第56話 アンドレア嬢とカフェ決闘-その2
「兄のフィリップは優しい人よ。歴史に興味がある学究的な人なのよ。それで留学したの。お金に不自由する家じゃないですからね」
歴史か! 思わず目が光った気がした。歴史は大好物だ。忘れもしないメレンブル地方農村における調査記録全五十巻! きっとアンドレア嬢は全く興味がないだろうけど。
「わ、私も歴史は好きだけど……」
「私はそんなの全く興味ないわ。ダンスパーティとかお茶会とかの方が好き。でも、お茶会では、身分の高い方が話題を決めるでしょう? やっぱり高位の貴族にあこがれるわ。あなた、殿下とのお話を断りなさいよ。婚約猶予だなんて、きっと嫌われてるのよ。兄は地味だけど、あなたにはもったいないようないい人だわ。何か得体が知れないとこがあるけど」
いちいち私をけなさないと話を進められないのか、この令嬢。
「ルイ殿下のお考えが私にはわかりませんもの」
「わからないような程度のご縁だったんじゃないの? あなた方は?」
私は黙った。
ベルビューでのダンス、山の小径の散策、宝石店巡り、ルイは頭がよくそつがなく何でも器用にこなしていた。でも、彼は母の顔をまともに見ない。
一点の隙も無い学園の姿は、彼の一部分に過ぎない。
それはアンドレア嬢に説明しにくい。彼がせっかく作り上げた「理想の王子様像」を壊してしまう。アンドレア嬢やほかの人たちは、その姿にあこがれているのだ。
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「僕は帰る」
遂に殿下がキレた。
「いいんですか? ここからが重要です。アンドレア嬢がダンスパーティにフロレンス嬢を招くんです。フィリップ様が待っています」
「フロウがOKするわけないだろう!」
エドワードは真面目くさって言った。
「殿下が許可されてるのにですか?」
「なっ、なんだと?」
「許さないおつもりですか? ダンスパーティへの出席を」
「ダンスパーティに出るくらいは……でも、ダンスはダメだ」
「どうしてダメなんです? 婚約者ならダメだと言えますが、まだ、婚約は発表されていないのでしょう?」
「それは……伯爵が少し待ってくれと言うからだ」
「それはなぜ? エクスター公爵がわざわざ申し込みに行かれたのでしょう?」
ルイが焚きつけたに違いなかった。公爵は面倒くさかったろうが、重い腰を上げて仕方なく申し込みに出かけたのだろう。
「僕が熱くなり過ぎだと……言われた。そして、少し時間を置きましょうと提案された。半年待ってくれと。フロウを愛しているのか、一時的な気の迷いなのか」
「一時的な気の迷いなのですか?」
「フロウの父上と母上は真面目な人だった。娘のことを第一に考えていた。僕のことは、エクスター公子として尊重するが、そして、その能力に疑いは持たないが、フロレンスの気持ちは別でしょうと言われた」
「もっと、ゆっくり知り合えと?」
「多分、お互いをもっと理解するようにと言う意味だと思う。フロウはまだ十六歳で、奥手な娘だ、僕の気持ちをよくわかっていないだろうと」
「あなたの気持ち……エロい方の気持ちですね」
ルイはエドワードの指摘は無視した。
「だから、少し待ってほしいと。きっとフロウは僕のことを選ぶだろうけれど、ちゃんと自覚をもって選ばれなければ、この結婚は不幸になるかもしれないと」
「じゃあ、自覚を持ってもらいましょうよ。ほかのもっと危険な男に出会うより、フィリップに任せておいた方が安全です」
「男じゃなくて、誰か女にどうにか説得してもらうわけにはいかないのか!」
「だから、今、殿下を付け狙うアンドレア嬢に挑戦状をたたきつけられているじゃありませんか。人材不足とは言わせませんよ?」
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「ねえ、あなたからダンスパーティに参加するように兄に説きつけて欲しいの」
「いやです」
「だって、そのパーティは自由参加のパーティなのよ。あなたはあまり知らないでしょうけど、ベルビューのホテルなんかでは、よくあるらしいわ。楽団が来て、相手を決めないで踊れるらしいの」
あれか。私はベルビューでのホテルの一夜を思い出した。あの時のルイ殿下はいつもとちょっと違っていた。なんだかよく分からないけど、ちょっとときめいてしまった。
「こっちの国ではあまり見ない、新しいタイプのダンスパーティで大人気なの。兄と踊りたければ踊ればいいけど、とにかく兄を引っ張り出して欲しいのよ」
「なぜ?」
「だって、兄はもう二十六なのよ? 侯爵家の跡取りとして早く結婚を決めなくちゃ」
「あなたが誘えばいいじゃない?」
「私だと嫌がるのよ。だから」
そんな婚活真っ最中の男と一緒なんて、ますます誤解が広がってしまう。絶対にダメだ。
「仮面舞踏会なの。顔はわからないわ。実は、私の分と兄の分のチケットはすでに買ったのよ。でも、兄が行かないって……。あなたのことは、エドワード義兄様から頼まれているから、連れて行かなくちゃいけないと思っていると思うの。だから一緒に行ってくれると思うわ」
フィリップ様は男が好きなのだろうか? そう言う人種もいると聞いたことがある。思わず私は乏しい知識を総動員した。
「あなたのお父様からも許可を取ってきているの。本当よ、ほら」
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「なんだと?」
「しッ。王家はフィッツジェラルド家のフィリップ様には借りがあります。彼の社会復帰を手伝う良い機会です」
「僕は慈善事業をしているわけではなくて……」
「これは慈善事業じゃありません。あなただって知っているでしょう。フィッツジェラルド家の静かな怒りを」
「僕にはどうしようもないことだ……」
「黙って……!」
エドワードが目顔で聞けと言った様子をした。ガサゴソと言う紙の音とともに、フロレンスが震え声で読む声が聞こえた。
『仮面舞踏会への出席を許可する。存分に楽しんでくるように。オズワルド……?』
ルイは傍らのエドワードをにらみつけた。
「仮面舞踏会……?」
エドワードはしィッと唇に指を当てた。




