第64話 拉致される2
ルイ殿下に馬車に詰め込まれてから、私は文句を言った。
「拉致じゃないの」
私は思わず、前と同じ馴れ馴れしい口調になってしまった。
「そんな風に言ってくれるだなんて、うれしいな。ここんとこ、ずっと、殿下殿下って呼んでいたよね。僕の名前はルイって言うんだ」
「嘘。元の名前は ジルだったわ。ジルはいなくなっちゃったのよ」
「いるよ、ここに」
「ジルは拉致なんかしないわ。私を待っていてくれた人の名前よ」
フィリップが待っていたのは、アイリス。
私が待っていたのは、ジル。
公爵家とは縁がない人。
王家なんかとは縁のない人。フィリップの話を聞いた後では、権力に疑問を持った。
「君が望めばそうなるよ。摂政なんかやらない。そもそも損だしね」
馬車の中で、ルイ殿下は私の真横にくっついて座り、体半分を私の方に向けた。
この体勢は恥ずかしすぎる。未婚の女性にこれはないんじゃないの?
「王位なんかまるで興味はない。摂政だってやりたくない。なんとか逃げようとしてるんだ。君に嫌われちゃうよ。そんなことより自由が欲しい」
お気持ちは重々承知しておりますが、髪の一部を手に取って口づけしながら言うのはやめて。馬車、狭い。
「僕が好きに生きる自由。君を好きにできる自由」
好きに生きる自由はとにかく、私を好きにできる自由てなんだ。
「僕が大事なのは君だけだ。やっと手に入れた大事な人だ。僕の話を静かに聞いてくれる。ただ、聞いているだけじゃない。ちゃんとわかってくれている。わかってくれる人がいないんだ。それが悲しいんだ」
何を浮かれたように話し続けているんだろう。
「王家なんか滅んじまえばいいんだ。僕に何の関係があるって言うんだ」
「でも、あなたの宮殿はどうするの? ものすごい維持費がかかっているでしょう? 王家の一員だからこそ、その費用も出ているんじゃないの?」
この状態で冷静な会話ができる私って、なんだかすごい。
ルイ殿下は肩をすくめた。
「摂政をしないんだったら城なんか要らないだろう。父と同じだ。小さな別邸に移り住むさ。あんな旧弊な御殿、王家に返してしまえばいい。金喰い虫なだけだ。それとも外交官になって、王家の費用で遊び暮らしてもいい。領地は伯爵領のものが少しある。十分さ」
それからルイ殿下は狭い馬車の中で私の手を取った。
「君のフィリップが、僕へ助言したんだ」
「あなたに助言?」
「そう」
不思議だった。フィリップ様は、ルイ殿下を嫌いだったみたいなのに?
「何の助言?」
「反応は悪くなかったから、遠慮はするな」
意味が分からなかった。
ルイ殿下は突然手を伸ばして、肩を抱きよせた。背中に手を回して引き寄せた。
うっわああああ
とっさにルイ殿下の胸板に手の平を押し付けて突き放そうとしたけど、全然ダメだった。力が違う。フィリップ様と比べると、子どもみたいなのに、全く歯が立たなかった。
これ以上力を入れると私の腕がおかしくなりそう。それに、ルイ殿下の顔が私の耳の後ろあたりに来ている……
「君が好きなんだよ」
ルイ殿下が耳のすぐそばで囁いた。止めて。息が耳にかかる。ドキドキする。
「し、知っているわ。私も好きよ」
声が上ずりそうだ。平静に、冷静に。
「僕と一緒だとドキドキしない?」
「ビクビクするわ」
殿下が舌打ちした。
でも、心臓は正直なので、脈が上がりそう。体温も上がっているに違いない。
「吸血鬼になりたい」
突然、何の話題?
「白い首筋にかみつきたい」
「止めて……」
「では、代わりにキスマークを付けておこう。僕の持ち物だ」
「学園に行けなくなるからやめて……」
突然、車が止まり御者の声がした。
「到着しました」
よかった。
このままだと、脈が上がって心臓が持たない。
ルイ殿下は、遠回りさせりゃあよかったとかつぶやいていたが、馬車のドアがいきなり開けられた。
「こら、失礼だぞ? いきなりドアを開けるなんて。誰だ?」
「殿下」
それはエドワードだった。
髪が乱れ、顔の表情がこわばっていた。
「早くのお戻りで助かりました」
彼は、ルイ殿下しか見ていなかった。
開けられたドアから、立派な服を着て眼光鋭い中年の男性と副官らしい男が見えた。その後ろに公爵家の執事が控えていた。
さらに後方には幾人か、護衛らしい人々が立っていた。
「迎えが来ております。取り急ぎ、王宮へ」
「なんだ?」
エドワードを見るルイ殿下の顔から、表情が消えた。
「陛下が倒れられました」
同じくなんの表情もないエドワードが答えた。
「アレンビー卿がお迎えに来ております。公爵の元へは、早馬が向かっています」
ルイ殿下のまとう空気が一瞬で変わった。
彼はすばやく馬車を降りた。
「予想よりずっと……ずっと早かったな。エドワード」