続きをしてくれ」
「分かったよ」
ダシをとるといっても特に難しいことはしない。
シェルクラーケン肉とコカトリス肉の干物を水と一緒に鍋に入れて火にかけるだけだ。あまり強火じゃない方が良い。炭火の扱いにはあまり自信がないので店主に頼んで調節をしてもらった。彼も何ができるのか興味があるのだろう。一言二言のやり取りだけで協力的に動いてくれた。
さて、寝かせた生地を伸ばしていこう。と、思った所でオレは失敗に気がついた。麺を伸ばす道具、麺棒を準備していなかった。
何か代わりになる物はないかと辺りを見回して、それに目が止まった。
「アンデレ、その三節棍貸してくれないか?」
「え、なんで?」
「ちょっと使いたいんだ」
訝しみながらもアンデレは自慢の武器を貸してくれた。
生地に打ち粉として小麦粉を振り、トライフレイルの片端の棍で伸ばしていく。
三本が繫がってるのは使いにくいが仕方ない。ガチャガチャいわせながら何とか生地を押し広げる。三本を一本化させる仕掛けのためにきれいな円筒形をしていたのがありがたい。六角形とかだとうまく伸びないだろう。
縦と斜めに棍を動かしてできるだけ四角形になるように生地を伸ばす。厚さは3ミリだ。スキルのお陰か生地の真ん中も端も均一の厚みに仕上げることができた。
それに打粉を振ってから屏風状にたたみ、今度はナイフで切り分けていく。茹でれば吸った水の分だけ麺は太くなるから、かなり細めに調整する。
細うどんというか太めのソバに近い細さだ。
ここでもオレのスキルが活きる。
目分量なのに正確に3ミリ幅の麺が切れていく。自分でも面白いぐらいだ。
そろそろこのスキルにも名前を付けてもいいかもしれない。