18
「聞きまして? 元老院議長のエスコラ様が罷免になったそうよ。後継者は……」
「第五皇女様の縁組が決まったんですって。相手は……」
「……法務大臣のヴィレン様も襲われて、今は危篤状態で……」
昼下がりの食堂は賑やかで、少し耳を傾けるだけで様々な噂を聞くことができる。皇帝の代替わりが近いと噂される中、生徒の話題はもっぱら政治がらみのゴシップだ。自らの将来に関わることだけに、積極的に情報収集を行っている者は多い。
不意に、アマリアは視線を感じて振り返った。しかし、背後にはランチを楽しむ生徒たちばかりで、視線の主を見つけることはできない。
「お姉さま、どうかなさいまして?」
「……いいえ。気のせいみたい。混んできたし、そろそろ戻りましょうか」
「そうですね」
食堂を出たサラとアマリアは、講義棟へと向かう並木道を並んで歩いていた。
「今日も暑いわね」
「一雨降ればいいのですけど」
「なんとなく曇っているから、昨日みたいに夕立があるかもね……今日も夕方、教会に行くの?」
「ええ、一応傘を持っていきます。お姉さまはハンヌ先生のところへ?」
「……まだレポートが終わっていないの。だから夕食の時間くらいまで図書館にいると思うわ」
姉妹は空を見上げてのんびりと進む。あの日以来、二人の仲は一見元どおりになったものの、アマリアはリクハルドとの関係について突っ込んで聞くことはできていなかった。というのも、サラは教会のことについて話すのを嫌がっているようで、アマリアが教会を話題にしようとしても、すぐに別の話に逸らされてしまうのだ。一体どうしたら、うまく話を聞き出すことができるだろうか。
「サラ! アマリアも」
「あらレオ様。ごきげんよう」
二人の背後から声をかけてきたのはレオだった。その手には大きなバッグが握られていた。
「そのお荷物、もしかして外出されるんですか?」
「ああ。これから城に戻って、母上たちと一緒に聖ヒルダ教会に巡礼に行くことになってね。陛下の病気平癒を祈願しに行くんだ」
以前話していた聖地巡礼に向かうのだろう。ゲームでは、この道中でレオは大事故に巻き込まれ、彼以外の一族はほとんどが死んでしまう。
「復活祭も向こうで祝われるのですか?」
復活祭はその名の通り、死した大神が地上に戻り生き返ったことを祝う日だ。教会において重要な祝祭の一つであり、人々に夏の終わりを知らせるイベントでもある。
「おそらくそうなるだろうが、授業もあるし、私だけは一足先に戻る予定だ」
「そうですか……。どうぞお気をつけてくださいね」
「ありがとう、サラ」
レオとサラは、お互いはにかみながら見つめ合っている。さっさとくっついてくれれば、リクハルドのことなんて気にしなくていいのに……とアマリアは密かに思う。己に向けられた険しい視線に気づいたレオは、「仲直りしてよかった」とでも言いたそうな呑気な笑みを向ける。それがまた、アマリアの癇に障った。
「悪いんだが、もう行かないと」
「行ってらっしゃいませ、レオ様」
「ああ。行ってくるよ」
そう言うと、レオは校門の方へと去って行った。二人はしばしその背を見送り、それから講義等へと再び歩き出した。
「聖ヒルダ教会……ここからだとかなり遠いですよね」
「そうね。馬で街道を急げば3日くらいと聞いたけど、皇族の巡礼なら相当ゆっくりな旅でしょうね。途中には危険な山道もあるそうですし」
「しばらくはレオ様の旅のご無事も祈るとしますわ」
その言葉を聞き、ふとアマリアは思いついた。
「……それもいいかもしれないわ。私もたまには教会へお祈りに行こうかしら」
「お姉さまが?」
「あら、いけない? 友人の長旅の無事を祈るくらい、私だってするわ。……そうだ。午後の授業が終わったら、私もサラと一緒に教会へ行っていいかしら?」
アマリアが笑いかけると、サラはつられて笑顔を浮かべた。
「はい、もちろん! お姉さまとご一緒できて嬉しいです」
そう言うサラは心から喜んでいるように見えて、アマリアは少しだけ罪悪感を抱く。だが、状況を考えれば必要な一手であるのは間違いなかった。
「ねえ。そういえば、教会に新しい修道士様がいらしたと聞いたんだけど」
アマリアの言葉に、サラは無邪気な笑顔のままうなずいた。
「おそらくリクハルド様のことですね」
「聞いた話だと、アカデミアの卒業生らしいわね。かなり優秀なお方だとか」
「ええ。司祭様も勤勉で優秀だと褒めていらっしゃいましたわ」
「……サラも話したことがある?」
アマリアの質問に、サラはやや頬を赤らめた。
「ええ、何度か……」
サラはためらうように言い淀んだ。自分に話したくないようなことがあったということか、アマリアは笑顔の裏で奥歯を噛みしめる。
以前ならこんな時も、気がつかないふりで無理やり聞き出していた。だが、不用意な物言いでまたサラを怒らせ、そばにいられなくなったら……そう思うとアマリアもそれ以上のことを聞くことはできなかった。
「でもお姉さまがよくご存知でしたね。教会のことにはあまり興味がないと思っていました」
「女の子たちが噂しているのを聞いたの。若くて素敵な修道士様がいらした、って」
「あら……」
言い訳めいた言葉に、サラは何か引っかかるところがあるようだ。眉間にしわを寄せ、アマリアに問いかける。
「……もしかして、お姉さまがご興味があるのはリクハルド様の方なのですか?」
「まさか! ……イソラ家のカタリーナ嬢がずいぶん熱心に話していたのを小耳に挟んだのよ」
「カタリーナ様というと、確か第三王子のアルヴィ様の婚約者候補という噂の……」
「そうよ。アルヴィ様アルヴィ様やかましかったのに、突然別の男性のことを騒ぎ出して……。あれだけ何度も聞いたら、流石に私の記憶にも残るわ」
「そういえば確かにちょっと……うるさかったですね」
サラは納得したように小さくうなずき、その表情は元の無邪気な笑顔に戻った。どうやらうまくごまかせたらしい。アマリアは内心でホッと胸をなでおろした。
その時、アマリアは背後にゾッとするような感覚を覚えた。「誰かに見られている」と本能が告げる。
アマリアは急いで振り返る。背後には談笑しながら散歩する生徒たちが数組いたが、先ほどの視線の主と思しき不審者の姿はなかった。
「どうかなさいましたか?」
隣にいるサラは、突然立ち止まった姉に不思議そうな顔を向けていた。彼女が何も感じなかったということは、あの“視線”は明らかにアマリアのみに向けられていたということだろう。
「なんでもないわ。気のせいだったみたい」
「そうですか」
二人は再び歩き出す。たわいもない会話をしながらも、アマリアは『運命の日』が近づいているという不吉な予感に囚われていた。