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攻略対象その4こと、リクハルド・タハティはアカデミア内の教会に勤める修道士だ。そのストーリーでは、ある目的からサラに近づくのだが、その素直さや愛らしさに魅せられてしまい、自らの立場やその役割に疑問を持つようになる。
女子寮に戻ったアマリアは、まずサラの部屋へと赴いたが、当のサラは残念ながら留守だった。サラは空き時間も図書館で勉強することが増え、あまり部屋に戻らなくなっていた。アマリアはしばらく悩んだ後、ドアの下に『会いたい』とだけ書いたメモを挟んで自室に戻ったのである。
本当なら今すぐにでも教会に駆け込み、リクハルドとサラの関係を調べたかった。だが、この大雨の中、わざわざ教会に向かう気はしなかった。なにしろこのルートのアマリアは、中盤あたりで無残にも殺害されてしまうのだから。それも、今日のような嵐の夜に。
濡れた制服を脱ぎ捨て、はしたなくも下着姿でベッドに横たわったアマリアは、ふと両手を持ち上げ、その手首あたりを見つめた。死体の描写まではさすがに覚えていないが、あの世界の自分も、もしかするとヨーナスやマルクス皇子と同じように殺されていたのかもしれない。そう思うと鳥肌が立った。
「そもそもサラは、一体誰を選んだのかしら……」
天井を見上げつつ、アマリアは呟く。この乙女ゲームは最初に攻略キャラを決めるタイプで、それぞれのルートで起こるイベントにかなり違いがある。逆に考えれば起きたイベントを考えればルート推定もできそうなものだが、実際に起きている“イベント”は様々なルートを織り交ぜたものになっている。
例えば、レオルートやアルヴィルートならば皇帝はそろそろ危篤になっているはずで、そのために後継者争いが激化、第一皇子以外にも複数死者が出ているはずだった。本人たちも暗殺の脅威にさらされており、レオにしろアルヴィにしろ、他人のことを考えている余裕などないはずなのだ。
サラは、アルヴィとはほとんど接触していない、はずだ。あまり考えたくないが、アマリアが望むレオルートでないなら、宮廷内の争いより教会の秘密が話の筋に関わってくるハンヌルート、あるいはリクハルドルートにいるということになる。だとすると、事は急を要する。これらのルートではサラの命が狙われるからだ。そして、アマリアやレオ、アルヴィも、命を落とす可能性がある。
しかしその割に、アカデミア内で「彼ら」が暗躍している気配はない。それどころか、彼らが動き出す前にレオはその尻尾を掴んだのである。ゲーム内では起きなかった事態である。
「まさか、バッドエンドに向かってる……なんてことはないわよね」
ゲームである以上、当然バッドエンドも複数存在していた。そして、その中ではサラが死んだり、どん底まで落ちぶれたりするものも珍しくはなかった。だがアマリアは、無意識のうちにそのようなつまらないエンドを迎える可能性をすっかり排除していた。悪役令嬢たる自分ならともかく、あの善良で可愛いサラが、そんな悲惨な運命を迎えるはずがない、誰かしら攻略対象と恋に落ち、素晴らしい未来を得られるものだ……と。
最近のアマリアは“攻略の記憶”を思い出そうと必死であった。だが、かつてあれほど鮮明に思えた記憶は、今や穴だらけの断片に過ぎなかった。
「せめて、やりこんだゲームだったら良かったのに……」
そもそも、前世の彼女はあのゲームにそれほど入れ込んではいなかった。それなのになぜそんな世界に転生したのか、アマリアは深くため息をついた。
「もう“ルート”とか考えない方がいいのかもしれないわね……」
理由はよくわからないが、現実はゲームと同じようには進んでくれないらしい。アマリアはようやくそのことを認めた。だいたい、アマリア自身もすでに廃嫡されたり婚約破棄をされたりと、知っていたものと大きく変わっているのだ。当然、サラの運命だって変化してもおかしくない。そもそも、意地悪でろくでなしの姉が運命を捻じ曲げて、妹に手を差し出したのだから……。
トン、トン。
アマリアがうつらうつらし始めた途端、ドアをノックする音が響いた。慌てて飛び起きて「はい」と返事をすると、待ちわびた声が返ってきた。
「お姉さま、サラです」
「サラ!」
ドアを開けると、そこにはサラが立っていた。だが彼女はアマリアの姿を見るなり顔を赤くして、「お着替え中に申し訳ありません!」とそっぽを向いた。そこでアマリアはようやく、自分が下着姿のままだったことに気がついた。
「ご、ごめんあそばせ! 少々お待ちになって!」
慌ててドアを閉め、急いで服を着て再度扉を開ける。そこには少し恥ずかしそうな顔をしたサラが立っていた。
「ど、どうぞお入りになって」
「ええ」
若干戸惑いつつ、サラはしずしずと部屋に入ってきた。ドアを閉めたアマリアが振り返ると、二人は自然見つめ合う形になり、部屋の中に気まずい沈黙が流れた。
「あ、あの、お姉さま。何かご用でしょうか?」
先に口を開いたのはサラだった。
「帰ってきたらこんなメモが残っていたので……。もしやお姉さまに何かあったのかと」
サラは先ほどアマリアが残したメモを差し出した。そこには一言『会いたい』とだけ書かれていて、改めて見るとなんだか気恥ずかしくなるような代物だった。
「え……っと、その」
アマリアは言い淀む。素直になれと自分を鼓舞する。仲直りをするチャンスではないか。
「あの、この間のことを謝りたくて」
「何のことでしょうか?」
「その……教会に行くことを咎めてしまったこと……」
サラは無言のまま目を伏せた。アマリアは胸に手を当て、しっかりと頭を下げた。
「ごめんなさい。その、私はとてもひどいことを言ってしまったわ。あれからずっと謝りたかったの」
頭を下げたままのアマリアに、サラは静かに声をかけた。
「お姉さま、頭を上げてください」
顔を上げると、サラは笑っているような、困惑したような、あるいは悲しんでいるような、そんな表情を浮かべていた。
「お姉さまが謝るようなことではありません。悪かったのは私の方です。その……あんな風に怒鳴ってしまって」
「いいのよ。当然のことだもの」
「いいえ! いつも優しくしてくれるお姉さまにあんな態度を取るなんて、本当に私、どうかしていました。謝るべきは私の方です」
「サラが謝る必要なんてないわ! 先にひどいことを言ったのは、間違いなく私なんだもの」
「お姉さまは悪くありません……多分、私は誰かに八つ当たりしたかっただけなんです」
「サラ……」
「だから、お姉さまにも合わす顔がなくて……重ね重ね、申し訳ありません」
今度はサラが深々と頭を下げた。アマリアは慌ててサラの肩をつかみ、その頭を上げさせる。
「そんなことはやめて、サラ。お願いだから」
とっさにつかんだ両肩は折れそうなほど華奢で、その青い瞳は憂いに満ちていた。アマリアは思わず妹を抱きしめ、その頭を撫でた。
二人は無言のまましばし抱き合い、それから離れた。アマリアが思いっきり笑顔を浮かべると、サラも小さな笑みを返した。
「とりあえず、お茶にしない?」
「……はい!」
こうして、久々に姉妹水入らずのお茶会が始まった。