第62話 将と馬
その後すぐに、伯爵家には、エクスター殿下から、伯爵夫人とフロレンス嬢宛ての招待状が届いた。
「これは行かなくてはいけないのかしら?」
「何言ってるの、フロレンス。あなた一人ならとにかく、私もご一緒にと書いてあるのだから、行かない理由がないわ」
「以前に公爵家に遊びにおいでと言われたことがあるの。その時、お母さまと一緒ならとお返事したので、こうなったのかしら?」
「なかなか賢い子だね、フロレンス」
一緒になって手紙を読んでいた父が言った。
「たとえ婚約していたとしても、お母さまと一緒の方がいいだろう」
ちなみに母と私は気が合わない。
お迎えの公爵家差し向けの馬車に乗りながら、そのことを考えると気が重かった。
母は私にかわいらしいドレスを着せたがり、力一杯アクセサリーを付けるよう勧めた。
そして、やたらにはしゃいでいた。
「だって、考えてもごらんなさい。公爵家のお屋敷は以前の王宮の別邸なのよ。中に入る機会なんてないわ。殿下は王宮にいつも出入りしているから、ご自分のお屋敷のことを、なんともお思いになっていないでしょうけど」
きっと、豪華なすばらしいものよと、母は大いに期待しているらしかった。
公爵家の本邸にはまだ私も行ったことがない。
ゆっくりと紋章を付けた馬車が門の近くへやってくると、門番が待ちかねていて門を開け、最敬礼した。
大きな門で、奥は並木道になっていて、建物が木の影に見えた。
「素晴らしいわね。さすがは公爵家だわ」
私は何とも答えなかった。父のエクスター公爵がお住いの別邸は、こうやって比べてみると、公爵のような方が住むような邸宅ではなかったことがはっきりしてきた。
ずっとずっと小さな建物だった。その上、客間がちゃんとあるのに、公爵と愛人のソフィア様は、なんと広い台所にいたのだ。
すぐ、お茶の準備ができるから便利なのとソフィア様は言っていた。そして、公爵ときたらうなずいていたのだ。庶民的と言うか、その気楽さにずっぽりハマってしまったらしい。根が不精なのだろうか。
馬車は並木道を通り過ぎ、見通しのいい庭園の真ん中の道を走って、左右が対象に作られた宮殿の車回しで停まった。
「よく来てくれましたね」
殿下が待っていた。
「まあ、殿下御自らお出迎え下さるだなんて!」
母は言葉を返していたが、ルイ殿下のそばにはエドワードと、執事長らしい人物と、そしてびっくりしたことにはハンナが待っていた。
「まあ!」
私が驚くと、ハンナはにっこり微笑んでお辞儀をした。
「お久しぶりでございます、フロレンスお嬢様」
私たちは正客間へ案内された。
四隅に金の彫像が飾ってあって、大理石の大きな暖炉と、その上に置かれた極彩色の巨大な壺のせいで、威圧的な感じを受ける部屋だった。
天上は高く、よく見ると天使に囲まれた神の姿が描かれていた。
ルイ殿下は私の目線を追って天井画を見て、苦笑した。
「もとは謁見の間でした」
「ま、まあ」
母が言った。
「元王宮ですからね。冬は寒くてね。父などはここへは寄り付きません。別邸の方ばかりにいっています」
その部屋に招きいれられて私たちは座った。
「ウッドハウス伯爵夫人、ならびにフロレンス嬢、ご紹介しましょう、我が家の執事長と……」
白ひげのいかにもそれらしい風体の男性がしかつめらしくお辞儀をした。
なんで使用人を紹介するんだ。それ、やめて。まるで家族になるみたいだわ。
私は母を横目で見たが、母は面白い見せ物でも見ているような調子で、熱心に聞いている。
「それから、私の乳母のハンナです。ハンナは母のもとにいましたが、手元に戻しました」
ルイ殿下は私の目を見て言った。
「ハンナは知っていますね? 今日は自邸を見ていただこうと思ってご招待したのです。後でハンナともゆっくり話をしてください」
母は怪訝そうだった。だが私は黙って頭を下げた。
「それから、こちらは友人のエドワード・ハーヴェストですが、副財務官をしております。そのご縁でお嬢様のダンスのお相手の候補にもなったことがありますね? フィッツジェラルド侯爵家のご息女と先ごろ結婚されました。お嬢様のご友人のアンドレア・フィッツジェラルド嬢には義兄に当たられる方です」
エドワードがにこやかに母にあいさつした。こういう場合、彼はそつがない。アンドレア嬢が私のお友達って、どういう意味ですか? 母にはわかりやすいかもしれないけど。
「パーティをするときは……ここ何年もそんな機会はなかったのですが、ここと続きの部屋を使っています」
ルイ殿下が合図すると、老執事が隣の部屋との間の両開きの扉を開けた。
「婦人室と呼んでいますが、食事のあと、ご婦人方が先にこちらの部屋に移ったので、そう言われています。角部屋なので昼間は明るいですよ」
確かにその部屋は明るく、南側に面しているのか光が一杯に入ってきていた。
とは言え、テーブルも椅子も正客間と同じスタイルでいかにもしかつめらしかった。
「その続きも同じような部屋はあるのですが……使わないので締め切っています。まあ、パーティを開く以前に家具を総入れ替えしないといけませんね」
「今風の家具に入れ替えたら、きっと素晴らしいお部屋になりますわ」
母は、なんだかうれしそうに殿下に話しかけた。
「私が結婚する時には、入れ替えしないといけません」
私はドキッとした。その時のために呼んだのだろうか。
「お茶がすんだら、ほかの部屋もご案内しましょう」
エドワードを呼んできたのは確かに正解だった。
彼も部屋のすべてをよく知っていたし、特に肖像画が延々と並ぶ画廊は圧巻だった。
歴代の王や王妃、王家に関連した英雄たちの絵がいかにも私物ですと言った様子で並べられているのである。
エドワードは、公爵家を大したものだと(実際大したものなのだが)感じさせると同時に、言葉の端々に母を誉めることを忘れていなかった。
建物が広すぎるので疲れてしまう前に、きっちり伯爵家へ戻されたが、そのころには、母はすっかり洗脳されてしまっていた。
「ぜひまたおいで下さい」
ルイ殿下は、いつものよそゆきの美しい微笑を浮かべながら、見送りに出て来た。
そして合図をするとハンナが前に出て来た。
「これからはハンナが奥向きを取り締まります」
母はちょっと目を見張った。
「執事はおりましたが、ハウスキーパーがいませんでした。男所帯なのでそれでもよかったのですが、これからはそうもいかなくなります。母がイビス王家から嫁いだ時に一緒に参ったハンナがこの家を取り仕切ります。ベルビューではフロレンス嬢の世話係をしていました。そうですね? フロレンス嬢」
「おっしゃる通りですわ」
「どうぞよろしくお願い申し上げます」
ハンナは再度お辞儀をしたが、イビス王家からの付き添いなら、相当な家の女なのだろう。母は黙ってしまった。
家へ帰ると珍しく父が早めに帰宅していた。
「どうだった?」
「素晴らしいお城でしたわ!」
母が言った。
「そりゃ立派な城に決まっとる。元の王宮なのだから」
「でも、家具が骨董品級でね」
「ご夫妻は、最初から仲が悪かったから、ほとんど住んでいないはずだ。数年前ご子息のルイ公子が学園に通うようになったので、使っているだけだろう」
「結婚前に、家具を総入れ替えするっておっしゃってたわ。どこの工房がいいか相談されちゃったわ。あとカーテン類のデザインはどこがいいだろうって」
父は黙った。
「それから、執事長と家政婦長に紹介されたわ。その方はイビス王家からお母さまが嫁入りの際に同行された方ですって」
「婚約するかどうかさえ、まだ決まっていないだろう。何を考えているんだ、エレノーラ」
「あら、でも……」
素晴らしい城と、手入れが行き届いた見事な庭園だった。
母はあれが欲しくなったのだろう。娘の嫁ぎ先は裕福な方がいい。イビス王家と縁続きだなんてケチのつけようがない名家だ。
どうせ母を呼ぶなら、好きそうなものを並べればいい。そして、弁舌さわやかなエドワードは、母をとても自然にほめあげると同時に、母が家具やカーテンなどに関心があるのを嗅ぎつけるや否や、邸宅のリフォームやインテリアについて母の意見を拝聴し始めた。
そして、ルイ殿下は母が系図などに弱いことに気付いた途端に、妻になる場合、どこそこの王家と、現公爵家と、昔の有名な王と、あるいは武勇伝や様々な逸話を残した王妃や王女たちと縁続きになるのだと匂わせた。
「将を射んとする者はまず馬を射よ」(日本語訳)
奇しくもほぼ同じ時間、ルイ殿下とエドワード、それからウッドハウス伯爵は同じ言葉を脳裏に描いた。