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「……お父さま、大丈夫かしら」
「心配する必要なんてないわ。むしろいい気味よ。これで少しは女癖の悪さを反省するんじゃなくて?」
アマリアは手紙をテープルに置き、優雅な仕草でカップを取った。紅茶に口をつけると、果実のような甘い香りが広がる。レオがくれた西方のお土産だった。アマリアはふぅと一息ついた。
「しかしまさか、あのテアが浮気していたなんてね。お母様によると屋敷に男を連れ込んでいたってことだけど、それでバレないと思っていたのかしら」
テアとはアマリアとサラの父ヴィルヘルムの愛人で、アマリアに代わってトゥーリ家の次期当主に指名された弟アレクセイを産んだ女である。正妻であるアマリアの母レイラが夫に愛想をつかして屋敷を出て以来、次期当主の母という立場を盾に、すっかりトゥーリの女主人を気取っていた。アマリアやサラも彼女には散々辛酸を舐めさせられた。
「テアさんはもう屋敷を出ていったんですよね」
「お父さまに叩き出されたらしいわ。当然よ」
「……アレクセイはどうなるんでしょう」
サラの顔が翳る。手紙には書かれていなかったが、ヴィルヘルムがアレクセイの出自を疑っているのは明らかだった。何しろ、アマリアを再び次期当主に指名するための手続きが始まっているのだから。
「……火のルーンが宿っている以上、私はお父さまの子だと思うのですが。お姉さまはどう思われますか」
「私もそんな気がするけれど……それこそ真実は大神にしかわからないことよ。……ルーンを持っている以上、粗末に扱われることはないわ。一族の中には欲しがる家もあるのではないかしら」
「かわいそうに。まだ2歳にもなっていないのに、お母さんと離れ離れになって……」
母親のことはともかく、サラは幼い弟のことを屋敷にいる時からずっと気にかけていた。そして今は、幼くして母を亡くした自分の境遇と重ねているのだろう。サラはひどく悲しげに見えた。
「お母さまが屋敷に戻ったようだし、そんなに心配することもないと思うわ。そうだ、今度の休暇の時に一度帰って様子を見に行きましょう……お父さまからも、一度帰ってくるよう連絡があったしね」
「そうですね」
サラはようやく微笑みを浮かべ、そのことにアマリアも安堵した。サラはクッキーに手を伸ばし、おいしそうに食べる。
「そういえば、昨日レオ様にお会いしました」
「あら。お元気だった?」
「少し疲れていらっしゃるようでした。……仕方ありませんね」
「次期皇帝に指名されたらね……。まだまだ先のこととはいえ」
サラがアマリアに癒しの魔術を行使し、その命を救ったという話は即座に宮廷にも届けられた。レオとアマリアとともに城に上がったサラは、病床の皇帝に癒しの魔術を施し、無事にその命をつなぎとめたのである。サラは一躍「聖女の再来」として時の人となった。
その後、宮廷で何があったか、レオもアルヴィも黙して語らない。だが九死に一生を得た皇帝は正妃の息子アルヴィではなく、なぜかレオを次期皇帝に指名したのである。
皇帝不在の宮廷を牛耳った正妃の実家ヒューピア家の所業に激怒したとか、レオの実家ラスク家の巡礼を襲ったのが実はヒューピア家だったとか、そもそも異端派を支援していたのが正妃だったとか、様々な憶測が流れていたが、そのどれが真実なのかはアマリアにもわからない。
「でも、アルヴィ殿下が即座に賛同の意を示したというのは意外でしたね。『私は弟レオに全面的に協力し、それを支える準備がある』なんて、まさかそんな宣言をなさるとは」
「……そうね」
ゲームの知識から、アマリアはアルヴィが皇帝になりたがっていないことは重々承知していた。そしてレオの方がふさわしいと常々考えていたことも。母親とその後ろ盾の思惑を超えて、二人の皇子が協力して治世を行うというのなら、それはそれで良いことなのだろう。
「ところでお姉さま。魔術が使えないのは明日まででしたよね」
「ええ。……遅れていた分、取り戻さないと」
「お姉さまなら大丈夫ですよ」
にっこりと笑うサラに、アマリアは曖昧な笑みを返す。
地下神殿での一件からすでに一月が経っていた。アマリアのルーン暴走は神殿を大きく損傷させ、あの場にいた多くの者を文字通り灰燼に帰した。当然のことながら、アマリアはその責任を負うこととなり、場合によってはルーンの永久封印という処罰を受ける可能性もあった。
しかしながら相手は聖職者の姿をした犯罪者集団であり、四大家トゥーリ家の令嬢であり希少な光のルーンを持つ女子生徒を殺害しようと暗躍していた者どもである。ルーン持ちでアマリアの魔術に対応できたリクハルドほか、現場にいた一味の数名が生き残ったこと、異端派について調べていたアルヴィ、レオ両皇子からの証言、そして現場にアカデミアの教師ハンヌがいたこともアマリアには有利に働いた。結果、アマリアは正当防衛が認められ、1ヶ月間の魔術使用禁止という異例なほど軽い処罰で済んだのである。
「はぁ……」
「どうかなさいました? お姉さま」
ため息をついたアマリアに、サラが首をかしげた。アマリアは肩をすくめた。
「なんていうか……魔術を使うのがちょっと怖くて」
いくらサラが死んだと勘違いしたからといって、自分が引き起こした惨状に何も思わないほどアマリアは冷酷になれなかった。アマリアに宿る火のルーンは強力で、力を使いたいという欲求は強い。ゲーム内の「悪役令嬢アマリア」が何かにつけてはイライラしてサラに当たっていたのは、もしかするとこの力を持て余していたからではないかとアマリアは推測していた。
アマリアの弱気な言葉が意外だったのか、サラは驚いたように目を見開き、それからおずおずと口を開いた。
「……お姉さまがご自分を責めることはありません。お姉さまは私を助けようとしてくださっただけですもの」
サラは一瞬ためらってから右手を伸ばし、テーブルの向かい側にいたアマリアの左手をそっと握った。
「お姉さまの罪は私の罪です。どうか、あまりご自身を責められませんように」
「ありがとう、サラ……」
サラの温かい手に、アマリアはもう片方の手を重ねた。二人は穏やかに微笑み合う。
その時ふと、アマリアの頭に一つの疑問がよぎった。
乙女ゲーム『テイク・マイ・ハンド〜差し出された運命』は最初に攻略対象を選び、それによってそれぞれのストーリーが展開するシステムになっていた。ゲームを新しく開始すると、画面上に手を差し出した攻略対象が一列に並び、プレーヤーはどの手を取るか選ぶのだ。
サラの相手が誰なのか、アマリアはずっと悩み続けていた。考えるまでもなく、攻略対象のいずれもサラと深い関係にはなっていない。レオとはせいぜい兄と妹、アルヴィとは顔見知り程度、ハンヌは良き師であるがそれ以上の間柄ではないし、リクハルドのことだって親切な修道士の一人とくらいしか認識していなかった。
このサラは一体、誰の手を取ったのだろう?
「……それでお姉さま。一つお願いがあるのですが……」
「何?」
「私、きっと上級魔術師になります。そして、トゥーリの娘として『聖女の再来』として……いえ、何よりもお姉さまの妹として恥ずかしくない活躍をしてみせます。だから……」
サラは顔を赤く染めて、恥ずかしそうにアマリアから目を逸らした。
「だから?」
アマリアが問い返すと、サラは意を決したように口を開いた。
「子供の頃からずっと、お姉さまの妹として恥ずかしくない人間になりたいと思っていました。でも私、お姉さまに助けられてばかりで……」
「そんなことはないわ。私だってずっと……」
「いえ、そうなんです。だから私、本当は光のルーンがこの身に宿ってくれて、実はとても嬉しかったんです。やっとお姉さまのために何かできるって……お姉さまを助けてあげられるって……でも、魔術が使えたのは最初のあの時だけで、そのあとは何をやっても全くダメでした。アカデミアに来てからもお姉さまに守られて、助けられてばかりで……」
「サラ……」
アマリアは眉をひそめた。こんな風に自分を責めるのはサラの悪い癖だった。だが、今回は少し様子が違う。サラは顔を上げると、毅然として宣言した。
「でも、もう私はそんなことで悩んだりしません。これまで以上に自分を鍛え、必ず己の役目を果たしてみせます。だから……」
サラはアマリアの目を見つめた。
「これからも、ずっと私の隣にいてください」
あまりにも真剣な眼差しと口調に、アマリアは思わず顔を赤らめた。
「本当はずっと、お姉さまの隣に並びたかったんです。でも長い間、その思いに蓋をしていました。それなのにお姉さまと婚約したレオ様に嫉妬して、一緒に居て欲しくなくて子供じみた真似もずいぶんしました。今思い返すと恥ずかしい限りですけれど」
サラは聞いているアマリアが恥ずかしくなるほどの熱弁を振るう。
「でも、光のルーンのおかげで気づいたんです。私はお姉さまの後を追いかけるだけの妹ではなくて、隣に一緒にいる、そんな存在になりたかったんだって。あの時、あの地下室に、迎えに来てくれたお姉さまの手を取ってからずっと、私はそう思っていたんです」
その言葉に、アマリアは目を見開いた。
「……手を、取った?」
そのつぶやきに、サラはうっとりと首を縦に振った。
「はい。あの時から私は、ずっとお姉さまのことが大好きです」
サラの屈託のない満面の笑みを見て、アマリアはようやく気づいた。
「……攻略対象は私だったのね……」
「こうりゃく?」
アマリアの言葉に、サラは不思議そうな顔をした。その顔がなんだかおかしくて、アマリアはついに吹き出し、楽しげに笑い始めた。どうかしたのかとサラは怪訝な顔をする。ようやく落ち着いたアマリアは、自分の手に重なっていたサラの手を両手で包みなおし、アカデミアに来てから一番の笑顔を浮かべた。
「なんでもないの。ありがとう、サラ……これからもずっと、よろしくね」
一拍置いて、サラの顔がまた赤くなった。そして、晴れやかな笑顔を浮かべると元気よく答えた。
「はい!」
こうして、アカデミアを舞台に繰り広げられたサラをめぐる“ゲーム”は終了した。幸せそうに微笑み合う二人を引き離すことは、もう誰にもできないだろう。
お読みいただきありがとうございました。次は後日談になります。
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