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 乙女ゲームには当然、ヒロインの恋の相手となる攻略対象が存在する。ヒロイン・サラの相手となりうるのは、アカデミアに集う4人の貴公子である。


 第一の攻略対象はレオ。アマリアの元婚約者でサラとは幼馴染。そして二人目がその腹違いの兄アルヴィで、サラやアマリアの上級生だ。残る二人はアカデミアの教師と修道士であるが、教師の方はともかくとして、修道士はアマリアにとってもサラにとっても最も危険な人物といえた。


 修道士ほどではないものの、アルヴィもまた、アマリアができれば接触を持ちたくなかった人物である。レオの婚約者だった時代に多少の面識はあったが、挨拶を交わした程度で特段親しくはなかった。


 サラをレオルートに進めさせると決心した以上、別の攻略対象との関わりは不確定要素をますます増やすことにしかならない。アルヴィは上級生で、関わりを断とうと思えば可能な人物だった。レオルートでの彼の運命を考えればあまり親しくなるべきではないし、うっかりサラと出会わせてしまった場合、アマリアはサラを奪われた挙句に殺される可能性すらある。


 アルヴィこそ、今のアマリアにとって最も関わるべきでない男……とはいえ、名家の令嬢として、差し出された手を無下にすることはできない。まして、相手は皇族である。無様に地面に座り込んだままでいるわけにもいかない。仕方なく、アマリアはその手を取った。


「怪我はない?」

「大丈夫です。ありがとうございます」


 アマリアは荒ぶる心を鎮め、務めて冷静に振る舞おうとした。しかし、突然男に左手を掴まれて、さすがに頬を赤らめる羽目になった。


「少しだけど血が出てるね」


 男はポケットから取り出したハンカチを開くと、手の側面にできた傷を軽く拭ってから、そっと包むように巻きつけた。


「あ、ありがとうございます……」

「いいよ。気にしないで」


 にっこりと微笑むアルヴィに、さすがのアマリアも恥じ入り、顔中を赤らめて俯いてしまった。ああ、今日はなんてツイてない日なんだろう。寮に戻ってベットに潜りたいと心から思った。


「ねえ君……もしかしてトゥーリ家のアマリア嬢?」


 かけられた言葉にぎょっとして顔を上げたアマリアの視線の先で、少年はやっぱりとつぶやいた。


「その黒髪と赤い目、お父上そっくりだよ。数多の敵を震え上がらせてきたトゥーリの色だ」


 アルヴィはニコニコと人の良さそうな笑顔を見せ、明るく軽やかな声でアマリアに語りかけてきた。顔見知り以外には無愛想なレオとは異なり、アルヴィはいつも薄笑みを絶やさず、誰に対しても皇子という立場からは想像できないほどの気安さを見せる。


「あれ、もしかして俺のことわからない?」

「……もちろん存じております、アルヴィ皇子殿下。先ほどは無様な姿をお見せして、大変失礼いたしました」


 望まぬ邂逅と失態を目撃されたことに少なからずショックを受けていたアマリアだったが、すぐに気を取り直し、背筋を伸ばして礼をし直した。


「そんなかしこまらなくていいよ。ここはアカデミアで、ルーンを持つ以上、皇族も貴族も平民もない。それゆえに皆が同じ制服を着て、使用人の一人も連れず、荷は自分で持って、己の足で歩いている。……それに君はレオの婚約者だろう。レオは大切な弟だからね」

「申し訳ありませんが、婚約は破談になりました」

「ああ、知ってる」


 アルヴィは平然とそう言い放ち、いかにも機嫌が良さそうな笑い声を上げた。その笑顔も声も、やはり攻略対象だけあってクオリティが高い。ぼんやりとそんなことを考えていたアマリアの表情が不愉快そうに見えたのだろう、アルヴィは笑うのをやめた。


「ああ、ごめん。ちょっと愉快でね。まさかあんな形で母上たちの悪だくみをくじくとは思わなかったからさ」

「悪だくみ……?」

「ああ。トゥーリ家の乗っ取り計画、そそのかしたのは母上だからね」


 アマリアはあまりのことに耳を疑った。なぜトゥーリ家を狙う陰謀に、彼の母である現皇帝の正妃ヴィルヘルミーナの名が出てくるのか。


「皇妃様が?」

「……その様子だと知らないみたいだね。ごめん、余計なことを話してしまったみたいだ」


 謝罪の言葉を口にしているが、アルヴィは悪びれもせずただ朗らかに笑っている。


「どういうことでしょうか」

「知らないなら知らないで良いことと思うけど……知りたいなら教えてあげるよ。二人きりでね」


 口の端を軽く上げて、アルヴィはまるでいたずらっ子のような笑みを形作った。細められた水色の瞳から何とも言えぬ色気が漂い、純情な少女ならたちどころに頬を染めることだろう。


「いえ、結構です」


 男にとってアマリアのそっけない返答はよほど意外だったのだろう。一瞬だけ驚いたような顔をして、それでもすぐに薄笑みを浮かべた。


「気にはならないんだ? 一応言っておくと、多分レオも、君にはきっと話せないと思うよ」

「宮廷のことに興味はありません。それに私はもう、レオ殿下の婚約者ではありませんから」


 アマリアは姿勢を正し、胸に手を当てて一礼した。


「助けていただいて感謝いたします。もうすぐ授業ですので失礼いたします」

「……気になったらいつでもおいで。俺はこの時間、大体時計台の屋上にいるから。またね、アマリアちゃん」

「ごきげんよう」


 アマリアは聞かなかったふりをして、再び校舎へと急ぎ足で進んだ。アルヴィから見えないところまで来たら猛ダッシュをして、教室へとギリギリ駆け込むことに成功した。ろくに砂埃も払わないままで。


 その日からしばらくの間、アマリアをからかう言葉に「砂かぶり」「砂だらけ女」というレパートリーが加わったのは言うまでもない。

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