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「お母さま、お元気そうで良かったですね」

「もっと早く出て行けば良かった、ですって。何を呑気なことを……」


 帝都アイロラのアカデミアに到着して以来、女子寮のアマリアの部屋では、毎日のように姉妹のお茶会が開かれていた。本日のおやつはアマリアの母レイラから手紙とともに送られてきた焼き菓子で、名産のバターをたっぷり使った香ばしい香りとサクサクとした食感に、姉妹は穏やかながらも楽しいひと時を過ごしていた。


「そういえば、もうすぐお母さまのお誕生日ですね。今度二人で贈り物を探しに行きませんか?」

「そういえばそうだったわね。黄色いバラ、近くに売ってるかしら?」

「お姉さま……たまには別のものをお贈りしては? 実のお母さまなんですから」

「いいのよ、喜んでくれるんだから!」


 呆れ顔のサラに、アマリアはわざとらしくぷいっと横を向く。このやりとりは毎年この時期の定例行事になっている。


 鬼婆よろしくサラをいびるはずだったレイラは、今ではすっかりサラの母親代わりである。サラのヒロイン力は攻略対象以外にも効果抜群のようで、夫の裏切りで失意の底にあったレイラの元に足繁く通い始めると、あっという間にその心を開かせてしまったのだ。底意地の悪い悪役令嬢より素直で誠実なヒロインが可愛いのはレイラも同じようで、今ではアマリア宛の手紙で「サラを守るように」と念を押すほどである。


「そういえば、先ほどレオ様とは何のお話をされていたんですか」


 不意打ちで飛び出した名に、アマリアの心臓が一瞬高鳴った。だが、ポーカーフェイスは令嬢のたしなみだ。


「別に……大した話ではないわ。我が家のことでご心配をおかけしたみたいだから、ご説明申し上げただけよ」

「……それだけですか?」

「そうよ」


 そっけない答えを返すアマリアを、サラは青い瞳でじっと見つめる。普段と変わらぬ様子を装っているが、こういう時のサラの目はまるで獲物を狙う猫のようだ。


「……こんなことを言うつもりはなかったのですが、お姉さまはレオ様を避けていらっしゃいませんか?」


 図星を突かれ、アマリアはつい目を逸らした。先ほどの邂逅を思い出し、さすがに胸の詰まる思いがした。


「お姉さま、今一度、レオ様とちゃんとお話しすべきでは?」

「別にいいんじゃない? アレクセイが嫡子になった以上、あの婚約に意味はないわ。向こうはトゥーリの“次期後継者の配偶者の座”が目当てだったし、お父さまは何としてもあの縁談を破談にさせたかったんだから」


 縁談は皇帝とレオの母方の親戚たちが仕組んだあからさまな罠だった。かつて火炎の烈女と称えられたアマリアの曽祖母が嫡子として家を継いだ時、それに反対して出て行った兄弟の家系の末裔がレオの母ウルスラだ。彼女の実家であるラスク家が、トゥーリ本家を乗っ取ろうと、何かと画策してきたことはアマリアでも知っていた。


「それに元婚約者がウロウロしてたら、かえってレオ様のためにならないわ。どうせもう、次の縁談の話が出ているはずよ。火のルーン持ちの皇子を欲しがる家は少なくないでしょうし」

「そうかもしれませんが……」


 サラの顔には「わからない」と書かれていた。なぜそんなにもサラがこの婚約にこだわるのか、その方がよほどアマリアにはわからなかった。


「それにしても、家を乗っ取るためだけに皇子を差し出すなんてよく考えたわよね。せっかく娘を皇帝の寵姫にしたのに、無駄遣いもいいところよ」

「その、どうしても不思議なんですけど……私、アカデミアでご一緒になって、改めてレオ様は皇帝になるにふさわしい方だと思いました。それなのになぜ、早くから我が家のお婿さんに……なんて」

「レオ様が優秀過ぎるからよ。皇帝陛下の御子は八男五女……去年も姫君が生まれたから六女か。半数がルーン持ちとしても、数が多過ぎるでしょ」

「生まれたばかりの姫君もルーン持ちというお話でしたから、レオ様も含めて7人……改めて考えるとすごい話ですね」


 ルーンを持って生まれてくる子供は年々減っており、貴族さえルーン持ちの後継者が生まれないということが珍しくなくなってきていた。そんな中でも、皇帝家のルーン所持率は異様なほど高い。だからこそ、その血筋を何としても取り込みたい貴族は多い。


「魔術師として活躍している長男のマルクス様に、騎士団からの支持が強い次男エリアス様、皇妃様の御子である三男アルヴィ様と有力なライバルがいる以上、皇帝の座を狙うより、一族の悲願を優先するのは悪い賭けじゃなかったと思うわ。さすがのお父様だって、皇子相手となれば断るわけいかないもの。……馬鹿げてるとは思うけど」


 納得がいかないという顔のサラに、アマリアも当然だとは思う。だが実際、サラがレオルートに進むのであれば、おそらく彼は次期皇帝になるはずだ。


「……晴れて婚約解消となったわけだし、もう私に遠慮なんてしなくていいのよ?」

「何をですか」


 キョトンとした顔のサラに、アマリアはニヤリと笑う。


「殿下に会いに行くのに、私に気兼ねしなくていいってこと」


 意味を理解したのか、サラの顔色が急に赤みを帯びた。アマリアは妹のこういう素直さを愛しく思う。


「私、そんなつもりでは……!」

「はいはい……あら、そろそろ夕方の講義の時間ね」

「あっ、そうですね。一度部屋に戻ります」

「ええ、じゃあ後でね」

「はい」


 サラは手早く自分の食器を片付けると、急いで部屋を出て行った。


「レオ様、か」


 急に静かになった部屋の窓辺に立つ。見下ろした中庭には花々が咲き誇り、蝶や蜂が飛び回って春を謳歌している。


「あの二人、どうやったらくっつくのかしら……」


 確かゲームでは、あの中庭で二人は密かに逢瀬を重ねていたはずだ。記憶の中にあるゲームの映像と眼下の光景が重なり、アマリアは思わず身震いした。


 お互いに子供の頃からほのかな思いを寄せ合っているはずの二人である。だからこそ、アマリアは婚約が決まって以来、サラとレオの仲を取り持つべく何かと気を回してきた。冷静沈着でやや無愛想だが実直なレオと、穏やかで心優しいサラ。メインヒロインと攻略対象だけあって、並べてみると最高に素敵なカップルなのに、いつまで経っても二人は仲の良い兄妹という雰囲気にしかならず、それ以上の進展を見せない。


「やっぱり、私がイベントを奪ったから……?」


 アマリアの知る「正しい展開」では、サラは森の中で迷子になり、狼に襲われたところをレオに助けられ、自分をかばって大怪我を負った彼を救うために光のルーンを発現させた……ということになっていた。


 ゲーム本編を開始させなければ、つまりサラがアカデミアに入学しなければ、自分は破滅しなくて済むのではないか……そう考えた幼きアマリアの結論、それはサラに光のルーンを発現させないというものだ。だからアマリアは、サラが勝手に森の中に入らないよう、幼い頃から口を酸っぱくして言い聞かせていた。


 だが、アカデミア入学のおよそ1年前のこと。森の奥にある泉に咲くという珍しい花をお母様に届けたいというサラの熱心な願いに負け、アマリアは家の者たちの目を盗み、一緒に森へ入ったのである。


 そして出会ってしまったのである。あの狼と。


 幸いにも火の魔術で追い払うことができたが、アマリアはサラをかばって大怪我を負ってしまった。泣きじゃくるサラを、アマリアは痛みで意識を遠くしながらも必死になだめようとしたが、その手にはたちまち光のルーンが発現、彼女の怪我をすっかり治してしまったのである。


 アマリアは無意識のうちに、あの時怪我を負った脇腹を抑える。獣の鋭い爪で引き裂かれたというのに、服の下に隠された皮膚には、わずかな痕跡すら残っていない。


「やっぱりあの時、レオを一緒に行かせるべきだったのでは……」


 たそがれるアマリアを鞭打つように、ゴーンという鐘の音が鳴り響きわたった。アマリアは血の気が引いて行くのを感じた。この鐘は授業開始10分前の合図である。考え事をしている場合ではなかったと、アマリアは教科書や筆記具の詰まったカバンを手に部屋を飛び出した。


 女子寮から講義棟までは走ればなんとか間に合う距離だ。誰もいない歩道をアマリアは全速力で髪を振り乱して走る。令嬢らしからぬ行動だが、成績上位を狙う以上、遅刻をするのはまずい。なりふり構ってはいられない。


「あっ」


 歩道の窪みに足を取られ、アマリアは体勢を崩した。軸足を踏ん張ってみるが、前のめりになった体を支えることはできず、哀れな令嬢は無様にも地面に伏すこととなった。


「痛った……あーもう!」


 上半身だけ起き上がって額を抑えるアマリアは、一人の少年が近寄ってくるのに気づかなかった。


「大丈夫かい?」


 不意に声をかけられ、アマリアはピクリと体を硬直させた。悪い予感が寒気となって全身を粟立てた。


「よかったらどうぞ、お嬢さん」


 座り込んだまま反射的に視線を動すと、声をかけてきた男と目が合った。自分を見つめる薄い水色の瞳に、アマリアの顔色はみるみる青ざめていった。


 彼女に手を差し出す銀髪の男の名は、アルヴィ・ヤルヴァ。元婚約者レオの腹違いの兄にして次期皇帝候補筆頭と噂される、別名・攻略対象その2であった。


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