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「この時間は時計台にいる」という言葉通り、アルヴィは大講堂の屋上庭園にいた。大講堂はアカデミアのシンボル的な建物で、中央に突き出した尖塔の4面には巨大な時計が据え付けられており、時を知らせる鐘の音を周辺一帯に響かせる。
ただ、そこには先客が一人。なにやらもめているようで、興奮した女の金切り声が遠くからも聞こえていた。屋上への扉をそっと開け、建物の陰から様子を伺うと、そこにはアルヴィといつぞや庭園でアマリアに陰口を聞かせてくれた令嬢の一人がいた。
「そんな! あなたが言ったことじゃない!」
「んー、悪いけど覚えがないな。気のせいじゃない?」
「……最低!」
見るからに怒り心頭という様子の令嬢は、捨て台詞を吐くとアルヴィに背を向け、凄まじい勢いで屋上から去っていった。一方のアルヴィはといえば、まったく意に介す様子もない。
攻略対象その2であるアルヴィは、学業優秀だが軟派な性格で女遊びの激しい優男キャラだ。この手のキャラクターとしての宿命で、自分を何としても皇帝にしたい母親との間に軋轢を抱えており、皇子という立場に寄ってくる女性達を嫌悪している。しかし一度ヒロインの純情さと純粋な愛に心を打たれると、序盤の余裕はどこへやら、一気に重いメンヘラ気質を見せつけるようになり、最後には皇位を捨て駆け落ちするという極端な行動に走る。
先ほどの令嬢との様子を見るに、やはり彼はアマリアの知るとおり、女性不信のナンパ野郎なのだろう。多少とも関わるのが一気に面倒くさくなり、アマリアは部屋へと引き返そうと決めたが、男の方が目ざとく彼女に気づいてしまった。
「あれ、アマリアちゃん?」
今しがた女に怒鳴られたばかりとは思えぬ明るい声で呼びかけられ、仕方なくアマリアは彼の前に姿を表し、一礼して向き合った。
「来てくれて嬉しいよ。少し退屈していたんだ」
悪びれもなく言い放つアルヴィに、アマリアはやはりこの男とサラを近づけてはならないと決意した。
「こちら、お返ししようと思いまして。この間お借りしたハンカチです」
アマリアはできるだけそっけなく、例のハンカチの入った包みを手渡した。アルヴィは中身を改めることもせず、優雅な笑みをアマリアに向ける。
「わざわざありがとう。そうだ、せっかくだから少し話し相手になってくれないか? ここ、座りなよ」
かたわらのベンチに座るよう促すアルヴィに、仕方なくアマリアも従う。仮にも貴族令嬢が皇子の誘いを断るなど言語道断だ。だが、その行動に対し、アルヴィの方が意外そうな表情を浮かべたことにアマリアは気づかなかった。
「アルヴィ殿下。皇帝陛下のこと、お聞きしました。大神のご加護のあらんことを、心より祈っておりますわ」
ここはつまらない話をしてさっさと帰るのが得策だろう、とアマリアは先制パンチを仕掛ける。皇帝の病状は数日ほど前から誰もが知る話となっていて、誰もが詳しい話を求めていた。正妃の生んだ皇子、しかも次期皇帝候補と名高いアルヴィなら、既にこの話題にはうんざりしているはずだ。
「ああ、ありがとう。皆が心配してくれて、きっと父上も嬉しいと思うよ」
「ご病状はいかがなんでしょうか」
「侍医は難しいと言っているよ。あと一月持つか持たないかだってさ」
想定外のあんまりな返答にさすがのアマリアもぎょっとして、思わず隣に座る男の顔を見つめてしまった。その顔は先ほどと変わらず、朗らかな笑みをたたえたままだ。
「……ま、まさかそんなに良くない状態だなんて」
「そうなんだ。だから宮廷では皆大騒ぎで、皇帝陛下のお考えを聞き出そうと必死さ」
「お考えというと……」
「そう。誰を次の皇帝に指名するかってこと」
聞く人が聞けば目の色を変えるだろう話をしているというのに、アルヴィの様子は全く変わらない。ここでようやく、アマリアは自分がからかわれているのだと気付いた。だが、アルヴィの話はゲームの展開から察するに本当のことだ。重い話をあえて軽く話すことで嘘のように見せかける……アルヴィとはそういうキャラクターだったとアマリアは思い出す。
「まあ。それでどなたが次期皇帝に指名されたのですか?」
「それがさ……俺だって言ったらどうする?」
「あら、長男のマルクス殿下だと思っていましたわ。違うのね」
アマリアの言葉に、アルヴィは微笑みを浮かべ、その顔をぐっと近づけた。淡い水色をした瞳と目が合う。
「そりゃ、君の家にとっては困るだろうね。ヒューピア家の血を引く次期皇帝なんて、トゥーリ家にとっては悪夢みたいなものだろう。先祖から延々と続く因縁があるとはいえ、こればかりは……」
きょとんとした様子のアマリアを見て、アルヴィは「意外だな」と呟く。その言葉に、アマリアは今更ながら一つの“設定”を思い出し、すーっと顔色を変えた。アルヴィの母方の実家ヒューピア家は水のルーンを受け継ぐ四大家の一つで、トゥーリ家とは様々な因縁があり、二つの家は昔から不仲で有名なのだ。それゆえ、アルヴィルートのアマリアは二人の交際をひたすら邪魔し、最後には文字通り切り捨てられるのである。
「……もしかして」
アマリアの表情の変化を、目ざといアルヴィは見逃さなかった。面白いおもちゃを見つけた子供のように、男の目が妖しく輝く。嫌な予感にアマリアが立ち上がろうとする前に、アルヴィはアマリアの肩に手を回し、その耳に口元を寄せた。
「俺のことが気に入ったのかな?」
アマリアの背中にぞわーっと鳥肌が立つ。前世の自分がアルヴィの声優を気に入っていたことをふと思い出し、さらに冷や汗が吹き出す。
「何を!」
馴れ馴れしく肩に回された手をはねのけ、アマリアはベンチから勢いよく立ち上がると、楽しげな顔の男を見下ろし、精一杯の気丈さでキッと睨みつけた。
「いくら殿下といえど、さすがに無礼が過ぎますわ!」
「気を悪くしたなら謝るよ。ごめんね」
ゆらりと男もベンチを立ち上がる。その顔は相変わらず微笑みを絶やしておらず、アマリアは思わず後ずさる。男が一歩踏み出すと、女もまた後ろへと進んだ。無言のまましばらく攻防が続き、気づけばアマリアは屋上を囲むフェンスの間際まで追い詰められていた。
「つかまえた」
青ざめたアマリアに覆いかぶさるようにアルヴィが迫る。夕日に照らされてアルヴィの銀髪と顔は燃えるような赤みを帯びて、不気味なほど美しい。ふと、アマリアは既視感に襲われた。そういえば昔、こんな絵を見たことがあるような気がする。いわゆる「スチル」である。
その瞬間、アマリアの脳内に強い警戒音が鳴り響いた。お前はまたもや重要なイベントの最中にいるぞ、と本能が警告する。
激しい混乱の中、アマリアは助けを求めるように背後を振り返った。金属製のフェンス越しにアカデミアの広大な敷地が広がっていた。沈みゆく夕日を受けて校舎と庭園はピンク色に輝き、逆に周辺一帯に広がる広大な森は黒く沈んでいく。
その時、校舎にほど近い森の縁で、何かがキラリと輝いた気がした。
「あれは……」
「どうかした?」
アマリアの脳が警告を発する。このイベントはどういうものだったか、必死に記憶を掘り返す。ほぼ初対面のサラがアルヴィに冗談半分に口説かれて、やはりフェンス越しに追い詰められて、そこに……。
「危ない!」
渾身の力を込めて、アマリアは迫り来る男に体当たりした。不意打ちを食らった男と共に、アマリアも地面に倒れこむ。その瞬間だった。パァン! と激しい衝突音が辺りに鳴り響いた。
上半身だけ起こして周囲を見渡すと、先ほどまで二人が立っていた場所のフェンスがひび割れ、内側に向かってぐにょりと折れ曲がり、地面には砕けた金属片が散らばっていた。
「風の……」
背後から聞こえてきた呟きに、アマリアはハッと振り返る。そこにはやはり上半身だけを起こし、目を見開き驚愕の表情を浮かべたアルヴィがいた。その視線はフェンスとその向こう側に釘付けになっていたが、そこに浮かんでいた表情は諦めと悲しみのようにアマリアには思われた。