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鳴子の記憶が戻ると共に、身体が淡い光に包まれはじめた。その背に光の粒子で作られた羽が大きく広がる。
それこそが彼女の真の姿だということが響にはわかった。
「思い出したんですね?」
「あなたのおかげでね」
さっきまでとは打って変わった落ち着いた口調で鳴子は言った。「あなたは最初からわかっていたのね」
「真実は自分の目で見つめなければいけないんだそうです」
「そうね。父もそんなことを言っていたことがあるわ。懐かしいわね。父は優れた術者だった。何人ものお弟子さんがいて、いろんな人たちが父のもとに訪れていたわ。父は、私以外にも多くの式神を使っていた。そんななか父は私を人間として育ててくれた」
その穏やかな表情に、響はホッと胸をなでおろした。
「楽しかったんですね」
「そう、楽しかった。幸せな時間だったわ。でも、永遠の時を生きる私たちとは違って、父は人間だった。病に身体を蝕まれ、自らの死期を悟った父は職から離れ、多くの式神を放ち、最後を迎えるために私と共にここにやってきた」
「きっと、全てはあなたのために」
「そう、私のために」
父親を懐かしむように、鳴子は静かに微笑む。その表情を見て、響は声をかけた。
「いきませんか? 四門さんはもうここにはいないのだから」
全てを理解した今なら、素直に話を受け入れてくれるだろう。「ボクは『妖かしの一族』である一条家の者です。一条家ならば、あなたの居場所も作ってくれます」
だがーー
「それはないわ」
ふいに鳴子の顔から笑みが消えた。
「ない?」
それは予想外の答えだった。
「ここを離れてどこに行くというの? ここは父が最後の場所として選んだ場所よ。ここ以外に私の居場所はないの」
「それでもここはすでに四門さんとあなたの場所ではありません」
「だから?」
それは静かだが鋭く強い声だった。ゾクリと背筋が寒くなる。いつの間にか光は無数の蝶となり、その蝶が部屋中を舞っている。
「抗うつもりですか?」
慎重に声をかけた。
相手は偉大な陰陽師のもとで、長い間使役されてきた式神だ。その妖力は計り知れない。もし戦いになった時、響が太刀打ち出来るかどうかはわからない。
「そんなつもりはないわ」
そう言った彼女を包む光がさらに変化していく。
「鳴子さん……」
響にはその光の変化の意味がわからなかった。鳴子が、自分の存在を知ったことによって、妖かしとしての存在に戻ることは予想出来ていた。
だが、今、目の前で起きているのは想像もしなかったことだ。
彼女を包んでいるこの光は『浄化の光』だ。彼女は今、浄化されようとしている。
「私が生きる場所は私が決めるわ。私は父から人として生きる自由をもらった式神なのだから」
「あなたは何をするつもりですか?」
彼女は気づいていないのだろうか。
「何を? 私は父と生きていきたいだけよ」
「何を言っているんですか? 今、自分がどうなっているのかわかっているんですか? 本来、妖かしに死はありません。でも、あなたは今、消えようとしている」
響は必死になって訴えた。鳴子に今の状況を気づいてもらいたかった。
「消える? 私が消える?」
鳴子は不思議そうに自らを包んでいく光を見つめた。彼女にもこの浄化の光の意味がわかっていないのだろうか。
「直江四門さんの術なのかもしれないし、もっと何か他の理由があるのかも」
そう言いながら、響は考えを巡らす。だが、鳴子が浄化されていくことは間違いがない。そして、それを止める方法が見つからない。
響は戸惑っていた。こんなことになるとは思っていなかったからだ。
だが、意外にも鳴子はニッコリと笑った。
「そっか……わかったわ」
「何が?」
「慌てなくても大丈夫よ。きっと、これは私の願い」
「願い? これがあなたの願い?」
「今、思い出しました。父が亡くなる直前、私は父に頼みました。一緒に連れて行って欲しいって。でも、父には断られました。生きてほしいと言われました。私にはその父の願いを受け入れられませんでした。父が死んだ後、私はどんなことをしても父のもとへ逝くつもりでいたんです。そこで父は私に術をかけました。でも、自分の存在を思い出し、そのうえでやはり父のもとへ帰りたいと願う時、私は浄化されるんです」
「ダメです。あなたは生きなきゃいけません。それがお父さんの、四門さんの願いだったんじゃありませんか」
鳴子は笑って首を振った。
「そうですね。これは父の願いには反することになるのかもしれません。でも、今、やっと私の願いが叶うんです。お願い、このままいかせてください」
「どうしてそこまで?」
「私は長い間、妖かしとして生きてきました。この世を恨み、この世の人間を呪って妖かしとなった。でも、それはあまりに長く、今となってはそのはじまりすらも忘れてしまいました。そんな時に私は父に出会いました。そして、私は父の式神となり、娘となり、初めて生きている意味を知りました。父の元で私は生きるということを知ったんです」
「生きることを?」
「ただ永らくこの世に存在することが生きるということにはなりません。それを私は父と会って知ったんです。だから、父を失った今、私はこの世に思い残すことはありません。父と一緒にいる時、私は生きていると思うことが出来ました」
その言葉は紛れもなく彼女の正直な気持ちだった。
彼女の姿はとても美しかった。