26
「教会にサラがいるというのか?」
「ええ、間違いありませんわ」
疑わしげなレオを横目に、アマリアは自信たっぷりに言い放った。夜の森の中では、声を潜めているつもりでも思った以上に声が響く。アマリアとレオはお互い声のトーンを下げて話し続ける。
「教会には明日にも査察が入るはずだ。サラも捜索するよう、私と兄上で口添えするから……」
「応援を待っていたらサラが殺されます」
レオの言葉が終わるのを待たず、アマリアは苛立たしげに言った。
アマリアとアルヴィが襲われた現場からは、二人の血のついた剣が消えていた。量こそ少ないものの、彼らは四大家直系2人の血、つまり火と水の良質なルーンを手に入れたことになる。これはサラの儀式には欠かせない代物で、彼らの準備は整ったとみていい。
「彼らは自分たちの存在をレオ様と殿下に——皇帝陛下に知られたと焦っているのでしょう。だからサラを連れ去ったんです」
「部屋に戻ってくる可能性も……」
「こんな時間までサラが外を出歩くなんてありえません! あいつらが誘拐したに違いありませんわ」
いきり立つアマリアの言葉にレオは厳しい表情を崩さず、冷たい怒りを込めて言い放った。
「それで、これから教会に忍び込むつもりなのか?」
「ええ。それしかありませんもの」
だがアマリアも負けてはいない。記憶の戻ったあの日から、いつかこんな日が来るかもしれないことはわかっていた。
「連中は兄上だけでなく、あなたも殺そうとした。……死にたいのか」
底冷えするようなレオの冷たい視線に一瞬たじろいだが、それでもアマリアは一歩も引かない。
「まさか。サラを助けて一緒に帰るんです。おそらく、サラの儀式は今夜中に行われるはずです。だって、彼らだって朝までには逃げなければならないんですから」
「もうアカデミア内にはいないかもしれない。いや、あれだけのことをしでかしたんだ、サラを連れてアカデミアを出て、別の場所で儀式を行うと考えるべきではないのか」
「いいえ、それはありえませんわ」
アマリアはきっぱり言い放った。
皇子暗殺未遂事件のせいで、アカデミア内は混乱の極みと言っていい。暗殺の実行犯が修道士ということは公にはまだ伏せられているが、すでにギルドや宮廷の魔術師や騎士団から人が集まってきている。アルヴィによれば、事件発覚の時点で教会にいた聖職者らは、全員宿舎で監視下に置かれている。教会も通り一遍の捜索を受け、今夜は無人ということだ。
つまり、彼らが儀式を行えるのは今夜が最後なのだ。
地下神殿のことを知っている者はアマリアをはじめまだ少数だ。忍び込むには今しかない。
それゆえにアマリアは焦っていたが、その態度が余計にレオの疑いをかき立てた。今日これまでに何度も繰り返された問答を、レオは再び持ち出す。
「……アマリア、なぜそんなに異端派のことに詳しいんだ?」
「そのことについては話せないと申し上げたはずです」
この世界が実はゲームで、アマリアはその元プレイヤーだなどと、“真実”を語ったところで誰も信じないどころか、理解すらされないだろう。話せる訳もない、アマリアはふんと鼻を鳴らした。
「私たちはあなたに情報を与えた。なら、あなたもそれに応えるべきでは?」
「あら、十分にお返ししたはずですけど。お二人の命という、何よりも大切なもので」
「確かにその点では借りがあるが……」
「ならば、それで埋め合わせてください」
「しかしだな……ではあの男、リクハルド・タハティについては?」
埒が明かないと思ったのか、レオは質問を微妙に変えてきた。それくらいならいいかと、渋々アマリアは口を開いた。
「……あの男はサラの監視役です。年の近い修道士という立場と甘い言葉でサラに近づいたんです。そして、最後にはサラを儀式の場へと連れ去る役を任されていたのです」
「なるほど。確かにサラと最後に一緒にいたのはその修道士のようだが……」
レオはアマリアの言葉を吟味するように考え込んだ。いい加減うんざりして、アマリアは低い声で言い放った。
「女には絶対に明かせない秘密というものがございます。アルヴィ殿下も納得されたのですから、これ以上の追求は無粋でしてよ」
納得がいかないという顔のレオに、アマリアは毅然と言い放つ。
「私はただサラを助けたいだけ、あなた方は異端派を潰したいのだから、お互い利害は一致しています。ここは協力いたしましょう?」
「それはもちろん。それに、サラを助けたいのは私も一緒だ」
「ならば、ここは見逃してください。私は行きます」
レオの脇を通り抜けて、アマリアはランタン片手に教会へと進み出した。だが、背後からレオがついてくるではないか。
「なぜついてくるのですか?」
アマリアは足を止めて振り返り、不機嫌そうに告げた。だがレオは意に介さない。
「一人で行かせるわけにはいかない」
「……一人で行くなどと、誰が言いました?」
「え?」
「一緒に来ていただけるなら歓迎しますわ。ですが、覚悟だけは決めてくださいね」
「何の覚悟だ」
「おそらく、命をかけることになりますので」
「ほう……あなたに、その覚悟とやらはあるのか?」
アマリアは自信たっぷりに笑ってみせた。
「もちろん……もうずっと昔から」
レオの怪訝な顔が見えたが、アマリアはそれを無視して視線を前に戻し、無言のまま早足で道を進んでいく。レオが時々話しかけてきたが、アマリアはろくに返事をしなかった。これ以上、無意味な問答で無駄にする時間はない。
しばらく進むと、道の途中の木陰に男が一人立っているのが見えた。二人にも一瞬緊張が走ったが、月明かりに照らされたその顔に、アマリアは安堵する。
「先生」
アマリアが声をかけると、木陰からハンヌが姿を現した。
「アマリア……信じられない。本当に来るとは……」
ハンヌは呆れたようにため息をついた。
「先生もご足労いただき、どうもありがとうございます」
アマリアは深く一礼した。自分の怪しい言葉を信じてこんな夜更けに来てくれた師に、感謝の思いしかなかった。
「そちらは……レオ皇子ですか」
「はい。ご一緒させていただきます」
「……なるほど、そういうことですか」
ハンヌはレオの顔を見ると、何か納得したように一人うなずいた。
「それで……地下の神殿への入り口へ本当に案内してくれるのですか」
「ええ、もちろん。そこにサラがいるのですから」
「入り口?」
レオがつぶやくと、ハンヌはやや興奮気味に話し始めた。
「ええ。大神を祀った古い神殿の遺跡です。このアカデミアはその上に作られているんですよ。そしてその神殿は、かつて異端派と呼ばれた人々の根城になっていました。ご存知の通り、彼らは大神の冥界下りに異様な興味を抱いていました。それゆえ、ここの神殿はもってこいだったんです。……何しろ、ここは冥界につながる場所だったのですから」
「冥界につながる……?」
訝しがるレオに、ハンヌはさらに話し続ける。
「このあたりは昔、高貴な人々の墓所だったんです。死者の眠る場所はすなわち冥界、そこで、冥界の主人たる大神を祀る神殿が作られたのです」
「それは知りませんでした。しかし、なぜそんなところにアカデミアが?」
「それはですね……」
放っておいたらいつまでも話し続けそうなハンヌを遮るように、アマリアが答えた。
「アカデミアを作ったのはご存知の通り、初代の皇帝陛下です。それも例の粛清の後に……これでお分かりでしょう?」
「なるほど、情報隠蔽の一環というわけか……ですがなぜ、ハンヌ先生がこのことをご存知なのですか?」
「先生のご趣味は遺跡巡りと発掘なんです」
アマリアの言葉に、ハンヌが驚いたような声をあげた。
「アマリア……なぜそのことを知っているのですか。あなたに話したことはないはずです」
「先生……失礼ですが、お部屋の書棚はほとんど歴史書と遺跡の調査資料で埋まっているじゃありませんか。あれを見れば誰だってわかりますわ」
「ああ、そうか……なるほど……」
照れ隠しなのか、ハンヌは眉間にしわを寄せつつも、珍しく困ったように視線を下げていた。
ハンヌルートによれば、彼は本当は遺跡の研究者になりたかったらしい。だが、貧しい実家とまだ幼い兄弟を支えるため、上級魔術師となり、アカデミアの教師となる道を選んだ。ハンヌは自ら進んで帝国各地にあるアカデミアの分校や付属研究所に赴任し、そこで指導のかたわら、暇を見つけては現地の遺跡の調査を細々と続けていたのである。彼のルートでもサラは異端派によって誘拐されるが、その知識によって教会の地下遺跡にたどり着き、サラを救出するという筋書きになっている。
そんなハンヌだからこそ、アマリアが「古代遺跡の入り口を知っている」、「サラがそこに囚われている」と言えば、こんな夜中にほいほいと出てきてしまうのである。師の知的好奇心を利用したようで心苦しい気もしたが、アマリアにとって、サラ救出のためのパートナーとして最もふさわしい人物でもあるのは間違いなかった。
「そろそろ参りましょう。時間がありませんわ」
アマリアがそう言って歩き出すと、男二人もその後を追って歩き始めた。
教会は確かに無人だった。暗い教会内を手にしたランタンで照らすと、正面の祭壇がうっすらと浮かび上がった。
アマリアは迷いもなく祭壇の前に進み、以前と同じくレリーフを手探りした。
「おお……」
祭壇が音もなく開くと、ハンヌが小さく感嘆の声を上げた。一方でレオは信じ難いものをみるように目を見開いていた。アマリアは二人にニヤリと笑いかけた。
「では、参りますわ。……覚悟はよろしくて?」
ハンヌとレオは神妙な顔でうなずいた。




