2
その若い女性は淡い黄色い着物を身につけていた。
その髪につけた簪が光を浴びてキラキラと揺れている。その姿はどこかアゲハチョウを連想させるものだった。
「どちらさま?」
助けを求めるような目で女性は草薙響に声をかけた。
「草薙響といいます。この家で異変が起きていると話を聞きまして。あなたは?」
そう言うと女性はパッと顔を輝かせた。
「私、直江鳴子といいます。来てもらえて良かったです」
彼女は待ちに待ったものを受け入れようとするように、すぐに響の手を取って家の中へと招き入れた。
「何があったんですか?」
「家の中に誰かがいるんです」
「誰か?」
「姿は見えないんです。ただ、時々、声が聞こえてくるんです」
彼女はいかにも怯えているようだった。
「声?」
「子供の声だったり、大人の声だったり……複数の人の話し声のようなんです。足音が聞こえることもあるんです。私、怖くって……どうしていいかわからなくて」
すがるような声で鳴子は言った。
響がこの家を訪ねたのは一条家から仕事を任されたからだ。響は一条家に身を寄せているが、最近では時折、バイトのような感覚で仕事を任されることがある。
――我が社の系列の不動産会社で扱っている物件で、相談されているものがあります。
栢野綾女はそう響に説明した。
だが、綾女がこの話を持ってくるということは、普通の相談ではないことはすぐにわかった。一条家は資産家であり、不動産会社を含め多くの会社を所有している。だが、それは表に仕事であり、栢野綾女が所属しているのは主に裏の仕事を扱っているからだ。
一条家の裏の仕事、それは妖かしへの対策をするものだった。
「ここに暮らし始めたのはいつからですか?」
家の中を見回しながら響は訊いた。
「もう6年になります。私が高校を卒業してすぐに父と引っ越してきました」
「どうしてここに引っ越してこられたんですか?」
「さあ……父が決めたことですから」
「お父さんは?」
「2年前に亡くなりました」
鳴子は悲しみを抑え込もうとするように、そっと目をふせながら答えた。
「おいくつでしたか?」
「76歳でした」
「失礼ですが、あなたは?」
「24歳です」
「ずいぶん歳が離れているんですね」
響の言葉にも、鳴子は意味がわからないといように首を傾げる。
「え? そう? あなたはずいぶんお若いわね。学生さんくらいの歳に見えるわ」
「高校生です」
「高校生? 高校生なのにこんなお仕事しているの?」
興味深そうに響の顔を覗き込む。
「手伝い程度です。鳴子さんのお母さんは?」
「お母さん? さあ、物心ついたころには父と二人暮らしだったもので」
「お父さんから聞いたことはないんですか?」
「ありませんね」
それはどう聞いても不自然なものだった。だが、鳴子はそれを疑問にも思っていないようだ。
ふと気づくと、鳴子は何を考えているのか、急に黙って響の顔をジッと見つめている。
「どうかしましたか?」
「え? ごめんなさい……でも、私、あなたのことを知っているような気がするの」
「ボクを?」
「名前、何て言われましたっけ?」
「草薙……響ですが」
鳴子は視線を落として記憶をさぐろうとするように考え込む。
「どうしてかしら……思い出せそうなのに思い出せない。本当にそれがあなたの名前?」
「そう……ですけど」
「私、あなたにとっても会いたかったような……そんな気がしているの。あなたはどうですか? 私のこと知らない?」
響にとっても、それはなんと答えていいかわからないものだった。響自身、一年ほど前に事故にあったため、それより以前のことは記憶を失ってしまっている。そのため自分が何者なのか、どういう存在なのかずっとわからないままだからだ。
「すいません。ボクも昔のことは」
「そう……ダメね、私も思い出せない」
鳴子はそう言って顔をあげた。