初めての朝稽古と不可解な事態
「えーいっ! えーいっ!」
「ぃえ~ぃ、ぃえ~ぃ」
早朝の庭先に響く幼い二人の声。
その様子を見たサーファは微笑ましいものを見たと頬を緩ますが、母さんはまだ幼すぎではとあまり良い顔をしていなかった。
「よし、これを毎日続けるように。マーパス、ナーキン、今後はお前たちが面倒を見るんだ」
短めの丸い木の棒を振る僕と、やはり短く細めの竹の棒を振る妹を見た父さんは、近くで木刀を振っていた二人の兄たちに声を掛けた。
すると、兄たちはあからさまに嫌そうな顔を晒す。
「えー? そんなのヤだよ。二人ともまだ小さ過ぎるじゃん!」
上の兄が父さんに訴え掛けたが、父さんは一睨みして、二人がやるんだと目で訴え掛けて仕事へと出掛けていった。
兄たちは不満な顔をしながらも、父さんに反するまでには至らなかった。
◆
「なあ。あの倒木って、前の林と草原の境目の所だよな」
陸上一般兵部隊の陸上等兵ベクスが、支給品の小さな双眼鏡を覗き込んで呟くと、その隣の陸二等兵シーシェリオンがそれに答えた。
「たぶんそうですね。今一番前に立っている木の傷に見覚えがあります。それにしても、何であんな根こそぎ倒れているんですかね、あの木は」
「さあな。それよりも、その手前の草原が畑のようになっている事の方が気になるけどな。前の見回りの時にはこうはなってなかっただろ」
「そうですね、草原のままでした。ただ……」
シーシェリオンが顎に手を当てて言い淀む。
そんな態度をされれば気にならない訳にはいかない。
ベクスが後輩にその先を促す。
「ただ、さっきまで何かしている音がしてたんですよね。隣のシーラー魔道機の実験か何かだと思ってたんですけど……」
「あ~。オレたちはもう慣れたから殆ど気にならなかったけど、言われてみれば音がしていた気がするな。何の実験をしたらあんな農地になったりボコボコに穴が開くのか分からないけどな……っと、あの倒木を越えてきたんじゃないか?」
再び双眼鏡で覗き込むベクスに対し、シーシェリオンは額に手を翳して目を細めた。
「あ、もう越えた個体がいますね。後続も倒木を上ってますから、間もなく越えてきますよ」
「よし、じゃあ以前の第一防衛線を越えるな。分隊長に連絡だ。分隊長、スライムが奥の倒木を越えてきます!」
以前は木のある林と草原の境目が目安になっていたが、今は倒木が目安になっている。
若干判り易くなったなと苦笑するベクスだったが、もうひとつメリットが生まれていた。
「あ、あの倒木、足止めになってません? スライムの勢いが殺がれているような……」
シーシェリオンに言われて双眼鏡を更に覗き込んで目を凝らしたベクスがそれに同意する。
「確かに、あそこで一旦足が止まっているようだな。これなら足の早い魔物でも、魔法部隊が駆け付けるまでにオレたちがひと当たりしなくても済みそうだな」
基本的にここの詰所から緊急連絡用の花火が打ち上がると、自動的に基地の本隊が駆け付ける事になっている。
とはいえ、多少の距離があるのでタイムラグは発生する。
そこで本隊が到着するまでは詰所にいる陸上一般兵が対処しなければならないのだ。
だが、いつの間にか出来た倒木によって適度な障害物となって魔物の足を緩められそうだ。
これで自分たち陸上一般兵部隊の危険度が若干だが下がりそうだと二人が感じていると、指示を出しに一旦堤の下に下りていた分隊長が再び堤に上がってきた。
「本隊がもう間もなく到着するが、スライムの様子はどうだ?」
「先頭が第一防衛線を越えたところです。倒木があってそれを越えるのに時間が掛かっているようです」
ベクスが報告をすると、分隊長が双眼鏡でそれを確認しようとするが、シーシェリオンが目を細めて首を傾げた。
「あの。おかしいです。スライムが……」
「ん? おかしいって、どうおかしいんだ?」
「倒木を越えたスライムがそこから進んできてないような……。てか、何か倒木を越えてくるスライムの数と越えてきた数が合わないような……」
「おい、シーシェリオン二等兵。報告はもっと明確かつ簡潔にしないか! ……って、あれ?」
ペアであるベクスがシーシェリオンを指導するが、自身も首を傾げてその先の言葉をどう発すれば良いのか迷った。
「どうしたんだ、スライムが来ているのは確かなんだろ?」
分隊長が顔を顰めながら手にした双眼鏡を覗き込む。
「……どういう事だ? 倒木を越えているのは越えているが、そこから全くこちらに進んできてないように見えるが……」
どう判断すれば良いのか分からない分隊長とベクスは顔を見合わせた。
「分隊長、どうもあの場所で数を減らしているようにも見えるんですが……」
「何? 減っているだと? ふむ、そうとも見えるが……」
「ああ、オレもそう見えます。シーシェリオン、よく裸眼でそこまで見えるな」
「おれ、山の中の出身だから、目だけは良いんです」
エッヘンと胸を張るシーシェリオンだが、他はどうなんだと突っ込みたい衝動に駆られたベクスは言葉を飲み込んだ。
「うむ、こうしていても仕方がない。お前たち二人、何が起こっているのか偵察に行ってこい」
「ええーー!?」
シーシェリオンが声を上げるが、ベクスは頭を叩いて姿勢を正した。
「了解しました。ベクス上等兵、シーシェリオン二等兵、これより偵察任務に当たります」
「頼んだぞ。これでは本隊が来ても動けないからな。状況が確認出来た時点で戻ってこい。くれぐれも危険だと感じたら直ぐに引き返してこいよ。スライムと言えど、あの数に飲み込まれたら異臭悪臭の中で溺れ死ぬからな」
「ええーー!?」
再びシーシェリオンの頭を叩いて自分の長槍を手に堤を下りていくベクスと、頭を擦りながら自分の盾を持ってその後に続くシーシェリオン。
二人を見送った分隊長は、再び双眼鏡で目を凝らしてその現象に首を傾げるのだった。