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第60話 相手役に選ばれた男の事情

気持ちのいい、こぎれいな山間のコテージだった。猟をしている一家の持ち物で、たまにこんな風に景色目当ての貴族や金持ち連中が来ると、一家は心得ていて食事やお茶を出してくれるのだ。


私たちは外のテーブルでパンと自家製のチーズとハムを食べていた。手作りのリンゴ酒も並べられていた。


「なぜ、私があなたの相手役に選ばれたか知っていますか?」


フィリップ様は景色を眺めながら聞いた。私の方を見ないで。


見晴らしのために森の一部の木を切ってあって、眼下にのどかな田園風景が望めるようになっていた。猟師一家が、時々やってくるもの好きな貴族たちのために見晴らしを確保したのだ。


いつもの何の表情もない顔だった。私はこのフィリップ様と言う方の気持ちが読めなかった。


「相手役に選ばれた?」


私は首を傾げた。一体、誰が選んだと言うのかしら?


「絶対にあなたに手を出さないと思われていたからですよ」


「手を出さない?」


「ええ。私が外国から戻って来たばかりだってことは知っていますよね?」


「そのように聞きました」


「なぜ、私のような侯爵家の嫡子が婚約者もおらず、外国へ行っていて、独身のままかと言うとね」


フィリップ様は淡々と言った。


「婚約者が事故で死んだからですよ」


あまりにも淡々としているので、私は何も言えなかった。ただ彼の顔を見つめた。


無表情の彼がついに顔を伏せた。


多分、フィリップ様は、今自分の顔を見られたくないんだろう。


「私はこの国を離れました。思い出が多すぎていられなかったのです。帰ることもないだろうと思いました」


私は黙っていた。言うべき言葉がわからなかった。


「そして5年が経ちました。誰もが若いのだから、やり直すべきだと言いました。新しい女性を選んで結婚しろと言われました。時は親切な友達だと言われました。でも、そんなことはない。出来ない。やり直しがきかない私は、捨てておいて欲しいと思っていた」


赤の他人の話をしているような、何の感情もない話ぶりだった。


「エドワードは古い友達でした。だが、彼も私の婚約者を知っている。彼も思い出に繋がっていて、私は会いたくなかった。けれど、妹とついに結婚するというので、私は戻ってきた。だけど、式には出なかった。前の日にイビスに帰りました。式に出ることが出来なかった」


良い天気の日で、こんな話にはまるで似つかわしくなかった。


「父が元気でいる限り、私は、侯爵領に戻らないつもりです。もう少ししたら、またこの国を出ます」


「あの、あなたは……」


私は聞いてみた。


「どうして私を連れ出したのですか?」


どうしてもふしぎだった。


亡くなった彼の婚約者と同じくらいの年齢の女性の存在は、彼の心をかき乱すのではないだろうか。


5年もたっているのに、彼はこんな様子だ。

その悲しみが深いことは淡々とした語り口でも、伝わってくる。


それは絶望だった。


侯爵家の後継と言う彼の立場なら、婚約者が死んですぐでも、結婚するよう求められておかしくない。それなのに、未だに彼は独身のままだ。


なにか事情があって相手役に選ばれたにせよ、そんな人が私を何回も連れ回す意味が分からなかった。


「あの殿下はあなたを愛している。多分、私は心のどこかであの王室を憎んでいる。だから、承諾した。それに、あなたは、私の思い出と関係がない。仮面舞踏会だって、あの頃はなかったから思い出を掻き乱されることはない。殿下の宝物の手を、彼が知らぬ間に取ることが出来る機会だった」


「殿下に恨みを晴らしても、意味はありませんわ」


私はつぶやいた。


「人が死ぬってことは、いなくなるってことなんです。失恋した方がどんなにマシだったことか。この国に戻れば、どこかで会える気がして、自分の屋敷に訪問客が来ると彼女かと期待し、誰かの身じろぎに彼女かと錯覚し、彼女の声を聞いたと空耳で胸を踊らせ、そしてもう一度絶望する。もう会えない。彼女は死んだのだから。外国にいれば、そんな想いはしないで済む。彼女がいるはずのない光景だから」


「ルイ殿下やエドワード様はそれを知っているのでしょうか?」


これほどまでの心の痛みを?


「知っていても、知らなくてもどうでもいいので」


フィリップ様は冷淡に切った。私は黙った。


「あなたは良かった。私に要求しない。黙って着いてくるだけだ。なにも言わない。なにも聞かない。居心地がよかった。そろそろ、殿下にお返ししなくては。少しだけ、この居心地のいい空気に浸って居たかった」


私は彼の役に立ったのだろうか。


「一人きりは寂しいものです。あなたはペットみたいに何も言わなかった。ただ、温かかった」


私に彼の気持ちはわからない。大事な人が死んだことがないからだ。


うつむいたままの彼が泣いていることに気が付いたのはしばらくしてからだった。


ポタポタと涙が草の生えた地面に落ちていた。


こんな大の男がずっと泣いているだなんて、どうしたらいいかわからなかった。


夕陽が落ちてきて、帰らないといけない時間になった。


「フィリップ様、戻りましょう」


私は彼の腕に手をかけた。


うつむいたまま、彼は立ち上がった。


「情けない」「すみません」「かっこ悪いところを見せてしまった」


彼は言った。


私たちは猟師の一家にお金を払って、馬車を御して家に帰った。






「イビスに帰るのか」


ルイ殿下はちっとも動じずに、エドワードからフィッツジェラルド家のフィリップの話を聞いていた。


「明日、戻るそうです」


エドワードは沈痛だった。


「帰ってくれて結構だ」


「私たちは何もできなかった」


「何の話だ」


「彼を助けられなかった。フロレンス様ならと思ったのですが」


「フロレンスを何に使う気だったんだ」


殿下は不満そうに言った。


「フロレンス様は不思議な温かさと冷静さを併せ持った方です。普通の令嬢のようにドレスや自分自身に関心がなくて、相手のことを考えてくれる。そして底なしにやさしい。うっかり飲み込まれる」


「褒めてるのか?」


「でも、泣いていたそうですから」


「フロレンスがか?」


「フィリップが。大泣きしていたそうです」


「変な男だ」


「殿下、フィリップの婚約者は、5年前の事故に巻き込まれて亡くなられたのですよ?」


「5年前の事故……?」


「あなたの従兄の王太子殿下が、狩りの事故で柵を乗り越え損ねて落馬した時の事故ですよ」


エドワードは冷たく語った。ルイ殿下は関係ない。彼はまだ子どもだったし、その頃はベルビューにいた。だが、この醜聞は王家の罪として多くの人の記憶に残った。


「王太子殿下は後ろから来たほかのウマに頭を蹴られて亡くなりましたが、王太子殿下のウマは暴走して見物に来ていた令嬢の一人を巻き込んで大けがをさせ、彼女はその後亡くなったのです。その人がフィリップ様の婚約者でした」


ルイ殿下も話は知っていた。彼自身、その事故のせいでこの国に戻って来ざるを得なかったのだ。王位継承者の予備として。

だが、王家はこの話をひた隠しにした。悪かったのは元の王太子だ。その無謀さは殺人に近い。それゆえに、この話を持ち出す者はルイの周辺にはいなかった。


「亡くなられて以来、ずっとあの調子です。でも、泣いてくれたのだったら、少しは良かったです。フロレンス様に惚れ込んでくれたらもっとよかったのですが」


「おい」


「一途で優しい人なのですよ。でも、きっと殿下が本気だったら身を引くでしょうから心配していませんでした。涙が出るところまでようやく来たのですね、よかった」


「わかったけど、僕とフロレンスの心配は?」


「生きてるからいいじゃないですか。相手が生きてるんだから、どうにかなりますよ。フロレンス様にとっとと告白してきなさいよ」


「いまさら何をこれ以上告白して来いって言うんだ」


「フィリップの助言を忘れたんですか? ベタついて来いって言われたんですよね?」

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