第49話 釣書事件のてんまつ
しかし公式スパイは、客間のドアの外が、どうなっているか熟知していた。
彼女は客間から顔を出すと、執事以下全員に解散を命じた。私も、メアリもアリスも全員である。
執事は母の顔付きを見た途端に、あっという間に姿を消していたし、同時にイスも消えていた。結局、私たちは何も聞くことはできなかった。
その晩、私は父から重々しく告げられた。
「公爵家が歓迎しないと言うなら、婚約することはない。殿下のお気持ちはわかったが、婚約するとしても、決定は半年先になる」
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ルイ殿下は公爵家の本邸で、エドワードの来訪を受けていた。
エドワードは、エクスター公爵からルイに謝罪を伝えて欲しいと、伝言を頼まれたのだった。
「私だって、忙しい身の上なのに」
エドワードは、わざとらしくため息をついて見せた。
「公爵は、どうしていつも私をお使いに使うのでしょうねえ」
若いころから家庭教師として出入りしていた気軽さと、ルイ殿下と親密で、面倒なことも頼みやすいことを知っているので、公爵は事あるたびにエドワードを使うのだ。
珍しく学校の課題をやっていたらしいルイが向き直った。この親子はおかしなことに、子どものルイが公爵家の本邸を使っていて、父は小さい別宅に愛人とおさまっていた。
公式の客が来ることがある本邸に、庶民感覚丸出しの危険人物のソフィアを置いておくわけには行かなかったのがその理由だ。
「で、今回は何についての謝罪? 息子に面と向かって謝るのは嫌でも、手紙を書けばいいのに。それで済むのに」
「本当にそうですね。今回は、何でもソフィア様が、フロレンス嬢に失礼をしたとかで。ルイ殿下がフロレンス様にルイ殿下宛ての釣書を見せたいとおっしゃったので、ソフィア様がそれを聞いて嫌がらせだと怒って、フロレンス様に同情して伯爵邸に帰らせてしまったとか」
エドワードの目が愉快そうに踊っていることに途中でルイは気が付いたが、手遅れだった。エドワードは公爵に頼まれた時点で、おおよその真相に気が付いたのだろう。
「あなたのとこに釣書が来るなら、ウッドハウス家にだって釣書はきます。なんで、フロレンス嬢に釣書を見せたいなんて言ったんですか?」
「父とソフィアに紹介しようと……」
「もう、紹介はすんでましたよね。ソフィア様は愛人なんだから会わせる必要なんかないし。そもそも、この騒ぎの原因もソフィア様のせいでしょう? 殿下がちょっといたずら心を起こして釣書をフロレンス嬢に見せたところで、フロレンス嬢が殿下のことを嫌いになるくらいで、騒ぎにはならない……」
ルイはぐっと詰まった。嫌われたいわけではなかった。
「ねえ、何のためにフロレンス嬢に釣書を見せたいだなんて、言ったんですか?」
この言葉にルイは耳の先まで赤くなった。
「ヤキモチを妬かせたかったんでしょ? あんなリスクの高いやり方をするなんてどうしたんですか? ソフィア様が直情径行型なことを知ってるくせに? 公爵が社交界に出ないのは気が利かないからだって、わかってるくせに?」
「ううう……だって、フロウが好きだって言ってくれないんだもん」
「あー、それは、フロレンス嬢がそういうタイプだからですねー」
「でも、言って欲しい。なにか満たされない」
「それはね……わかります。まあ、同情の余地があります。しかも、ヘタをすると身を引きますとか言い出しそうですよね、フロレンス嬢。そして、本かなんか読んで紛らしていそう。引っ込み思案で、打って出ないタイプ。困りますよね」
「わかるだろ? エドワードだって、ベアトリス嬢と結婚したら一緒の時間も長いし、いろいろ細かい気持ちも伝わるでしょ。この間、ベルビューに行って、ずっと一緒に過ごした時、嫌われていない、好かれていると信じられた。今は別々なんだ。会ってる時くらい言って欲しい。確かめたいんだ」
エドワードの目がちょっと鋭くなった。
「それから公爵から聞いたのですが、半年の猶予期間を作られてしまったそうで?」
「……なぜ、それを父はお前に話したのだろう」
ルイは嫌そうだった。
「公爵は、あなたのことについては、いつも、わたくしに相談されます」
本来なら、母親に相談すべき話だった。
だが、彼の母はベルビューにいる。
公爵は、ルイに関して自分で判断できないことが起きると、エドワードを呼び付けて押し付ける。
それ以外の面倒事は、大体ルイに押し付けていた。政治向けの話だの、公爵家として判断しなければならないときや、面倒くさくて気の張る公式行事への出席などだ。
「競馬のイベントや、狩猟シーズンの幕開けには自分が出たがるくせに」
ルイ殿下は文句を言っていた。
「私も他人の立場なのに立ち入った話を聞いて、申し訳ないと思ってはおります。この件に関してはお父上の公爵閣下には、ソフィア様も含めて誰にも口外しないよう口止めしておきました」
妥当な処置だ。エドワードは気が利く。婚約猶予など、相手に嫌がられているように受け取られてしまう。できれば、誰にも知られず、内輪で済ませたい。
「存外、伯爵家の反応が悪かったようで……」
「ソフィア夫人の行動はいつも問題だ」
ルイは苦々しげだった。
公爵の愛人がソフィア夫人だと言うのは、すべての面においてまことに都合が悪かった。平民のおかみさんなら、はっきりものは言うが、親切で正直者の気のいい女と言われていたろう。だが、公爵を補佐すべき愛人としては完全に失格だった。
父の公爵のストレートな物言いは、ご身分柄、高貴な方とはこんなものかと周りが我慢して終わるのだが、ソフィア夫人が横で同様に思ったままを口にすると、公爵がまるで庶民の教養のない女と同じように見えてしまうと言う余計な相乗効果が上がってしまう。
その問題のある、父と父の愛人のところにわざわざフロレンス嬢を連れて行ったのは、殿下ご自身でしょうと言う言葉をエドワードは飲み込んだ。
「半年、婚約を先延ばしされてしまったそうで」
父の公爵が釣書を破りに来たのかなどと言いだし、ソフィア夫人がフロレンス一人を公爵家から追い返すだなんて、最初からあまり乗り気でなかった伯爵が公爵家の対応に不安を感じるのは当たり前だった。
ルイ殿下は、婚約の決定を半年先に延ばすことを提案されて、それを飲むしかなかったのだ。
「若者のフワフワした恋心だと疑われたのだ」
ルイ殿下は苦々し気に言った。
「半年が勝負と言うことですね?」
「僕の気持ちは変わらない」
「そんなこと、心配していません」
ピシリとエドワードは言った。
何のために、夜中にクソ重い本を五十冊も運んで図書館に並べたと思っているのだ。
こんな遠回しなやり方で、女が釣れるもんかと思ったが、フロレンス嬢には見事に効いた。ついでに殿下が、本気モードになってしまったのには驚いたが。まさかの展開である。
エドワードはキリッとなって言い切った。
「フロレンス様が心配です。殿下のことを好きでも、自分の気持ちに気が付かなかったり、はっきり意思表示しないうちに、ダラダラ過ごして適齢期をうっかり逃すタイプですね」
「伯爵にはフロレンスの気持ちを大事にしたいと宣言されてしまっているんだ」
「どうするんですか? 殿下」
「かくなる上は……」
エドワードはあわてて止めた。この殿下の発想は怖すぎる。次は本よりもっと重いものを運ばされたら困る。
「わかりました。一肌脱ぎましょう」
「え? 何をしてくれるの?」
「フロレンス嬢が、あなたに向かって愛を叫べばいいわけでしょう?」
ルイは顔を赤らめた。
「まあ……そうかな。力一杯好きだって言って欲しい。そうすれば伯爵もかわいい娘の希望を聞いてくれると思う」
エドワードはサムズアップした。
「任せてください。貸しひとつですよ?」




