おまじないの合唱と忍び寄る魔物
「痛いのは魔王の頭へ~。かゆいのは魔王の足に。こそばゆいのは魔王のおなかへ行っちゃえ~」
庭先で妹とおいかけっこをして遊んでいた僕は、すっ転んで膝小僧を擦りむいた。
泣きながら屋敷に戻ると、サーファが手当てをした後、泣き止まない僕におまじないをしてくれた。
何処にいるのか、母さんの耳には僕の泣き声は届いていないようだ。
「ぐす。……ぽかぽかは?」
いつもおまじないをしてくれる母さんと微妙に違う事に気が付いた僕は、泣き続けるのを止めて聞いてみた。
「ああ、奥様のお歌には続きがありましたね。確か……ポカポカさんこっちへおいで~、だったかしら」
僕も妹も、まだそのおまじないは全部は一人で言えないけど、聞けば何かおかしいくらいは分かる。
サーファがそれを思い出してくれたので、泣いていた僕も、心配していた妹も、スッキリとした顔になった。
「もっかい!」
すると、妹がサーファにリクエストのおねだりをした。
当然サーファは、それに応える。
「痛いのは魔王の頭へ~。かゆいのは魔王の足に。こそばゆいのは魔王のおなかへ行っちゃえ~。ポカポカさんこっちへおいで~」
「ぃったいんはまおー! かいかいはまおー! っかぽかこっちー!」
一所懸命に真似る妹は何とも微笑ましい。
「いたいのまおーのあたまー! かいーのまおーのあしー! こちょこちょまおーのおなかー! ぽっかぽかこっちーおいでー!」
すっかり涙も引っ込んだ僕も、釣られてそれを真似た。
僕は妹とサーファの三人でおまじないを大合唱する。
これはこれで楽しい。
この頃の僕は意味を半分も分からなかったけど。
「……ねえ、まおーってなに?」
「なーにー?」
ふと、気になった事を聞いてみると、妹も一緒に首をコテンと傾げた。
すると、肝心のサーファも一緒に首をコテンと傾げる。
「魔王、ですか? 魔王……。ええっと……」
◆
「……いよいよか」
詰所で書類整理をしていた陸上一般兵部隊の分隊長が、報告に訪れた兵にペンを止めて顔を上げる。
するとその兵の肩が濡れいている事に気付いた。
いよいよ降り出したかと窓の外をチラッと見ると、兵の報告に意識を戻した。
「夜明前に林の中に集まっていたブラックドッグどもは、例の魔法士の練習が始まる前に一度散っていたのですが、それが終わった後にまた徐々に集まってきてます」
「数はどうだ」
「現時点で昨日の日没時よりも明らかに増えてます。まだまだ増え続けると思われます」
「……そうか」
その報告を聞いた分隊長は、柱時計を見て考え込む。
このまま増え続けるとなると、恐らくはこの地を出て中央のサビアを向かおうとするだろう。
「よし、基地に連絡だ。第3装備にて第4防衛態勢発動。伝達要員に連絡を。我が隊も第3装備にて第3警戒態勢に移行。さあ、仕事だ」
そう報告の兵に指示を出すと、分隊長も自分のロッカーを開けて装備を整えた後、雨具に腕を通した。
第3装備とは通常装備に雨具を足した雨中装備である。
防衛態勢、警戒態勢はそれぞれ5段階で、対魔物は第5の弱から第2の強、第1は何れも対人を意味する。
また、防衛、警戒の他に戦闘態勢もあるが、攻撃態勢というものはない。
これは、他国に侵略する事はないというアピールでもある。
過去にあった他国同士の戦争行為によって魔物の対処が追い付かなくなって、大陸全体が壊滅の危機に遭いかけたという人災を再び起こさないという意思の現れであった。
ブラックドッグは素早いので警戒レベルは第4相当、でも噛み付き以外は脅威ではなくそれ程強い魔物ではないので、防衛としてはスライムと同等の第5段階の対象であった。
しかし、確認していた昨夕よりも明らかに頭数が多いとの報告に、それぞれ1段階引き上げたのだ。
「……魔物が恐れる魔法士は土魔法使い、か。土魔法なぞ裏方の部隊の筈なのにな」
ロッカーの扉を閉めた分隊長は手を止めて呟く。
基本的に攻撃能力のない土魔法使いを魔物が恐れる筈はないのだが、と考えた後、頭を振る。
「きっと偶然だろう。魔物が人を恐れる事なんて、A隊の連中以外では滅多にないし……」
とても同じ人間とは思えないような規格外の者ばかり集めたA隊は除外するとして、そんな人間はそうそういないだろう。
今考えるべきなのはこの防衛線の維持だ、一魔法士の事ではない。
着替えが終わり外に出ると雨足は思ったより強くなっていた。
空を見上げれば、どんよりとした鉛色の分厚い雲に覆われていた。
素早い魔物を相手に雨具の装着は足枷でしかない。
かといって雨具なしで対処すれば、体を冷やしてしまう。
夏も過ぎ去ったこの時期にそれは命の危険もある為、雨具は必要装備であるので外せない。
「何もなければ良いのだがな」
いよいよ本降りになりそうな空を再び見上げて深い溜め息を吐くと、分隊長は浅かった頭の雨具を深く被り直すのだった。




