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前世のわずかな記憶と自らがたどる運命を知ったからといって、人間はそうそう変わらない。多少毒気は抜けるかもしれないが、そのプライドの高さや性格の悪さが根本から治るわけでもない。
だからこそ、アマリアには耐えられる。見知らぬ人々の好奇の視線と陰口、そしてささやかな意地悪にも。
「ねえ、見て。トゥーリ家のアマリア様よ。例の廃嫡された」
「あれが……レオ皇子殿下とも婚約破棄になったんですってね。おかわいそうに」
「父君が若い愛人に骨抜きにされて家も乗っ取られたんですって。ひどい話よね」
新緑の美しい庭園の一角で、真新しい制服に身を包んだ少女たちは噂話に花を咲かせる。たまにチラチラと視線を走らせる先のベンチには、入学以来、すっかり学校中の注目の的となっている“没落令嬢”アマリアが座っていた。その膝には図書室から借りた魔術書が開かれている。
「お父様には愛人が何人もいて、お母様はついに愛想を尽かしてご実家に戻られたそうよ」
「聞きましたわ。お母様のご実家のハーパラ家はトゥーリ家に大層ご立腹だとか。嘆かわしいわ。ご当主が愛人にかまけて敵を作ってばかりなんて」
「武勇に聞こえた名門も落ちたものね」
わざと聞かせているのか、それとも聞かれてもいいと思っているのか。どこへ行ってもこの手の陰口や噂話を聞かされるから、人気のない場所を選んでわざわざ人気のない庭園を選んだというのに、どうやら彼女らはそれを聞かせたくてたまらないらしい。
ルーンを持つ人間は年々減っているという。その出現率は貴族で5〜20%、平民なら1%を切る。平民の子供にルーンが現れると貴族の養子にされることも多いことから、このアカデミアにいる学生はほとんどが貴族の子弟だ。
生まれからして貴族の学生の多くは、アカデミアに在籍することを自分の箔付けにしか思っておらず、初級魔術師の資格だけ取って1年ほどで卒業していく。特にご令嬢達にとっては、アカデミアは切磋琢磨して魔術の腕を磨く場ではなく、「ルーン持ち」である自らの価値を高める場でしかない。
アマリアやサラの噂話や陰口を好む令嬢たちは、決まってそんな「腰掛け」気分の学生達だった。次期当主の座を追われ、皇子との婚約まで破棄された「おかわいそうなご令嬢」など、彼女らにとっては紅茶に注ぐ甘い蜜でしかない。
とはいえ、アカデミアへの入学から一ヶ月、こうも毎日のように陰口を聞かされては、さすがのアマリアも内心苛立ちを募らせていた。しかし、下手に反応などしたところで、向こうは甘露の追加を喜ぶだけだ。
「そういえば、光のルーンを持ってるって妹も愛人の子だとか」
「あら、そうだったのね。一度お話ししましたけど、ずいぶんとのんびりなさった方かと思いましたわ」
「ああ、私もそう思っていましたわ。とても光のルーンの持ち主とは思えないお地味な方よね」
「ねえ、あの方、本当に光のルーンを持っているのかしら? 癒しの魔術を使っているところ、まだ一度も見たことがないわ」
「一度実習でご一緒しましたけど、初歩の魔術もろくに使えない有様でしたわ」
「まあ……それで一年もつのかしら?」
「聞いた話ですけど、前の方は放逐されて、その後すぐにお亡くなりになったそうよ」
「ああ、その話なら知ってますわ! 故郷に泥を塗ったとの謗りに耐えかねて、自ら命を……」
さすがに耐えかねたアマリアがわずかに視線を向けると、その時だけしんと話し声が止む。だが小鳥たちはいつまでも黙ってはいられないらしい。
「そういえば聞いた話なんだけど、あの方、なんでも領地の森で獣相手に魔術をこっそり行使していたとか」
「トゥーリといえば火のルーンでしょう? 相手が獣とはいえ、恐ろしいこと」
「一度襲われそうになって、獣を森ごと焼き払ったそうよ。トゥーリといえばそういう家系とはいえ、末恐ろしいわねえ」
「そうそう。先日の授業では、生徒を一人、大やけどさせたとか……」
もう一度視線を向ける。今度は好奇心も悪意も隠さず、令嬢たちはアマリアを見返してくる。その顔には誰一人見覚えがなかった。ルーン持ちの子供は誘拐などの危険性が高いので、有力貴族であればあるほど箱入りに育てられることが多い。アマリア自身もトゥーリ家の領地から出たことはアカデミアに来るまでほとんどなかったし、2年前に実母が屋敷を出て行ってからは社交の場に参加する機会さえもほぼ失っていた。
そんなわけで、アマリアの友人と言える存在は数える程だ。なのに、見知らぬ少女たちはアマリアのことをよく知っている。何かと誇張されてはいるものの、おおよその事情は合っていた。しかし、獣を森ごと焼き払ってなどいないし、先日の授業で火加減を間違えて軽いやけどを負ったのはアマリア自身である。
噂とは怖いものだ。アマリアは半ば感心、半ば呆れてリスのように群れる同級生たちを見つめた。その途端、彼女らはひるんだように一斉にアマリアから目をそらした。アマリアがその視線を膝の本へと戻すと、再度ひそひそ話が始まった。ただしその声量は、さきほどより明らかに小さくなっていた。
「……まあ怖い。まるで人喰いの獣じゃない」
「それはそうよ。トゥーリの赤い瞳で睨まれたら、歴戦の蛮族さえ震え上がるという話でしょう」
「敵とみなしたものは全て焼き尽くす、黒髪と赤目の炎の悪魔……ですわね」
「そう。仲間もろとも、自分まで焼き尽くして!」
「恐ろしいわ……ここは退散しましょ」
そう言い捨てて、賑やかな少女たちはあっという間に庭園から去って行った。残されたのは静寂とアマリアだけだった。
アマリアはそれからしばらく本を読みふけっていたが、ふと嫌な予感が脳裏を走った。本を閉じて立ち上がり、寮へ向けて歩き出そうとした瞬間、背後から声をかけられた。
「アマリア」
振り返ると、そこには金髪碧眼の少年が立っていた。アマリアは反射的に顔をしかめた。何しろ彼は、アマリアがこの学園でできるだけ接触したくない4人の男のうちの一人、レオ・ヤルヴァ。またの名を攻略対象その1だったからだ。