兄の稽古と対スライム
「ほら、もっと脇を閉めて踏み込む足を意識して……ああもう! 何で出来ないんだよっ!」
翌朝からの稽古は正に理不尽なものだった。
ずぶの素人、それも三歳児相手に自分と同じレベルを求めてくる上の兄。
「もう知らん! ナーキン、打ち合うぞ」
ムスッとした僕と、目をパチクリさせる妹をほったらかしにして、上の兄は下の兄と打ち合い稽古を始めてしまった。
「ちょっと兄、強すぎだよ! もっと手を抜いてよ!」
しかし、あまりの強打に悲鳴を上げる下の兄。
イライラを稽古用の木刀に乗せているみたいだけど、上の兄と下の兄の体格差もあって、それは一方的なものだった。
「うるさい! 手を抜いたら稽古にならないだろ」
来年学校を卒業する上の兄と、三歳年下の下の兄とでは大人と子供程の差がある。
それでも何とか食らい付いていけているのは毎日上の兄の相手をしているからだろう。
「おにいちゃんたち、すごいね」
「しゅごいね~」
でも、この頃の僕たちの目には、兄たちのその稽古がずっと別次元の様にしか映っていなかった。
◆
「何? スライムが進んでこない? 方向を変えたと言うのか。今までここで発生した魔物は漏れなく町の方の本土を目指していたというのに」
駆け付けた魔法部隊の各小隊長が、なかなか進んでこない魔物の異変の報告をした陸上一般兵部隊の分隊長に詰め寄ってくる。
この凪の国カルム王国の端であるここで発生する魔物だけでなく各国の端で発生した魔物は、声を上げた小隊長の言う通り町の方へと歩を進めようとする。
しかし、各国の研究で最近明らかになったのは、魔物は町を目指すのではなく大陸の中央区サビアを目指して移動するというものだ。
サビアは国ではない。
強力な魔物が多く大自然が広がる人間が踏み込めない区域であり、やはり近年の研究で魔素が大量に沸き出す場である事が分かっている、人の住めない広大な地で、どの国にも属していない地区なのだ。
大陸の各国はこのサビアを取り囲むように建っていて、このサビアから湧いてくる魔物をそれぞれの国が討伐する役割を担っている。
それと同時に、各国にはそれぞれ魔物が沸くエリアがあって、各国はそれにも対処しているという形は共通だ。
各国にある魔物の沸くエリアには、やはり魔素が沸いている場所があってその量はサビアにあるそれよりは随分と小さな規模である事まで分かっている。
ここで湧いた魔物がウェストフォースの町に向かっていくのはサビアから湧き出す魔素に引き寄せられているのだろうというのが大方の見方であった。
「いや、そうではなくて、第一防衛線を越えたところで止まっていると言うか、そこで消えているようなんです」
「消えている? どういう事なんだ。明確に答えないか」
押し寄せる魔物を前に、報告が不充分な為に対処が遅れて取り返しのつかない状況に陥るような事があってはならないと、小隊長たちが声を荒げる。
しかし、分隊長はまあまあとそれを宥め賺した。
「今、確認の為に偵察に向かわせています。状況が分かるか何か動きがあり次第戻ってきますので、もう暫くお待ちを」
そうは言っても、駆け付けた各小隊分隊は持ち場に就いて迎撃の準備を進めている。
小隊長たちが懸念している魔物が方向転換をしていた場合は、速やかにその方向に向かわなければならない上、この場を留守にする訳にもいかないので、各隊を別ける必要も出てくる。
偵察が帰ってくるまで何もせずに待っていれば、対処が手遅れになる恐れもあるのだ。
「おい、念の為、非番の者たちも集めろ。15年前の悪夢を再び起こす訳にはいかないからな」
「冒険者ギルドにも応援依頼を……って、シーラー社の方に先を越されているか。だが念の為に話は通しておくんだ」
年配の小隊長が指示を出すが、それに異を唱える者はいなかった。
それは経験のない若手よりも、年配になる程同意する率が高かった。
というのも、15年前の悪夢とは、魔物の異常氾濫で死者を出した事件の事だ。
各国で死者を出し、その合計数が百人を越えたその事件は記憶に新しく、この国でも32人が犠牲になっている。
あまり楽観的に考えていては、その二の舞になると訴え掛けているのだと、その事件を直接には知らない若い世代は気を引き締めて動き出したのだが……。
「あのスライムが町に入ってみろ。俺達の住む町が異臭にまみれてしまうんだぞ? そんなの耐えられないじゃないかっ!」
「俺なんてまだ家を建てたばかりなんだ。万一スライムに取り付かれでもしたらどうしたら良いんだよっ!」
「ああ。絶っっっ対にスライムなんかを町に出すんじゃないぞっ! 一生カミさんに文句を言われ続けられるからなっ!」
切実だった。
「報告しますっ、偵察が戻って来ました!」
そこに伝令が駆け込んできた。
無事に偵察に行かせた二人が帰ってきたとあって、指示を出した分隊長はホッと小さく息を吐いた。
すると堤を上がってきた二人が息を切らして飛び込んできた。
「報告しますっ! 現在、目標のスライムは第一防衛線付近の倒木を越えた地点で……」
一瞬口ごもるベクス。
一緒に帰ってきたシーシェリオンは息が切れて声を発する事も出来なさそうだ。
「どうした。スライムはどうなっているんだ」
その間も惜しいのか、若い小隊長が先を促す。
「ス、スライムは消滅。フカフカの土に染み込むようにどんどん消滅しています!」
「…………はぁ?」
その報告内容に、居合わせた者が声を揃え首を傾げた。
言っている事が理解出来ない。
「繰り返します! スライムは次々に消滅。このままですと、戦力は不要かと!」