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南から暖かい風が吹き上がってきた。
キサーウッドの梢に薄い緑の萌芽が見られた。クド清流が、ごうごうと雪解け水を運んでいく。
長い冬が終わったのだ。
これほど長い冬はもう二度とないだろうとカクリは思った。
朝。カクリは家を出た。
アーシャと一緒だった。彼女は妹の婚礼衣を持っていた。
蜘蛛を倒した夜から、彼女はかかり切りでそれを完成させたのだ。
やはり囚われているのかとカクリは心配したが、アーシャはそうではないと言った。
「けじめだ、これは」
それでカクリも、心配するのをやめたのだった。
完成させたそれを、今日焼く。
それにどんな意味があるかは分からなかったが、アーシャがそうしたいと言い、付き合ってほしいと言った。断る理由はなかった。
それで、二人は姉妹の家があった場所に向かっていた。
途中、何人かの村民と会った。
何をしに行くのか聞かれた。話すと、皆ついてきた。
彼女は、誰からも愛される少女だった。優しく、美しい少女だった。
持ってきていた薪を組んだ。
水気をふくんだ雪が今も厚く残されており、時間はかかったが、やがて火が起こった。
アーシャは、手に持つ婚礼衣をじっと見た。
一度も誰にも着られることのなかった、純白の婚礼衣だった。それが火にくべられた。
ゆっくりと燃え移っていく。
煙がたなびき、天上に昇っていった。
強い風が吹いた。煙は空の青に溶けていった。
「これでいいのか?」
カクリは言った。
アーシャは燃えていく白衣をじっと見つめている。
「覚えていて。と、言ったんだ」
「サフィか」
「あいつがいなくなって……。あいつは、私の全てだったんだ。あいつのいない世界に生きる意味があるとは思えなかった。だがあいつは覚えていてと言った。自分を忘れないでと。それが、あいつの最期の願いだった」
「……」
「私が死ねば、あいつの願いはかなえてやれない」
「そうだな」
「サフィはそういうことも全て分かったうえで、覚えていてと願ったのか? 私に生きろと、あいつは言ったのかな?」
「そうかもな」
やがて婚礼衣は燃えつき、火も消えた。村民たちは去っていった。
しかしカクリたち二人は、何となく名残惜しい気がして、しばらくそこにいた。
黙っていた。語り切れない思いが、この場所にはあった。
無言の会話の後、カクリが言った。
「ラミュに、どうやら子ができた」
村の若い女である。今回の件で夫を亡くした彼女は、この冬の間に、救援に来た他村の独身の男と関係を持ったのだった。
その男は、住んでいた村には戻らず、そのままタララ村の住人となった。
そうして結ばれた夫婦が、村にはあと一組いる。彼らにもいずれ子ができるだろう。
子のできにくいグランダにとって、ひと冬の間に根付かせた夫婦がいるというのは、特に今のタララ村では、望外のニュースだった。
人を増やさなければならない。
一人や二人増えただけではまるで足りない。村を立て直すのには、もっともっと人が必要だ。特に若い男がいる。
これ以上、近隣の村から人を奪うわけにはいかない。彼らとて男手を失ったことに変わりはない。
となれば、ローディ市から移住者を募るしかないだろうが、それにしたって困難は付きまとう。都市と山村では、暮らし向きがまるで違う。
移住者は当然として、受け入れる方にも相当の苦労があるだろう。
そういうことをカクリは話した。
村を立て直すと言っても簡単な道程ではない。少し考えただけで山のような試練があった。
しかしやらなければならない。
「一年や二年で終わることじゃない。十年二十年、もっとかもしれない。おそらく俺の一生の仕事になるだろう」
「そうか」
「だが、俺はやってみせるよ」
「そうか」
「お前は、どうするんだ」
アーシャがいぶかしげにカクリを見やった。
「何がだ」
「紅令師のことだ。雪も降りやんだ。あの男は、じきに村から出て行くだろう」
「それがどうした」
「お前が、あの男に誘われているのは知っている」
心臓の破片の探索に同行しないか、と。
カクリも誘われたのだ。
もちろん彼は一刀のもとにそれを切り捨てたが、果たしてアーシャはどうしたのか。
カクリは、アーシャの中に、今もサフィを殺したものへの憎悪が残っていることをよく知っていた。カクリにとって、憎悪の向かう先は蜘蛛のみだったが、アーシャは蜘蛛の先にあるものまで見ているようだった。
俺を手伝えば、復讐の機会を得られるぞ。
あの男は、そう言ってアーシャを誘ったのに違いなかった。
村にとっては大恩人であり、ひと冬を一緒にすごしたが、やはりどうしても好きになれない男だった。
しかし、アーシャが決めたのなら、止められないとも思った。
彼女は、この土地で生まれたグランダではない。
村よりも何よりも、妹のことを大切に思っていた彼女である。妹の復讐のために村を出て行くのは、自然なことのように思えた。
「行くのか?」
アーシャは答えなかった。黙って顔を背けた。
「アーシャ」
「黙れ」
ぴしゃりと彼女は言った。
「なぜだ。行くのか」
「黙れと言った」
カクリはアーシャの顔をのぞき込んだ。さらに背けられた。
彼女の白い横顔はいつもの仏頂面だが、どこか傷ついているようにも見えた。
それはなぜか、カクリをうろたえさせた。
「残ってくれるのか?」
「黙れ」
アーシャはそれしか言わない。
俺は、何か悪いことを言ったのか?
首を傾げるカクリの隣で、彼女はただじっとしている。
タララ村の物語はこれで終わりです。




