第67話 うっかり本音をしゃべってしまう
私は頭が真っ白になった。
「フィ、フィリップさま?」
母は、少しばかり私をにらむように見た。
「あなたと、よく出かけていたじゃない。ルイ殿下がいるのに、どういう訳なんだろうと思っていたけど」
「そ、それは……」
母に事情を説明するのが面倒くさい。というか、大変だ。こんな複雑な説明、母には理解できないだろう。
私だって、なんで殿下とエドワード様とフィリップ様が、こんなへんてこりんなタイアップを組んだのやら訳がわからないのだから。
ただ、フィリップ様の姿を見ていると、なんだか人を愛することがどんなことなのかちょっとだけ分かったような気がしてきた。
フィリップ様の愛は、一瞬たりとも、その人のことが忘れられなくて、崖の上から奈落の底に突き落とされたような、涙も出ない暗い悲しみに変わっていたけど。
そして、私はフィリップ様に親近感を抱いた。彼の気持ちがわかったような気がした。
「フィリップ様は、きっとそんなつもりはないわ」
私は、はっきりと言い切った。
「ご本人がどう思おうと、お父様のフィッツジェラルド侯爵がもう限界だとお考えなのよ」
母が私を諭すように言いだした。
「フィリップ様は、ものすごく若いご令嬢方に人気があったのよ。結局、メイフィールド子爵令嬢を選ばれたけれど。とても可憐な乙女だった。だけど、女好きの当時の王太子殿下が目を付けて……」
私は目をあげて、母の話に聞き入った。
「亡くなった方の悪口を言うのは良くないことだけど、ジョン殿下は王太子と言う地位を利用して、本当に女性関係は良くなかった。フィリップ様はハンサムで、女性に人気があった。それにも殿下は嫉妬したのね。たいして頭もよくなければ顔立ちも平凡、とにかく何をさせても普通以下だった。婚約者もいたのよ? サヴィーヤ国の姫君でしたけど、結婚しなくてよかったと思ってるんじゃないかしら。メイフィールドの令嬢を愛妾にしようと画策されたの。人の婚約者なのよ? フィッツジェラルド家は怒ったと思うわ」
母は嫌な話よねと言って、細かいことは話さなかった。
「結局、王太子殿下が殺したようなものだと言われたわ。殿下も死んでしまったので、誰も何も表立っては言いませんでしたけどね。ルイ殿下もおかわいそうに。ジョン殿下がもう少しマシな方で、お元気でいらしたなら、この国に帰って来る必要もなかったし、今頃、宮殿にいなくてもすんだでしょうに」
母は話しながら、紙の束の中から、フィリップ様の肖像画を取り出してきた。
「何年か前に、お話はいただいたの。お父様とフィッツジェラルド侯爵は懇意でしたから。今も仲はいいと思うわ。侯爵はその事件をきっかけに公職から退いてしまわれたので、お父様と会う機会は減ってしまったのだけれど」
フィリップ様の顔は知っている。
肖像画を見る必要はなかったが、目の前に突き出されたそれを見ないわけにはいかなかった。
「……お若いですね……」
肖像画の中のフィリップ様は明るく笑っていた。
若くて、快活で、笑うとこんな顔だったのかと思わずにいられなかった。楽しそうにしているだけで、こんなにも印象が違うのか。
「多分、お話をいただいた時よりも前に描かせた肖像画だと思うわ」
母も自分の側に肖像画を向き直して、自分でも見てしみじみと言った。
「お父上の侯爵の気持ちもわかるわ。息子が、無理もないとはいえ、絶対に結婚しないのでは心配だと思います」
母は一枚の紙を引っ張り出した。侯爵から私の父宛ての手紙だった。
「あの事故以来、あなたが初めて一緒に出かけていいと言った女性だったんですって。それで、このたび正式に申し込んで来られたの」
待ってほしい。
ルイ殿下が結婚するか、せめて彼の婚約が決まるまで待ってほしい。
まるで未練があるみたいな言い方だ。
だけど、私はルイ殿下に未練があるわけじゃない。いや、あるけど。
でも、もう、彼との未来が望めないなら、いつかは誰か別な人と結婚するのかもしれないけど、私が先に婚約したら、彼はどう思うだろう。
もう、頭を切り替えて、サヴィーヤ国あたりの姫君の誰かとの婚約を決めようとしているのかも知れないけど。
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『以前の王太子殿下との婚姻が殿下が亡くなられたために実現しませんでしたゆえ、代わりに』
『結構ですな。ルイ殿下はお血筋もよいし、優秀でお美しい方。姫君におかれましてもお喜びでしょう』
『これにて、両国のきずなは、より一層深まるものと思われます』
『いかがでございましょう、殿下。取り急ぎ、このお話、進めさせていただいても?』
『いいだろう』
止めて。私のことは? もう忘れちゃったの?
『かくなる上はご慶事ゆえ、お急ぎになられては? 民も王家の子孫繁栄を心より願っておりますでしょう』
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「ちょっと、フロレンス、何ぼんやりしてるの?」
「はっ……」
しまった。
妄想に陥ってしまった……
「本ばかり読んでボンヤリしているから、ルイ殿下を取り逃がすのよ。がっちりつかまえときゃ、殿下も頑張ってくれたでしょうに」
過去形なの? 私は嫌な顔をした。
「お母さま、多分、その縁談、無理だと思います」
「なんなの、あんたは。ルイ殿下は取り逃がすわ、せっかく二度もお申込みいただいた縁談は無理だなんて言って」
「でも、フィリップ様本人からのお申込みではないのでしょう? お父さまの侯爵が焦ってらっしゃるだけなのでは?」
「誰だって、周りに押し込まれて結婚する方が多いと思うわ。それでも、結構幸せなのよ。結局、幸せになれさえすればいいのよ。あんただって、ルイ殿下と結婚してあのお城に住めたら幸せだけど、それがダメならフィリップ様と結婚しても十分幸せになれるんじゃないかしら」
母は力説したが、そんな、身もフタもないような結婚論はいやだ……
「ダイヤモンドみたいにキラキラ輝かないかもしれないけど、同じように幸せよ。公爵夫人の方が、市井のおかみさんより幸せかどうかなんて、誰にもわからないわ」
えーと、えーと、今私が言いたいことはそれじゃなくてですね、フィリップ様は結婚する気がないだろうってことなのですよ。
「フィリップ様ご本人のご意向が全く結婚に向かなかったら、どうしようもないと思うのですが?」
「じゃあ、あなたはOKなのね?」
ものすごく意表を突かれた。
「え? わ、私は……」
「私は?」
母は畳みかけてきた。
「あの、私は、ルイ殿下と結婚したいです」
思わず本音が出た。