第63話 拉致される
学園の食堂でルイ殿下に会ってしまった。
この頃は、出来れば避けていたのだけれど、うっかり遭遇してしまった。アンドレア嬢に食堂に引っ張り出され、そのまま話こまれてしまったので、見つかってしまったのだ。
「兄があなたと会えてよかったって言ってきたのよ」
「ええと、フィリップ様が?」
アンドレア嬢は不思議なものでも見るように、しみじみと私の顔を眺めた。
「媚薬を使っているとか?」
「そんなもの、持っていないわよ」
さすがに私は反論した。
「だって、あの兄がよ? この5年間、ほんとに死んだようだった。最近は、ベアトリスの結婚式をドタキャンして、前の日にイビスに戻っちゃったのよ。父は怒ったけど、花婿のエドワード様がなだめてくださったわ」
「立ち入ったことを聞くようだけど、その婚約者って誰だったの?」
アンドレア嬢はさすがにあたりを見回して、小さい声で言った。
「メイフィールド子爵令嬢よ。アイリスと言う名前の本当に美しい静かな方だったわ。あのバカな王太子が見染めてしまって、いい格好しようとして跳躍を失敗して自分も死んだけれど、兄の婚約者も殺してしまったのよ。元々、不出来な王太子だって噂で、死んでよかったって言う者もいるくらいだわ。兄は噂を聞いていたので、結婚式を早めたのだけど、間に合わなかった。結婚式の直前に花嫁は殺されてしまった」
私は息をのんだ。知らなかった。
「5年前ならずいぶん前だと思うけど、でも、どうして私は知らなかったのかしら」
「私たち、まだ子どもだったもの。それに出来るだけ事故が小さく扱われたからでしょう。王太子が死んだことの方が、影響が大きいのは仕方ないわ。でも、王家の醜聞よ。フィッツジェラルド家は当事者だから、もちろんよく知っているわ。うちは、それ以来、王家に対して距離を取ったわ。兄があんなでは、父も心配でしょう」
「これからフィリップ様はどうするのかしら?」
「エドワード義兄様が言うには、ちょっとずつ上向くでしょうって。あの一滴も涙を流したことのない兄があなたの前では泣いていたそうね」
私はうなずいた。
「不思議ね」
アンドレア嬢は私を見つめて言った。どうして彼女のかたくなな兄が、私の前で感情を出したのか、わからないと言った。
「フィリップ様は、あなたのことを無邪気でかわいらしい妹だっておっしゃってたわよ。あ、それと……」
私は思い出した。仮面舞踏会で、フィリップ様が言っていた言葉を。
『ちょっとばかり恨んでいるのかもしれません。あなたのルイ殿下の一族を。意地悪をすると少しだけ楽しい。でも、こんなこと言ったのは秘密にしてくださいね』
フィリップ様が私を相手にしたのは、王家に意趣返しをしたかったのか。
でなければ、多分、フィリップ様は私と仮面舞踏会などには行かなかっただろう。
黙って考えに耽っていた私を、ちょっとにらんでアンドレア嬢は言った。
「エドワード義兄様は、あなたのことをいい薬だって言ってたけど……二股よね」
私は我に返った。
おのれ、エドワード(呼び捨て) 二股かけていたのはエドワードの方だ。ルイ殿下の味方のふりをしながら、フィリップ様の味方をしていた。
どういう下心があったのかわからないが、もしフィリップ様と私が、例えばの話だが、恋に落ちたら、それはそれで大喜びで応援するつもりだったに違いない。
公爵邸に母を誘い込んで、豪華な城や系図で母をたらしこもうとしたのもエドワードだ。こっちはルイ殿下のための工作だ。
「エドワード様は、どんな権謀術策の世界でも悠々と生き延びられる強心臓の持ち主よね。フィッツジェラルド家はいい婿を迎えたと思うわ」
私は憤懣やるかたなくアンドレアに向かって言った。アンドレア嬢はきょとんとしていた。
「いいお兄さまよ? エドワード義兄様は」
それそれ、そう言うところが無邪気でかわいいって言われてしまうのよ。絶対、うまいこと丸め込まれているのよ。
私も無邪気でかわいいって言われたいわ、立派な顔だとかばかり言われてないで。
突然上から声が降ってきた。
「僕はフロウの意見に同意するよ。全くエドワードは、手に負えない」
ルイ殿下だった。どこから聞いていたのだろう。私は挑戦的にルイ殿下の顔を見た。
「ルイ殿下、正直に答えてちょうだい。どこから聞いていたの?」
「事故の話からさ」
アンドレア嬢が悲鳴を上げた。食堂中が振り返った。
「だから、君は困るんだよ。こんなところで大声を上げて。僕の妻なんか務まらないよ」
ルイ殿下はイライラした様子で、アンドレア嬢に向かって言った。
「そんなにきつく言わないで。あなたみたいな人に厳しく言われたら、泣いちゃうわ」
私は決めつけた。途端にルイ殿下は微笑んだ。
「やさしいんだな、フロウ。アンドレア嬢なんかに」
「なんかではありません。アンドレア嬢は無邪気なのよ」
「そんなこと、知ってるよ。そして君がまるで無邪気じゃないってこともね」
「私の悪口を言う暇があったら、アンドレア嬢に気にしていないって言ってあげて」
「全然気にしていないよ、アンドレア嬢。僕が怒っていないって、エドワードが保証してくれるよ」
アンドレア嬢は走って逃げて行ってしまった。今の説明では、アンドレア嬢には伝わらないのではないか?
「さて、ようやくつかまえた」
ルイ殿下は向き直った。
「つかまえたって、どういうこと?」
私はちょっとビビって彼の顔を見た。
「ハンナが待っている。公爵家へご招待申し上げる」
私は顔色を変えた。
「今?」
「いつがいいですか?」
「母の都合を聞いて見ますわ」
「じゃあ、今日がいいな」
彼は私の手を取った。私は手を振り解こうとしたが、彼はがっちりつかんで離さなかった。食堂ではアンドレア嬢の悲鳴のおかげで、ほぼ全員が私たちを見ていた。
「いいわ。行くわ。とにかくここを出ましょう」
私は少し早口で彼に言った。食堂を出さえすれば、誰も見ていない。エクスター殿下とウッドハウス家の令嬢がもみ合っていたなんて噂になってしまう。ここを出て、そして走って逃げる。今はにこやかに、殿下のご招待に応じたふりをしていればいいのだ。
私たちは立ち上がった。
食堂を出た途端、私は誤算に気付いた。
食堂の出口の外には、エクスター公家の若い執事見習いや御者が何人か控えていた。公爵家の制服を着て待ち構えていた。
これは絶対に逃げられない。