企み
とある日の朝。
いつも通り家の馬車で送ってもらって貴族院に着いた。
馬車から降りて教室に向かっている途中に先生に話しかけられる。
「レジーナ、ごきげんよう」
「クリスティーヌ先生、ごきげんよう」
私の令嬢教育の授業の先生のクリスティーヌ先生だった。
もう何十年も貴族院に勤めていると聞いたから結構なお年だと思うのにそれを感じさせない生命力を持つ先生である。
彼女の授業は厳しいことでも有名だ。
私はまだ怒られたことはないけど令嬢教育では同じクラスのソフィアはよくクリスティーヌ先生に怒鳴られている。
怒られたソフィアがだって知らないし、と口答えするから余計だ。
そんなわけで反射的に背筋が伸びる。
細心の注意を払って挨拶をした。
「良い姿勢ですね」
おお、お褒めの言葉をいただいたよ。嬉しい。
「レジーナが来てくれて助かったわ。実はアレクサンダーにお話があるのだけど、どうやら牡丹の間にいるみたいなの。呼んできてくれないかしら?」
「え、教室と反対方向なんですが、」
「あら?断るの?ジオルド先生は今日出張でいないのに困ったわ。ジオルド先生なら学生時代に散々面倒みてあげたから何でも言うこと聞いてくれるのに、今日はいないのよぇ。困ったわぁ」
クリスティーヌ先生は頬に手をあてて首を傾げながら私の方をチラチラっと見る。
「お兄様が何か先生にご迷惑をおかけしたのですか?」
聞いたら駄目だと分かっているのに聞いちゃうのが人間というもの。
聞いて後悔した。
「迷惑、というのかしら。ジオルドをめぐって対立する女生徒の仲裁役が私だっただけよ」
「……アレクを呼びに行かせていただきます」
「ありがとう。職員室に来るように伝えてね」
ニコッとお手本みたいな完璧な微笑みを浮かべてクリスティーヌ先生は去っていった。
うう、全部お兄様のせいだ。
もちろんこれが八つ当たりだ。
先生と生徒の関係だからと王子も呼び捨てするクリスティーヌ先生にどちらにしろ私が勝てるわけがない。
すぐ目の前に見える教室の扉を名残惜しく眺めながら足を180度回転させた。
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私は放課後に牡丹の間を使う派だけど朝に使うピオニーのメンバーも一定数いるそうであまり見かけたことがない三人の先輩たちが共用スペースで勉強していた。
多分二年生だろう。
アレクの姿はない。
すると私に気づいた先輩が挨拶してくれた。
「ごきげんよう。レジーナさん。きょろきょろして誰か探しているの?」
「ごきげんよう。ええ。アレクを見ませんでしたか?」
「アレクサンダー王子なら彼の個室にさっき入っていったよ。そうそう、平民のソフィアだっけ、も一緒だったな」
三人中一人だけいた男の先輩が教えてくれた。
その思いがけない内容に思わず目を見張る。
ソフィアがアレクの個室部屋に二人でいる!?
個室部屋はあまり人を入れないのが暗黙の了解になっている。
私はこの前ソフィアの部屋に入ったけど女同士だったし、すぐに出ている。
でも異性はアウトだろう。
「ちょ、レジーナさんに何教えてるのよ!」
「レジーナさん、二人は大事な話があるみたいだったわ。今は行かないほうがいいんじゃないかしら」
一人の先輩が男の先輩をしかりつけ、もう一人の先輩は宥めるように私に話しかけた。
私だって行きたくないけどクリスティーヌ先生に頼まれているんだもん。
行かないわけにはいかない。
どうしよう、部屋でアレクがソフィアに押し倒されてたりしたら。
ソフィアならやりかねない。
気にしないでいい、と私は首を先輩にふってアレクの個室に向かう。
「アレク?私、レジーナよ」
ノックをするけど返事がない。
このまま待っているわけにもいかないので扉を開けた。
「レジーナ!?」
「……レジーナさん」
扉をあけたら二人が抱き合っていた……なんてことはなく適度に距離は保たれていた。
どうやら本当にお話していただけみたいだ。
ただアレクはぎょっとして幽霊でも見るかのように信じられない、とでも言いたげな視線を向けられた。
わざわざ私達が会おうとすることはあまりないので、アレクと最後に会ったのは魔術テストの日が最後だった。
アレクの間で私はレアキャラにでもなっているのか?
そしてソフィアよ。
口に手をあててオロオロしているけど本性を知っている私からすれば笑みを隠しているようにしか見えないんだが。
あやしい。
「レジーナ、今日の放課後何か予定はあるか?」
あまりにもアレクが真剣な顔をしているから怖くなって一歩下がる。
「え?なに、急に。今日の放課後でしょ。何もないよ」
「本当だな」
「うん。それで二人は何をしているの?」
「あ、あのごめんなさい。アレク王子はレジーナさんの婚約者なのに、変な噂がたったら。で、でもどうしても話したいことがあったんです」
ソフィア、女優になれるよ。
思わず守りたくなるような仕草だ。
「レジーナ、先輩たちには口止めするから心配するな」
心配?
ああ!私とアレクは婚約者だからか。
それじゃあさっきの先輩たちのあの慌てようは浮気現場だと思われてたからか。
納得、納得。
あー、すっきりした。
「分かった。それで私がここに来た理由なんだけど」
「分かった、って軽いな」
「ちゃんと仕事しなさいよ」
アレクはちょっとは怒られるつもりだったらしい。
拍子抜けした様子だった。
ソフィアはなんか毒を吐いてる気がするけどよく聞こえない。
そうそう、用件ね。
「クリスティーヌ先生が職員室に来るようにってアレクに伝えてくれって言われたの」
「そうか。昼休みまでに行けば大丈夫だろう」
アレクは王子として貴族院の外の仕事も色々あるらしくて慣れた様子だった。
そのままなんとなく皆部屋をでる。
アレクは権力という暴力で先輩たちの口封じ中なので私とソフィアは先に牡丹の間から出る。
二人きりになればソフィアに睨まれでもすると予想していたのに意外にもソフィアは気持ち悪いぐらい笑顔だった。
「何を企んでいるの?」
「えー、人聞き悪いなぁ。今日は本当にアレク王子とお話していただけだって。王子ってゲームの中でわりと重要な役だからある程度攻略してないと不味いんだけど、私の本命は王子じゃないんだよね~」
ソフィアは聞いてもいないことをベラベラと喋る
どうしよう、全然内容が頭に入ってこない。
なんかもうソフィアの言動には呆れて興味がなくなっているみたい。
さっさと教室に向かう。
ソフィアは不満そうにしてたけどついて来なかった。
アレクを待っているつもりかもしれない。
はぁ、朝からどっと疲れた。
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放課後になった。
「カイディン、そんなに急いでどうしたの?」
「あ、ああ。今日は用事があってすぐ帰らなきゃなんだ」
「そう、また明日ね」
カイディンはあっという間に荷物をもって廊下へと出ていった。
残念ながら私は令嬢教育の課題が残っているので帰れない。
鞄から紙を取り出し早速取り組んだ。
「んー」
やっと終わった
背伸びをする。予想以上に時間がかかってしまった。
もう教室には誰もいない。
私も早く帰ろうと荷物を持って学校が用意している帰宅用馬車の乗り場に向かう。
廊下にも人の気配はなかった。
そういえばアレクが放課後、予定があるか聞いてきたけど何かあるのかな?
「ジオルド先生がレジーナさんを呼んでたよ」
「きゃっ!」
いきなり後ろから話しかけられた。
反射的に距離をとりながら振り向く。
そこには同じクラスの男子がいた。
え、いつからそこに?
もしかして気配消してた?
「こっち、ついてきて」
「え、」
歩き始めた彼はポーションをつくった魔術授業でお兄様に突っかかっていた人ではっきり言って苦手だった。でもお兄様が私を呼んでいると言われたら気になる。
どんどん先に進んでいく彼についていくしかなかった。
「ここだよ」
「ここに本当にお兄様が?」
連れてこられたのは入ったこともない空き教室だった。
中に誰かいる気配はない。
「そうだよ。中に入って確かめてよ」
嘘だったらそのまま帰ればいいよね、と思って扉を開けた。
中は暗くて一歩踏み出す。
ガチャ
扉が閉まる音がした。
ハッとして振り向く。
「ジオルド先生が呼んでいるというのは嘘だ」
ああ、今日はお兄様は学校にいないんだった。
ようやく私はそのことを思い出した。




