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「では、早速……」
アマリアは手早くレオに石を使う手順を教えると、扉の前に立った。年月を経て黒ずんだ巨体は威圧感すら感じさせたが、奥にいるサラのことを思えば、アマリアはそんなことに構っていられなかった。
目をつぶって集中する。アマリアの内で、逆巻く炎が歓喜の声を上げる。
『さあ、燃やしましょう! 燃やし尽くしましょう!』
アマリアは目を開き、小型ながら明るく燃え盛る火の玉を作り出し、一気に扉に叩きつけた。
ジュワッという異音とともに、辺りを強烈な熱が襲った。次の瞬間、扉には焼け焦げた丸い穴が空いていた。扉の向こう側から穴を通して悲鳴や怒号が一気に溢れてきたが、アマリアは一切気にせず、扉の陰でもう一度目を閉じて集中する。
「……いくぞ! それっ」
穴越しに見えた室内は相当広そうに見えた。レオは指先から鋭い炎の矢を作り出し、その先端に藍水晶を乗せ、穴の向こうへと一息に打ち込んだ。素早く扉の陰に身を隠すと、ギャアッという悲鳴がいくつも聞こえ、それから一瞬ののち、強烈な光が炸裂した。
すかさず、アマリアが再び扉の前に立った。もう、穴の中からは声も音も聞こえない。
「ではもう一度、我が家に伝わる灼熱の魔術をお目にかけましょう……」
『ああ楽しいな! 燃やすのは楽しいな!』
アマリアが作り出したのは先ほどの倍ほどの大きさの火の玉だった。それは小さな太陽のように明るく輝き、薄暗い神殿内をまばゆく照らした。アマリアの艶やかな黒髪が熱風で吹き上がる。
「……燃えよ!」
アマリアの叫び声とともに、付近を強烈な熱風が襲った。腹を打つようなドーンという重低音が遺跡中に響きわたり、水蒸気のような白い煙が辺りを覆い尽くした。
地面に伏せていたレオとハンヌが顔を上げると、扉はすでに影も形もなくなっていた。様々なものが焼けこげる悪臭が鼻をつく。
「サラ!」
アマリアはハンカチで口と鼻を押さえ、一人部屋の中へと飛び込んでいく。慌ててレオとハンヌもそれに続いた。
おそらくは神殿の中心に当たる大広間は、今や酸鼻を極める状況だった。ざっと見ても十数人が床に伏して倒れており、運悪く扉の近くにいた人々や家具はアマリアの魔術の余波で黒焦げになり、ぶすぶすと燃え上がっていた。
レオとハンヌはその惨状に呆然としていた。
「これが……トゥーリ本家の秘術……恐ろしい」
「敵をことごとく焼き殺すトゥーリの炎とは……比喩ではなかったのですね」
男たちが恐ろしい光景に立ち尽くす一方、当のアマリアだけは部屋の中央、祭壇に横たえられたサラに向かってひた走った。
「サラっ!」
祭壇の周りにも黒ローブの男たちが重なり合って倒れていた。その手には明らかに血のついた剣が握られており、アマリアは一瞬息を呑んだ。
男たちを遠慮なく踏み越え、アマリアはようやく祭壇にいるサラの元へとたどり着いた。
「サラ、サラ」
だがその顔は青白く、力なく閉ざされた瞼にも、蒼ざめた唇にも生気を感じられなかった。アマリアの顔色からみるみる血の気が引いていく。恐る恐る視線をサラの体へと走らせる。よく見ればサラの制服は血まみれで、特に首筋と両手首のあたりは赤黒く染まっていた。
「そんな……」
遅かった。そのことを悟り、アマリアは膝から崩れ落ちた。
「アマリア! どうしたんだ」
レオが叫ぶが、アマリアにその声は届かない。
『燃やしてしまいましょう、全て。あなたから大切なものを奪った奴ら、全て』
耳元で燃え盛る炎が囁く。
カタン、と足元で音がした。見れば男が一人、剣へと腕を伸ばしていた。先ほどの魔術の効き目が弱かったのだろう。
『燃やしましょう。まだ死んでいないもの、みんな、みんな』
顔を上げるとサラの穏やかな横顔が見えた。アマリアは立ち上がり、祭壇の上に横たえられたサラの手を握りしめた。
そのひんやりとした感触が、アマリアに最後の一線を超えさせた。
「……全て燃やしてあげるわ」
『そう! 望む通り、全て燃やし尽くしてしまいましょう!』
強烈な熱波と炎が瞬く間に部屋中に広がっていく。その中心にいたのはサラを抱きしめたアマリアであった。
「やめろ! アマリア」
レオは叫ぶが、炎の壁に遮られてその声は届かない。更に言えば彼自身も突然のことに当惑しており、燃え盛る炎の中で身動きすらままならなかった。
「ハンヌ先生! どうしたらいい?」
「これは……ルーンが暴走しているんです! なんとかしないと遺跡ごと崩壊してしまいます」
ハンヌが見上げると、すでに炎は天井まで届き、その熱で石壁にヒビが入り始めていた。
「殿下、防御をお任せできますか? 私はなんとか天井を支えてみます」
「わかりました!」
二人が慌てて対処に当たっている間にも、アマリアは冷たいサラの体を抱きしめ、静かに涙を流していた。その雫がサラの頬に当たった瞬間、彼女の目がピクリと動いた。
「お……ねえ……さま……」
微かな声を聞き、アマリアは慌てて胸に抱きこんだサラの顔を覗き込んだ。その瞼はわずかに開き、その隙間から青い瞳がのぞき、アマリアを見上げていた。
「サラ! わかる? 私よ」
「ええ……お姉様……」
「よかった、サラ! サラ!」
アマリアはサラの頬をなで、その頭をかき抱いた。いつの間にか部屋を満たしていた炎は消えていた。
「アマリア! サラ! 無事か?」
「……ええ、大丈夫です」
今度こそ、アマリアはレオの呼びかけに答えた。遠巻きに見守るしかなかったレオとハンヌも、ほっと溜息をついた。だが、その背後にゆらりと蠢く黒い影を見て、二人は一瞬、凍りついた。
「……よけろ!」
かろうじて発せられたレオの叫びは、少なくとも一つの命を救った。背後に迫った鋭い刃に気づき、アマリアはとっさにサラを突き離したのである。
「大義を理解できない愚か者が!」
リクハルドは細長い剣で背後からアマリアの胸を貫いた。自分の胸から突き出た剣の切っ先を、アマリアは冷静に見下ろしていた。炎とは別の強烈な熱さが胸を焼いていた。
「悪魔よ! 死ね! ハハハハ……」
男の笑い声が響く中、アマリアは力なく倒れ伏して、その意識が急速に遠ざかっていく。
「お姉様!」
一瞬だけサラの叫び声がしたような気がしたが、もうアマリアにはそれが本物なのかわからなかった。意識が途切れる直前、アマリアは思った。
——サラが選んだ人が、サラを幸せにしてくれるといいなあ。




