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アマリア・トゥーリは悪役令嬢である。乙女ゲーム『テイク・マイ・ハンド〜差し出された運命』のヒロイン・サラの異母姉に当たり、いかにも気が強そうな赤い瞳をギラつかせ、その冷たい美貌を引き立てる長い黒髪を翻しつつ、サラの行動や恋愛をひたすら妨害する立ち位置のキャラクターだ。悪役令嬢である彼女には当然、最後には悲惨な未来が待っている——。
「本日をもって長女アマリアを廃嫡し、長男アレクセイを嫡子とする!」
広間に集まった人々を前に、アマリアの父・ヴィルヘルムは高らかにそう宣言し、皇帝のサインが入った証書を掲げてみせた。その横で、弟のアレクセイを抱いた義母・テアは満面の笑みを浮かべている。
居並ぶ人々に目を向ければ、目にあからさまな怒りと憤りをたたえている者、してやったりと得意満面な者とその反応は真っ二つに割れていた。その中には時折アマリアと目があう者もいたが、前者はいたたまれないといった表情でそっと目をそらし、後者は形ばかりの同情に隠しきれない好奇の視線を向けた。アマリアはぐっと手を握り、その屈辱に耐える。
5歳の時に自らの“運命”を知って以来、アマリアはその定めから逃れるため、あらゆる努力をしてきた。アマリアを階段から突き落としたという冤罪により、罰として冷たい地下室に閉じ込められたサラに自ら手を差し出して、その手をサラが取ってくれたあの日以来、今や二人は本当の姉妹のように仲良くなった。
だが、どうやら運命はそうそう変わってはくれないらしい。ゲーム本編とは異なるルートに進むために、なんとしても避けたかったサラの“力の目覚め”はすでに起きてしまった。ゲーム本編が開始される準備は着々と整っていく上、アマリアにとって明らかに不都合な方向に進んでいた。
というのも、いつかの未来で起こるかもしれなかったアマリアの悲惨な運命の一幕が、ゲーム本編の時間軸が始まる「前」に訪れたからである。そう、本来ならアマリアの廃嫡は、少なくともあと1年は先に起こるはずの「断罪イベント」での出来事なのだ。
ちらりと鋭い視線を感じ、目を向ければ、それは案の定、勝ち誇ったように口元をわずかに釣り上げたテアであった。沸き立つ強烈な怒りに、アマリアの秘めた炎は轟々と音を立て、全てを燃やし尽くしてしまえと耳元で囁く。
「大丈夫です、お姉さま……大丈夫」
握り締められたアマリアの手に、柔らかな温もりが触れた。内なる炎とは逆に冷え切ったアマリアの手を包んだのは、隣に立つサラの暖かな手だった。その温もりに、アマリアの頭はすうっと冷えて、逆巻いていた炎はみるみる鎮まっていく。
アマリアは再び顔を上げ、向かってくる遠慮のない視線に相対する。いい年をした大人がみっともないこと。アマリアは何だかおかしくなって、その顔は自然と笑みを形成する。たまに交差する視線に生ぬるい軽蔑を乗せて返せば、たちまち相手は気まずそうに目をそらした。
「それでこそお姉様です」
隣で微笑むサラだけが、この場にいるアマリアのたった一人の味方だった。アマリアはサラに向かって小さく頷き、その手をそっと握り返した。