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「この机はそちらに、椅子は向こうの部屋へ片付けてください」
修道士たちの指示のもと、多数の生徒たちが教会の内外を動き回る。教会の内部は色あざやかな布で飾り付けられ、外にある広場の中央には大きなポールが立てられ、大神のシンボルである巨大な円が掲げられた。
復活祭の始まりは翌日に迫っていた。重要な祝祭だけあって、復活祭は実に3日に渡って行われる。教会では一日中礼拝が行われ、集まった人々は大神の復活を願い、歌い、踊り続ける。最も重要なのは最終日の夜で、大神が復活したとされる午後10時、広場に据えられたポールを燃やすのである。
アカデミアでもこの祝祭に合わせて全学休講になっていた。この休暇を使って実家や故郷に帰る者も少なくなかったが、それでも多くの生徒がアカデミアに残って祭りの準備を手伝っていた。
「ふぅ……」
「さすがにちょっと疲れましたね」
「少し休みましょうか」
「そうですね」
アマリアとサラも居残り組で、朝から教会の手伝いを買って出ていた。より正確に言うと、当然のように手伝うサラに、アマリアは監視を兼ねて付き合っている。
「やあ。二人とも」
「修道士様」
木陰で一息ついていた二人に声をかけたのはリクハルドだった。その手には取っ手のない白いカップが並んだトレイが握られている
「朝から手伝ってくれてありがとう。よかったらこれ、飲まないかい?」
リクハルドはトレイを差し出す。整然と並べられたカップを覗き込むと、中は涼やかなブルーで満たされていた。
「……レディブルーね」
アマリアのつぶやきに、リクハルドはいかにも裏のなさそうな笑みを浮かべる。
「保護者の方々が下さった寄進の中にあってね。手伝ってくれる皆に振る舞うようにと司祭様がおっしゃったんだ」
「ありがとうございます。いただきますね」
嬉々とした表情のサラは、何のためらいもなくカップを手にした。アマリアは正直気が引けたが、サラとリクハルドの目もあり、仕方なく手に取った。
「これ、冷たい……美味しいわ」
サラが歓声を上げた。リクハルドはその様子を見て微笑む。
「水の魔術で冷やしているんだ」
「そんなこともできるのですね」
「そうなんだ。水のルーン、いいよね」
アマリアもそっと口をつける。ヒンヤリとしたお茶はとても口当たりがよく、爽やかで軽やかな香りが鼻腔に広がると、頭の中に渦巻く疑念とは裏腹に、もっと飲みたいという欲求が湧いてくる。
「おかわりは向こうにありますから、適度に飲んで休んでくださいね。まだ暑いから無理は禁物ですよ」
「はい」
「じゃあ、失礼するよ」
そう言うと、リクハルドは別の生徒たちに声をかけに行った。彼の行く先々で、冷たいレディーブルーに歓声が上がる。
「……そういえば、お姉さま」
「何?」
「お誘いのカードは届きましたか?」
「ああ、最終日の夜の……」
「そうです」
教会のことであれこれ思い悩んでいたアマリアはすっかり忘れていたが、アカデミアの生徒たちの間で語り継がれる復活祭の伝統がある。それは復活祭最終日の夜を一緒に過ごした二人は深い絆で結ばれるというもので、要は恋愛イベントである。意中の相手がいれば待ち合わせ場所を書いたカードを贈り、受け取った側がカードを持ってその場に現れれば、めでたくカップル成立となる。ゲーム内ではもちろん、サラと攻略相手が一緒に過ごすことになる。
「ないわ。サラは?」
本当はアマリアの部屋にも数枚のカードが届いていた。アカデミアの寮は男女別で、普段ならその境界線は厳しく守られている。だが復活祭の間だけは少しだけガードが下がるらしく、異性間でも手紙が公然とやり取りされる。
「私もありません」
寂しい言葉とは裏腹に、サラはホッとしたような、それとなく嬉しそうな表情を浮かべたが、その顔はすぐに影を帯びた。
「もしも、レオ様がいれば……」
事故からすでに2日経ち、一緒にいたレオの母や祖父が救出されたという報はすでに伝わっていた。だが、レオの行方については不明のままだった。
「そうね……ご無事だといいのだけど」
伝わってくる状況から察するに、レオはアマリアのアドバイスをちゃんと実践したらしい。そのため、アマリアはレオが生きていると頭では確信していたものの、それでもなんとなく不安を払いきれずにいた。
「きっと復活祭の間に朗報が届くわ」
基本、復活祭イベントはアカデミア内での出来事になるのだが、レオルートは例外だ。事故に遭った彼は復活祭のさなかに瀕死の状態で発見され、駆けつけたサラの癒しの魔術で回復するのである。
「……レオ様からカードが来ていたら、お姉さまは行きましたか?」
「私宛に来るわけがないでしょう。サラならともかく」
アマリアの言葉に、サラは不思議そうに首を傾げた。
「なぜ私なのですか? お姉さまではなく」
「なぜって……あなたたちの方が仲がいいじゃない」
「そんなことありませんわ」
サラは少しだけ寂しそうに笑う。
「以前から不思議に思っていましたが……」
サラは一瞬アマリアの顔から視線を外し、それから意を決したように口を開いた。
「お姉さまは、どうして私とレオ様を近づけようとなさるのですか」
思ってもみなかった質問をぶつけられ、アマリアは戸惑う。だが、サラをレオルートに進ませるためとなど言えるわけもない。
「その……サラも楽しそうだったし……レオ様も……」
「もしかしてお姉さまは、私とレオ様が結婚すればいいと思っていたのですか? ご自分ではなく」
「……ええと……」
図星を突かれ、アマリアは言い淀む。なんと言って誤魔化せばいいのか必死に考えるが、良い答えは出てこない。その間もアマリアの顔をじっと見つめていたサラは、一つため息をついて、それからどこか悲しそうな顔になった。
「ああ……そうだったのですね……」
サラはうつむき、その顔には影が差して、アマリアから表情は見えない。一体サラが何を悲しんでいるのかアマリアにはさっぱりわからず、どう声をかけたらいいのかすらわからない有様であった。
「あの、サラ……?」
「ごめんなさいお姉さま……何でもありませんわ……私、手伝いに戻りますね」
そう言うと、サラはアマリアから顔を背けたまま、教会の中へと小走りに去って行った。ただ一人木陰に取り残され、アマリアは何が起きたのか、呆然とした頭で考え続けたが、ついにその答えにたどり着くことはできなかった。
結局その後、アマリアはサラに声をかけることができないまま昼休みを迎えた。というより、声すらかけさせてもらえなかったというのが正しい。仕方なくアマリアは、手伝いを続けつつ、妹の姿を遠くから見守り続けることにした。
サラは基本的に素直で大人びた性格であるが、何かの弾みでヘソを曲げると途端に子供のように頑固になる。例えば先の喧嘩の時も、サラは頑なにアマリアを避け続けた。
しかしながら、何かきっかけがあれば仲直りは容易であることをアマリアは知っている。幸いにも今は復活祭の直前だ。サラの好きな菓子でも持って行って祭りのダンスに誘えば、きっとすぐに機嫌を直すだろう……そうたかをくくっていたのである。
アマリアは昼食の前に一度自室に戻ることにした。身体中汗まみれで、汗を拭いて下着も服も変えたかった。同じことを思う生徒たちは多いようで、寮へと戻る列の中にはサラの姿もあったことをアマリアは確認している。
部屋に戻ると、ドアの隙間に小さな封書が挟まっていた。気付かずにドアを開けてしまったために封書は床へと舞い落ちて、アマリア仕方なくそれを拾い、部屋へと入るとすぐに机の上へと無造作に放り投げた。
着替えを終えて昼食に行こうとしたアマリアだったが、机の上の封書が目に入り、うんざりしたようにため息をついた。おそらく中身はこれまで届いたのと同じような、トゥーリ家との縁を望むロクでもない誘いであることは想像に容易かった。
入学した当初は廃嫡された問題アリのご令嬢としか見られていなかったアマリアであるが、今では勉強と魔術にしか興味のない変わり者姉妹の姉の方という扱いである。それでもトゥーリ家の正当な令嬢である彼女に邪な興味を抱く者は絶えず、アマリアは基本そのような者たちにそっけない態度を返していたが、それでもなお、わずかなチャンスを狙う男性は少なくないようだった。
アマリアは封書をそのままゴミ箱に捨てようと思ったが、真っ白な封筒には差出人の名はなく、一応中身を確かめることにした。万が一、サラからのものだったらまずいと思ったのである。
「何これ……」
アマリアは眉をひそめた。封筒の中には簡素な花と鳥の絵が描かれたカードが入っており、そこには『今日夕方5時、北の庭園で』とだけ書かれていた。明らかに復活祭の誘いではない。封筒を改めて確認するが、やはり差出人の名はない。
聞いた話によれば、カードの送り主の中にはあえて名前を書かず、カードの模様や絵などでそれとなく自分の正体を示す者もいるという。相手の気をひくテクニックの一つなのだそうで、特に女子が男子によく行う手段なのだと聞く。
だが、アマリアにとってそんなテクニックなど何の意味もなく、差出人がはっきりしないことは不愉快でしかなかった。さらにいえば、描かれていた絵も気に食わなかった。花はスミレ、そして鳥は鷹。スミレといえばヒューピア家の紋章で、鷹は皇帝に連なる者であることを示す。そんな人物の心当たりなど一人しかいない。
それでもアマリアがカードを捨てなかったのは、差出人の真意がどうしても気になったからである。折しも、レオが事故に遭って行方不明になっているさ中である。以前、「次に狙われるのはレオ」とはっきりと口にしたアルヴィのことだ。アマリアに何か話があるのかもしれない。
「行くべきかしら……」
アマリアは険しい表情のまま、カードを睨み続けていた。




