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「これは殿下。ごきげんよう」


 アマリアは背をピンと伸ばし、胸に手を当てて深々と頭を下げた。たまたま同級生になった皇子に取るには適切であるが、元婚約者にするにはいささかよそよそしい挨拶。レオの涼やかな目元が軽く細められ、その奥にある鮮やかな碧眼がわずかに揺らいだ。


「ずいぶんと他人行儀だな。幼い頃からの婚約者なのに」

「そのお約束はなくなりました。お忘れですか」

「私はまだ納得していない」


 鮮やかな緑色の瞳が、あからさまに不機嫌な色に染まる。とはいえ、レオの表情の変化はわずかなもので、家族か付き合いの長いアマリアやサラなどにしかわからない。


「失礼ですが、殿下のご納得などささいなことです。これは家と家との取り決めなのですから」


 レオはトゥーリ家の分家の娘を母に持つ、現皇帝ヨハンネス2世の五男である。そのルックスと立場が示す通り、いわゆる王子様キャラである。本来の展開であれば、今の時点でもアマリアはレオの婚約者であり続けるはずだった。だが、その婚約はすでに正式に破棄されている。廃嫡に続く、大きなイレギュラーの二つ目だ。


 とはいえ、アマリアはずっとこの婚約をできるだけ穏便に破棄したいと思っていた。その点、この展開は彼女にとって都合の良いものであった。


 アマリアの今後の運命は、サラが誰を攻略するかにかかっていると言っても過言ではない。4人いる攻略対象者のうち、アマリアはレオが最もマシな攻略対象であると踏んでいた。というのも、レオは優しく誠実がモットーのキャラクターだからだ。それゆえに、サラがレオを選んだ場合、彼は“婚約者の妹”と道ならぬ恋をすることになり、苦悩するのである。


 このルートのクライマックスで、アマリアは次期皇帝となったレオに婚約を破棄されてしまい、怒りのあまり火の魔術で次期皇妃サラを襲撃して死罪となる。誠実なレオは悪役令嬢のアマリアに対しても、自分からは婚約破棄以上のことはしようとしなかった。サラに直接手を出すという暴挙に出るまでは、だが。


 悪役令嬢アマリアにとってレオルートは最悪のルートであるが、妹を心から愛する今のアマリアに、皇妃となったサラを祝福するならともかく、襲撃するなどという選択肢はありえない。幼い時からの付き合いでレオの人柄も良くわかっている。よほどのことでもしない限り、大切な妻の姉を邪険に扱うことはないだろう。


 残る3ルートを考えても、「サラに最もふさわしいのはレオ」というのがアマリアの結論である。レオとあまり関わりたくないのは、自分はおとなしく身を引いたというアピールと、自分に関係なく交際を開始してくれという願いを兼ねたものである。


 アマリアの冷たい口ぶりに、彼女の事情を露ほども知らないレオは、さらに不愉快そうに口元を歪めた。レオはどんな表情をしていてもイケメンだ。さすがに攻略対象だけあって、その造形には明らかにクリエイターの気合が込められている。それに声も良い。


「そうなのかもしれない。だが、私はあなたが不憫で……」

「まあ、ご自分が捨てた女をかわいそうだとおっしゃるの?」

「そんなこと!」


 激昂するレオの顔は、なぜか昔からアマリアの心をくすぐった。もっと怒らせてやりたい……そんな浮ついた感情がアマリアの心に静かに渦巻いていく。わざとらしく悲しげな顔を浮かべ、アマリアはさらに畳み掛ける。


「先に婚約破棄を申し出たのはレオ様のお父君……皇帝陛下とお聞きしていますが」

「それは……そうだが」

「いくら我が家が古から火のルーンを受け継ぎし四大家とはいえ、偉大なる皇帝陛下の命に背くなどということはできません」

「ふん。ヴィルヘルム殿は、昔からこの婚約を明らかに嫌がっていた。むしろ渡りに船、といったところだろう」


 レオは王子様キャラなので非常に親切、温厚かつ優しい紳士……のはずなのだが、その対象になっているのはサラだけだ。アマリアから見た彼は歯に衣着せないクールキャラである。出会った当初はアマリアに対しても王子様ムーブだった気もするが、気がつけばお互い遠慮はなくなっており、時に明け透けに嫌味や皮肉をぶつけ合う間柄になっていた。元のゲーム時空でも自分とレオはこんな関係だったのだろうかと、時々アマリアは考える。だが、今となっては確かめようもない。


「我が当主のお考えなど、廃嫡されるような愚かな娘には理解できませんわ」

「アマリアが愚かなら、世の中はよほどの馬鹿ばかりだろうよ。優秀な娘を廃嫡したヴィルヘルム殿も含めてな」

「ええ。偉大なる皇帝陛下のお血筋であらせられる皇子殿下から見れば、我々など皆、無知で愚鈍なのろまでしょうとも」

「まったく、あなたは相変わらずだな……少しは萎れていれば可愛げもあるものを」


 そう言うレオの目に、言葉とは裏腹のふっと優しげな光が灯る。実を言えば、彼もまたアマリアの置かれた立場に憤りを感じていた一人だった。自分に向けられた純粋な友愛を感じ、ほんの少しだけアマリアの頬が緩んだ。だが、アマリアの運命をかけた戦いの火蓋はすでに切られている。幼馴染で数少ない友人の一人といえど、これ以上の関わりは危険だ。


「身に余る評価を頂き、光栄でございます。ですが、我が家の事情にこれ以上の口出しは無用です」

「私はあなたの婚約者だ」

「いいえ、違います」


 その言葉を待ってましたとばかりに、アマリアはできるだけ優雅で可能な限り冷酷な笑顔を作った。ゲームに登場する悪役令嬢アマリアが浮かべるような、心まで凍てつくような冷たい笑みを。


「すでに婚約は破棄されました。寂しくはありますが、もう私たちは赤の他人。これ以上の関わりは御身のためにならないと存じます」


 アマリア渾身の悪役令嬢ムーブだったが、揺れたレオの碧眼に現れたのは怒りではなく、悲しみや寂しさに見えた。予想外の反応に、アマリアは少しやりすぎたと内心で舌打ちした。しかし、アマリアは一度作ったポーズを崩さない。


「……そんな言い方はないだろう」

「まあ、そんなにトゥーリ家が欲しかったのですか?」

「それは祖父と叔父上たちだ。私にそんなつもりがないことを、あなたは十分知っているはずだ」

「殿下のお心など、愚かな私にはわかりませんわ」

「またそういうことを」

「先ほども申し上げた通り、婚約破棄は皇帝陛下と我が家の当主がお決めになったこと。何か意見があるなら、私ではなくお父上である皇帝陛下になさるのが筋ではなくて?」

「それはそうだが……」


 レオは言い淀む。彼ら「親子」の関係は、そんな意見を気軽にできるようなものではない。アマリアはそのことを十分に知っている。


「それに殿下、私への同情は不要にございます。なにしろ……」

「なんだ」

「皇帝陛下のお身体が優れないとの噂を聞きました。私より、御身のご心配をなされた方が良いのではありませんこと」


 その瞬間、レオの表情が一気に険しくなった。


「……なぜ知っている」


 その言葉に、アマリアは自分のやらかしを瞬時に理解した。皇帝の健康問題はゲームプレイの記憶があるからこその情報であって、この時点では皇帝によほど近しい人々以外は知らないことのはずだ。調子に乗りすぎたと滝のような冷や汗をかくアマリアは、返答の代わりににっこりと笑みを浮かべてごまかすことにした。それに引き換え、レオは苛立ちと警戒の色を隠そうともしない。


「……さすがにトゥーリ家ともなれば、そのくらいは知っているか。私に近づかないよう、ヴィルヘルム殿から警告でも受けたか」

「まあ。警告だなんて」


 幸い、レオは何か勘違いしているようだった。アマリアは心の中でほっと胸をなでおろした。


「……母上は、私を次期皇帝にしたいらしい」

「皇帝陛下の子を産んだ以上、当然の望みではございませんか」

「たかが愛人の分際でふざけたことを」

「あら、資格は十分にお持ちでしょう? 殿下は私と同じ、火のルーンをお持ちなのだし」


 この国の皇帝位は、皇帝の子供のうち、火、水、風、土のいずれかのルーンを宿している者から選ばれる習わしだ。性別は関係なく、母親が正妃か愛人かも、その出自さえも問われない。偉大なる皇帝の血筋に直接連なってさえいればいい。……建前としては。


「私が皇帝にふさわしいと思うか? この私が?」

「それを判断するのは陛下でしょう」

「アマリアはどう思うかを聞いているんだ」

「それは……」


 実際、レオはいずれ皇帝になる……というか、おそらくなるだろう。不確定とはいえ未来の断片を知っているがゆえに言い淀んだアマリアであったが、その背後でバキっと枯れ枝の折れる音がして返答する必要はなくなった。二人が顔を向けた先の茂みから、細身の人影が現れた。


「サラ」

「申し訳ございません。立ち聞きするつもりはなくて、その、帰ろうと思ったのですが……」

「いいんだ、サラ。気にしなくて」


 レオは一転して柔和な笑顔を浮かべた。


「あの、私……何も聞いてなんていませんから」

「サラが気にすることじゃない。気を使わせてしまって悪かった」


 彼は昔からサラの前では実に紳士らしく振る舞い、アマリア相手のように皮肉屋なところや気弱な面を見せようとしない。まるで実の兄ようにレオはサラに優しかったし、サラはサラで実の妹のようにレオを慕っていた。


「……そろそろ失礼いたしますわ。ごきげんよう、殿下。サラ、また後でね」


 これ幸いと、アマリアはこの場から去ることにした。レオの相手はサラがすべきである。アマリアではない。それに確か、この場所はゲーム内で二人が逢瀬を重ねる場所ではなかったか。確かレオルート序盤に、周囲の嫌がらせと陰口に傷ついたサラが幼馴染のレオに出会うイベントがあったはずだ。自然と二人きりにするチャンスと見て、アマリアはそっとその場から失せようとしたが、事態は予想外の展開を見せた。


「え、お姉さま……私も行きます! ……失礼いたします、レオ様」


 ぺこりと一礼して、サラは当然のことのようにアマリアの方へと駆け寄ってくる。


「サラ、あなた……」

「どうかされました? お姉さま」

「いいえ」


 きょとんとした顔のサラの背後には、所在なさげなレオが一人取り残されていた。なんとなくかわいそうな気もしたが、アマリアは身を翻し、サラと一緒に女子寮へと続く道へと足を踏み出した。


「お母さまからお手紙が届いてるんです。だから私、お姉さまを探していて」

「ああ、そうだったの」

「お邪魔をしてしまい、申し訳ないです」

「いいのよ」


 曇り顔のサラに、アマリアは笑みを返した。今日はダメだったが、レオとサラが二人きりになれるよう、自分が取り図らなければ。アマリアはこっそり決意を固めていた。


「なんでもないわ。ねえ、私の部屋に来ない? 良いお茶を手に入れたのよ」


 アマリアの誘いに、サラは満面の笑みを浮かべて頷いた。


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