第58話 仮面舞踏会の夜-2
「エクスター殿下はあなたのことを本気で好きなんだと聞かされました」
フィリップ様はそう言い、私は当惑した。
「誰からお聞きになったの?」
「エドワードからですよ」
それならその情報は確かだろう。
「そして、あなたのお気持ちはどうなのか?」
「私……ですか?」
周りはダンスを踊っている。誰も私たちに関心がない。こんなに大勢の人がいるのに、まるで人っ子一人いない森の中で秘密の会話をしているようだ。
「ルイ殿下をお好きですか?」
私はなぜこんな初対面に等しいような人に、自分の気持ちを聞かれているのだろう?
フィリップ様は、見るともなく私の顔の表情を読んでいた。
「好きは好きですわ」
私は答えた。
「それだけですか?」
わからない。
「ルイ殿下はお友達ですか?」
「ええ。もちろん」
「即答ですね」
彼は笑った。
「ルイ殿下が焦るはずだ」
どうして?
「殿下は焦っているのですか? 何を焦っているのですか?」
フィリップは答えなかった。彼は、すらりとしていたが大人なので、ルイ殿下より一回りがっちりしていた。彼は私の顔を見て笑いかけた。
「フロレンス嬢、いいことを思いつきました。一曲踊ってみませんか?」
私はためらった。それはいいことなの? 殿下はなんていうかしら? 私がほかの男の人と踊ったら嫌がるんじゃないかしら?
「大丈夫ですよ。エドワードが言ってました。大丈夫だって」
彼はそれまで座っていたソファから立ち上がると、手を取って私を立たせた。
「さあ、真ん中の方に行きましょう。誰も見ていない。見ていても誰だかわかりませんから」
フィリップ様はダンスが上手だった。彼は終始微笑んでいた。
最初に紹介された時は全くの無表情だったことを思い出した。
今はうっすらと笑っている。
ベルビューでルイ殿下と踊った時のことをまた思い出した。
フィリップ様も適度に体を近づけてくる。ベルビューで、どうしてかやけくそ気味だった殿下程近付いているわけではなかった。でも、殿下に対するのとは違って、私は彼に文句は言いにくかった。体が触れる程、近くではなかったからだ。
「多分、殿下は喜ばないのではないかしら?」
私はおそるおそるフィリップ様に聞いてみた。
「そう思いますか?」
「ええ。なんとなく」
フィリップ様は微笑んで言った。
「当たりです。すごく嫌がると思います」
「まあ、どうしましょう」
「本当は殿下はあなたをダンスに出すのも大反対、私を紹介するのも大反対だったと聞いています。あなたの選択の余地なんか作りたくなかった」
私は焦った。多分、そうだろうと思っていたのだ。ルイ殿下のことだ。絶対、全部、嫌がったに違いない。
「でも、殿下は全く知りません。カフェで会ったことも、ダンスしたことも」
「……そう……そういわれれば、確かに知らせる人がいませんわ」
私はそわそわし始めた。
「知ったら、きっと怒るわ」
「どうして怒るのかわかりますか?」
「知らないけど、いつもそうなの。嫌がることは見当が付きますの」
「もし、殿下がこの会場に来ていて、ほかの女性とダンスを踊っていたら、あなたはどうしますか?」
「え?」
あのルイが? 私の周りを付きまとって離れないルイが?
フィリップ様の目が私をのぞき込んだ。
「怒りますか?」
「まあ、いいえ?」
彼は口元を押さえて笑い出した。
「面白い。今晩のことは殿下には内緒ですよ? きっとあなたは叱られます」
「そうかもしれませんわ」
フィリップ様は楽しげに見えた。最初に会った時は顔になんの表情もなくて、こんなに感情がない人は見たことがないと思ったのに。
「もう一度会ってくれなかったら、ダンスを踊ったことを殿下にばらしますよ」
私は驚いてフィリップ様の顔を見た。
「ねえ、フロレンス嬢、立ち入ったことを聞きますが、殿下とキスしたことはありますか?」
私は真っ赤になった。ベルビューで山に散策しに行った夕方、ルイが私にキスしたことを思い出したのだ。
「あるんですね? じゃあ、私がキスしてもいいでしょう」
どう言う理屈? 彼は私の手を引いて、ホールの真ん中から柱の陰の方に移動した。
「仮面を取って」
「どうして?」
「キスをするのに邪魔だから」
真面目にフィリップ様は手を握ったまま言った。
私がおたおたしていると彼は黙って自分の仮面を取った。
本当に整った顔だちの人だった。そして冷たくて厳しい顔の持ち主だった。笑っているけれど、本当の笑いなのかしら。まるで嘲笑っているかのよう。
「一瞬だから、誰にもわからないでしょう?」
すっと反対側の手が伸びて、簡単に仮面が外された。
「きれいな人だ」
フィリップ様は目を細めた。
腕で抱え込まれて、私はパニックになりかけた。どうして? なぜこうなるの? まさか悲鳴を上げる訳にも行かない。たかがキスひとつで。
しかも侯爵家の嫡子と言う方だ。
「でも、多分、あなたのルイが大騒ぎをすると思うので……」
目の前、5センチのところで彼は止まった。それでも近い。近すぎる。
こんなにすてきな男性が背をかがめて吐息のように囁く。
「キスはやめといて、顔を近づけるだけにします。これもルイ殿下には全部内緒ですよ?」
私はコクコクとうなずいた。キスもどきでも、バレたら叱られる。でも、これはこれでキスより刺激が強い気がする。
「また、会いましょう。面白いから」
「面白いって……どういう意味ですか?」
「ちょっとばかり恨んでいるのかもしれません。あなたのルイ殿下の一族を。意地悪をすると少しだけ楽しい。でも、こんなこと言ったのは秘密にしてくださいね」